映画「星の子」は2020年の邦画。
主役は天才子役と言われた芦田愛菜。すでに16歳になっていて、一時期よりは露出は少なめになっているものの、着実に女優としての力をつけている。
「星の子」では怪しい宗教を深く信じる親の子どもを演じ、思春期特有の心の葛藤を描く。
宗教の怪しさを前面に押し出したり、子どもは被害者みたいな演出もない。ただ純粋に大好きな親と宗教、そして好きな人の間で揺れ動く感情を表現した名作だ。
80点
「星の子」映画情報
タイトル | 星の子 |
公開年 | 2020.10.9 |
上映時間 | 110分 |
ジャンル | ヒューマンドラマ、青春 |
監督 | 大森立嗣 |
映画「星の子」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
林ちひろ | 芦田愛菜 |
南先生 | 岡田将生 |
雄三おじさん | 大友康平 |
海路 | 高良健吾 |
昇子 | 黒木花 |
まーちゃん | 蒔田彩珠 |
ちひろの父 | 永瀬正敏 |
ちひろの母 | 原田知世 |
映画「星の子」あらすじ
大好きなお父さんとお母さんから愛情たっぷりに育てられたちひろだが、その両親は、病弱だった幼少期のちひろを治した“あやしい宗教”を深く信じていた。中学3年になったちひろは、一目惚れしてしまった新任のイケメン先生に、夜の公園で奇妙な儀式をする両親を見られてしまう。そして、彼女の心を大きく揺さぶる事件が起きるー。
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映画「星の子」のラストの意味とは ネタバレ考察・感想
親の宗教とその子ども
小学生の時、私の周りにも親が宗教に入っている友達がいた。小学生の頃はそれが何かもわかっていなかったし、信者でなくても参加できる旅行に参加して、友達と一緒に楽しんだ覚えもある。
朝起きたらお経のような時間があって、それはあんまりおもしろくなかった記憶はあるけれど、まぁだからと言って、偏見の目で見るようなことはなかった。小学生には普通の基準が出来上がっていないから、親がよほど悪意を持って子どもに伝えない限りは疑問に持つこともない。
熱を出すとその子のお母さんがわざわざお祈りしに来てくれて、それがなんの効果があるのか全く分からなかったし、今でも効果があるとは思えないけれど、小学生の頃は何回かそんな体験をした。
勧誘は、無理やりどころか、やんわり誘われた記憶もないので、それほど宗教にマイナスなイメージはない。
かの有名な宗教ではないにせよ、それなりに古くからある由緒正しい?組織なので、「星の子」に出てくるような水を買わせたり、ルンバにシールを貼りつけたようなモノを売る怪しめの組織でもないからかもしれない。
でもまぁ、そんなものだ。思春期でもない時にさして疑問を持つこともない。
問題は思春期が来た時に、内と外のギャップのバランスをうまくとれるのかってことだ。内では親は変わらぬ愛情を注いでくれている。一方で外では偏見の目を感じ始める。そしてそれは自分の中にも知らぬ間に育ち始めているのだ。
姉はバランスがうまく取れずに家の壁に穴を開けたり、叔父に協力した一方で両親を擁護した。最終的にはバランスが崩壊して姉は家を出ることとなった。
「星の子」は、そのバランスを必死に取ろうともがくちひろの成長の物語である。
なぜ宗教は怖いと感じてしまうのか
宗教それ自体は決して悪いものではない。日本は特定の宗教を信仰している人は少ないけれど、世界で見れば信仰している人の方が多い。
宗教=怪しいでもないし、宗教=嫌な人でももちろんない。それどころか、特に日本において何らかの宗教に入信している人は、心根がとても優しい人が多い。教義には他人に優しくするように伝えているところも多いためだろう。
それに、我が子がきっかけで入会したちひろの両親のように、何かしらにすがりたいほどに追い込まれた人たちが集まっている側面もあり、だからこそ人の痛みがわかる人も多い。
むしろ無宗教だって、南先生のように性格は歪んでいて、自己中心的にしか物事を考えられない人だってたくさんいる。
頭にタオルを乗せ、ジャージ姿でカッパのような修行を行うことを除けば、愛情深い両親なのだ。
ちなみにこのタオル、不気味さだけでなく、シュールな笑いを届けてくれる素晴らしいアイテムだった。これを永瀬正敏が頭に乗っけている様は滑稽であり、でも本人たちはいたって真面目に演技している、さながらコントのような映像だった。
が、あくまで映像化の話であって、実際にそばにいたらちょっと怖い。ちひろの叔父の気持ちも分かるし、南先生が毒を吐く気持ちも分からないでもない。人は知らないものは嫌いだからだ。
知らないだけでなく、それに入会している人が何千人、何万人と組織になっている。そこに恐れを感じ、ヘイトを産む原因でもある。
さらに語られる言葉が、その人自身から出たというより、背後にいる宗教の教えを感じるところも嫌悪感を抱かれる一因だ。
だって入会していない人にとっては、どれだけその宗教では偉大な方であろうとも、まったく知らない人間でしかないからだ。
ちひろは両親のことを分かっているから嫌いではないけれど、知らない他人からしたら不気味に映ってしまう。そのギャップにちひろは苦しむことになる。
「星の子」のラスト・結末の意味とは
この映画が全編を通じて言いたかったのは、「信じる」という難しさ。芦田愛菜のコメントに全て現れている。
「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」
映画『星の子』完成報告イベントでの芦田愛菜のコメント
「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」
「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」
ちひろは両親のことが好きだ。だからこそ苦しんでいた。宗教そのものにはそこまで興味を持っていなかったかもしれないけれど、愛情たっぷりに育ててくれる両親を嫌うことなど出来なかった。
でも同時にちひろは、宗教にはまっていく両親を見て心が揺らいでいた。世間からは変な目で見られる両親のことを恥ずかしく感じることもあった。きな臭い噂話から不信感も生まれつつあった。
その心の葛藤がずっと続いていく。必死に落ちないようにバランスをとっていく。そしてそれは物語のラストまで続いていくし、これからも続いていくのだろう。
南先生に両親を見られたとき、叔父に家に来ないかと言ってもらったとき、金星の水を飲んでも風邪を引いたとき。
好きな人に見られたときの混乱、そしてその先生がちひろに対しても刃を向けてくる瞬間を感じ、バランスが一気に崩れそうになっていた。
叔父と会ったときには両親のことを優先し、好きな人には否定されて両親を恨み、グラグラ揺れ続ける危ういバランスの中でちひろは葛藤していく。
小学生の頃からイケメンが好きで、雰囲気が似ている南先生に一目惚れしたわけだけど、この時期を経て、外面ではなく内面を見るように成長もしていく。
そして、ラスト。母親が見つからないことで再び宗教でまことしやかに囁かれている行方不明事件をシンクロさせる。言いようのない不安に襲われ、本当に両親がいなくなってしまうのではないか心配でご飯も喉を通らない。そんなわけない。でも、他人から見れば馬鹿げていると思われることが、本人にとっては深刻なことがあるのだ。
ようやく母親を見つけて安堵するとともに、両親が大好きな自分と宗教への不信感が拭いきれない自分を見つけ、それでもちひろは大好きな両親と一緒にいようと決意するのだった。
ちひろはバランスをとれたのだ。まだ芦田愛菜のいうように「揺るがない自分」は持っていないけれど、少なくとも今この瞬間は。
映画「星の子」感想
すごく味わい深い余韻たっぷりの映画だった。新興宗教と闇を取り上げるでもなく、周りにいる第三者の陰湿な行動をクローズするでもない。
子どもの揺れ動く思春期を上手に表していた。
芦田愛菜はもちろんのこと俳優陣の演技も素晴らしかった。岡田将生のあの雰囲気は「悪人」で一度見たけれど、クズ感が滲み出ているし、黒木華の少し不気味な清楚感も役柄にぴったりだった。
もっと評価されてほしい映画。
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