「LAMB ラム」は2022年公開の映画。アイスランドに住み、羊飼いを営んでいる夫婦が異形と出会うホラー。
ある日、羊から生まれてきたのは、羊ではなかった。2人はソレを育てようとするが、、という話。
あらすじが、ホラーに寄せているので、もっとおぞましい話かと思ったらそうでもない。
どちらかと言うと羊ではないナニカの愛くるしさもあり、ファンタジー感さえ漂うし、このまま幸せエンドコースも、あって良かったのでは?と思うほど。
しかし、そこはA24が手掛けているだけあって一筋縄ではない。不気味さの中に幸福感を感じるホラー映画になっていた。
ここでは、アダが生まれてきた理由やマリアとの関係性、ラストの考察までを書いていく。
LAMB ラム(2022)
4点
ホラー
バルディミール・ヨハンソン
ノオミ・ラパス
- 羊から生まれた羊ではないナニカ
- 異様な空気感に垣間みる幸福な生活
- A24の独特なホラー
- 羊が怖かわいい
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映画「LAMB ラム」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
マリア | ノオミ・ラパス |
イングヴァル | ヒナミル・スナイル・グブズナソン |
ペートゥル | ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン |
映画「LAMB ラム」ネタバレ考察・解説
アダの父親の正体とは?
(C)2021 GO TO SHEEP, BLACK SPARK FILM &TV, MADANTS, FILM I VAST, CHIMNEY, RABBIT HOLE ALICJA GRAWON-JAKSIK, HELGI JOHANNSSON
結論から言うと、アダは空想上の怪物であるが、ラムの世界に存在する。この世界には羊の顔をして、人の身体をした怪物がいる。
それは牛人であるミノタウロスのような化け物だ。
なぜ、そんな怪物がそこにいるのかの説明はとくにない。人間のエゴの力が及ばない自然の脅威を象徴したような存在であるとされている。
その理由は後述する。
アダはなぜ生まれたのか?
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ある日、羊から生まれた子供は羊のようで羊ではないナニカがアダ。
アダは、前触れもなく急に生まれてきたかのようだが、これは冒頭に伏線が張られている。
映画の始まりである雪の夜、馬がカメラに向かってくるシーンがあるが、急に何かを見て進路変更をしている。
これは、物語のラストでイングヴァルを撃ち殺した羊の頭をもつ怪物に出会ったことを示している。
動物の中で羊の頭をつけた怪物がどのように恐れられているかは不明だが、馬だけでなく羊や犬も怪物を見て怯えていることは確かだ。
その怪物が、マリアの家で飼われている羊の納屋に忍び込み、アダの生みの親である羊にタネづけしている。
その結果、犠牲になったのがアダの母親であり、アダはその怪物と同じ形で生まれてきたのだ。
マリアがアダの母親を殺した理由
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マリアは、チャプター2でアダの母親を殺してしまう。母羊は、ずっと自分の息子がいることを知り、家のそばから離れなかった。
マリアは何度も執拗に来る羊の存在を疎ましく思っていた。
マリアは以前、幼子を亡くしている。具体的な説明はないが、チャプター3でアダという名前のお墓が映ったことで判明するし、冒頭でも夫婦の会話でタイムマシンがあれば過去に行きたいと匂わせてもいることから明らかである。
その結果、生まれてきたアダを死んだ我が子の代わりにしようとしているのだ。
イングヴァルが弟のペードゥルにこの状況を聞かれた時も「幸福」を口にしていた。つまり、幼くして亡くなった子供の生まれ変わりだと信じている。
留守中にアダが連れさられ(正確には取り戻されだが)その後も執拗に家から離れず、悪夢さえ見るようになったマリアは、母羊を殺害する。
生みの親である母親の存在を気づかせないため、アダには羊ではなく人間の娘と思わせるために。
この後も、アダが羊の群れと一緒にいるシーンはないし、あえて合わせないようにしている節がある。
ペードゥルとマリアの関係
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ペードゥルがマリアの家にやってきたとき、不倫関係を匂わせる発言がたびたび現れる。
明確に語られてはいないが、過去にそう言う関係にあったことが想像できる。それはいつか。
おそらくだが、過去に子どもを亡くしたとき、夫婦関係にも亀裂が入った。マリアの精神状態は崩壊し、ペードゥルとの関係を持ったものと思われる。
アダ以外のお墓も他に2つあったため、もしかしたら複数の子供を亡くした可能性もある。いずれにせよ、その心中は想像を絶する。
しかし、マリアの心はアダに向いていた。今までのように過去に縛られて、自暴自棄になっていたマリアではない。アダを本気で愛し、生きる意味を見出していた。
だからマリアはペードゥルの誘いを断り、離れるように言ったのだ。
ラムのラストが意味するもの
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冒頭に現れ、アダの父親となった怪物は、息子を取り返しに再びやってきた。それ以前にも犬が怖がって逃げるシーンがあったため、何度か探しにきているようだ。
しかし、ついにマリアたちが母羊から子供を奪ったことを知ってしまう。
子どもの服を着たアダと出会ったからだ。怪物はアダを取り返すため銃を手に取り、イングヴァルを殺した。
夫を殺され、アダも失ったマリアは途方に暮れてラストシーン。
どうしてもマリア側に感情移入してしまうが、もともと子を奪ったのはマリアである。
子どもを亡くし、自暴自棄になったマリアには、希望を取り戻すために母親になる必要があった。
しかし、生まれてきたアダが、羊の姿をしていないことについて、都合の良い解釈、理由を与え、生みの親から子どもを奪い取ったのだ。
因果応報と言わんばかりに、奪ったものは奪い返されるという話。
アダは戻ってくるのか?
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物語のラストで、アダは羊の怪物に連れて行かれるが、この後どうなったのか。
死ぬ前にイングヴァルは、アダに家への帰り方を教えている。「ラジオを消してくれ」とお願いしたイングヴァルの言うことを聞いたことから、アダは人間の言語を理解している。
また、姿形は違うが、アダやイングヴァルからの愛情を受けており、慕っていることも確かである。イングヴァルが撃たれた後もそばを離れようとしなかった。
産みの親を殺されたと言う事実を知らないアダは確かに2人を愛している。
そして、生みの親である父親を怖がってもいる。しかし、その一方で鏡の中にいる自分は、羊の怪物そっくりで、自分はマリアやイングヴァルの子どもではないことも理解し始めている。
邦画「八日目の蝉」や、「流浪の月」でもあったが、幼いときに受けた愛情は大人になった後の行動にも大きく影響している。
また、マリア役のノオミ・ラパスは、インタビューの中で、こう答えている「子どもが誘拐された先で成長した場合の研究結果を見たが、成長したあとも、育った家に戻ってる。それが彼らにとっての普通だからだ」と。
しかし、マリア自身もアダがいずれいなくなることを悟っていた節がある。ラストシーンの悲しみに暮れるもどこか、全てを受け入れているような表情は、アダがいずれ自然に戻っていくことを知っていたのではないだろうか。
これもノオミ・ラパスがインタビューの中で「マリアは全てを感じ取った上で、アダとの時間を過ごしていたのだ。借りている時間を過ぎて、彼女は解放されたのだと。だからマリアは羊の怪物を追わないし、アダを探すこともない。」
ラムとキリスト教の関係
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ラムはどこか宗教的な話のように見える。羊はキリスト教と密接に関わっている。
神の子羊という言葉が聖書の中に出てくるが、それはイエスキリストのことを指している。
つまり、アダはイエスキリストを指していて、マリアはイエスキリストの聖母マリアを連想する。
冒頭ではクリスマスの日に羊の怪物がやってきて、子供を授かる。ヨハネの福音書の一章29節では神の子羊について言及がある
その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」
ヨハネの福音 第1章29節
15世紀に描かれたヘントの祭壇画でも中央に子羊の絵が描かれており、これもイエス・キリストを表しているのだ。
つまり、神の子であるアダを迎え入れ、神に仕えることが使命なのだとマリアは考えたのだ。
だからこそ、ラストシーンでは途方に暮れた顔ではなく、役割を果たしたという達成感のようなものが混じっていたと考えられる。
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コメント
コメント一覧 (2件)
はじめまして、いきなりコメント失礼します。
興味深い考察を読ませていただきました、ありがとうございました。
ひとつ気になったのですが、アダは女の子(娘)ではないですかね?
映画の中でもそういう言及があったので……
コメントありがとうございます。
記事を読んでいただいてうれしいです。
確かに調べてみると娘でしたね。。ご指摘いただきありがとうございます!修正いたしました。