映画「大いなる自由」は2023年公開のドイツ映画。
自分が今いる世界の価値観で作られた法律は本当に正しいのか?
今の目線から見ればバカバカしく見える法律が、その時代の正義だった。正義に裁かれた者はすべからく悪なのか?
この映画は自分のアイデンティティを世界に否定された男の半生を描いた作品。オーストリアの同性愛禁止法により逮捕されたハンスの刑務所生活と、ムショ仲間のヴィクトールとのキズナを通じて描くヒューマンドラマ。
ストーリーは冗長な部分も多く、ヴィクトールとのキズナも特筆するような出来事も起こらないので男同士の友情ドラマとしての魅力は少ない。
しかし、同性愛だという理由で刑務所に連れて行かれ、人格を否定されることが当時あったのだと考えると、今の時代に私たちの多くが正義だととらえているモノについても疑問を抱かざるをえない。
私たちがSNSで正義を理由に怒っていることは、明日には価値観がガラッと変わってもおかしくないのだ。
映画「大いなる自由」について、ネタバレをしながら内容を紹介していく。
大いなる自由
(2023)
2.6点
ヒューマンドラマ
セバスティアン・マイゼ
フランツ・ロゴフスキ、ゲオルク・フリードリヒ
- 同性愛禁止法によって逮捕された男の半生
- 世界にアイデンティティを否定された男は本当に悪なのか?
- イカれた世界の価値観の正義とは
- ストーリーは冗長で、人間ドラマとしての魅力は薄い
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映画「大いなる自由」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
ハンス | フランツ・ロゴフスキ |
ヴィクトール | ゲオルク・フリードリヒ |
レオ | アントン・フォン・ルケ |
オスカー | トーマス・プレン |
映画「大いなる自由」ネタバレ考察・解説
1945年に何が起きたのか?
(C)2021FreibeuterFilm・Rohfilm Productions
物語のキーとなるのは、ドイツで制定された刑法175条による男性の同性愛を禁止した法律。
ドイツ帝国成立後(1871年)に制定され、1994年に撤廃されるまで続いた男性の同性愛を禁止したドイツの法律。
驚くべきことに1968年まで同性愛は刑事犯罪だったのだ。ジェンダー差別どころの話ではない。社会全体から悪とされ、1968年でも逮捕されれば2年の実刑。
自分の持つアイデンティティが否定され、ありのままの自分は悪い人間なのだとつきつけられる恐ろしさといったらないだろう。
ゲイであるハンスは、禁止されている行為に及んだとして逮捕されている。ユダヤ人でもあったハンスは第二次世界対戦では強制収容所に入れられ、終戦後もそのまま刑務所に収監された。
腕に彫られていたタトゥーはナチスが人体を管理するための番号だった。
収監後、同房にいた麻薬中毒者のヴィクトールも同性愛を激しく嫌悪しているような男だったが、ハンスのタトゥーを見て彼に同情する。
そして、番号がわからなくなるように新たなタトゥーを彫り、だんだんと2人のキズナは芽生えていく。映画を通じてハンスはずっと刑務所の中にいるように見えるが、実際には何度も逮捕されて繰り返し入所している。
「大いなる自由」は1945年、1957年、1968年にフォーカスを当て、その中で起きた出来事を振り返る形で話は進む。
ハンスが強制収容所から戻った1945年より、1968年の方が若く見えるのも出来事の恐ろしさ物語る。ユダヤというだけで連行され、その後はゲイというだけで逮捕される。
何度逮捕されても生き方を変えなかった男の映画である。
1957年に何が起きたのか?
(C)2021FreibeuterFilm・Rohfilm Productions
1968年は、若い教師のレオと関係を持って逮捕されていた。
レオと愛し合っていたハンスは、ヴィクトールに「昔を忘れたのか?」と警告を受けることになる。
それは1957年に起きていた悲しい出来事だった。
このときは、ハンスはオスカーという男と愛し合っていたが、逮捕されてしまう。
長い刑務所生活の中でハンスは2人で密会する方法を知っていた。
夜、看守の言葉を無視すると、罰として牢屋から出されて一晩中寒空の下に放置された。しかし、その場所は独房のように1人ではなく、他の囚人たちも一緒だった。つまり、2人は一緒にいることができたのだ。
日中は2人で話せる距離感になく、給仕係だったヴィクトールに仲介を依頼し、密会を行なっていた。
ハンスにとっては、自分のアイデンティティを否定されようとも関係なかった。彼は自分自身の意思をはっきりと持って行動し、国から犯罪者として扱われようとも己を曲げることはしなかった。
しかし、175条で逮捕されたすべての人間が強いわけではない。
ハンスが愛した男は、一緒にいてもどこに行こうとも逃げられない現実を悟り、自殺をしてしまうのだ。
ハンスはこの出来事に深い悲しみを抱いていた。
自分自身のアイデンティティを国から世界から否定され、どこにいっても自由などない。
自由を手に入れるには己自身を否定して生きなければならない。どれほど屈辱的でどれほどの精神的苦痛を伴うのだろうか。
ラストの意味
(C)2021FreibeuterFilm・Rohfilm Productions
そして、1968年。ハンスはまた若い教師のレオを愛する。
しかし、ヴィクトールに言われたことで過去の後悔を思い出し、レオの罪を被り、逃すことを決意する。
自分は曲げなくても、相手を苦しめている事実が苦しかった。愛しているがゆえの行動だった。
同じく常に収監されているヴィクトールとの20年来のキズナは深まっていった。この頃には昔と比べて独房の中も自由さがあった。
彼らの人権は確実に回復していた。一方で、ヴィクトールは長年の薬物中毒により廃人一歩寸前だった。
ハンスは、ヴィクトールを助けるため、薬物中毒からの脱却を図る。
そんなおり、ハンスは175条が改正されたことを知る。自分が今まで犯してきた罪は、裁かれる対象ではなくなったのだ。
しかし、ハンスには「大いなる自由」は、嬉しい出来事などではなかった。20年以上刑務所を出たり入ったりしていた男にとって、すでに自由は苦痛だった。
また、合法になった後もバーの地下ではハッテン場が用意され、同じ性癖を持った人間たちが日陰者のように隠れて行為にふける。
時代が違うという理由だけで何度も逮捕され、大切な恋人も亡くした過去も持つ。非人道的扱いを受けてきたハンスにとって自由は絶望だった。
合法化された世界から不自由な世界に戻るため、ハンスはブティックのガラスを割り、時計を盗む。
それは現代の価値観でも変わらない初めての「悪いこと」だった。
人類は月に足を踏み入れた時代、刑務所という小さな世界からハンスは抜け出せなくなっていた。
自己のアイデンティティが全否定され、「悪」とレッテルづけられる恐怖は伝わるが、全体的に流れが冗長で、大きな盛り上がりどころがあるわけでもない作品。
観る人を選ぶところはあるが、SNSで他者の関係性も知らずまま一部の行為だけを見て「悪」だと定義され炎上する現代にも通ずるものはある。
本当にそれは「悪」なのか?当事者間のことを知らぬまま断罪する行為を、もう一度見つめ直す良い機会になるだろう。
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