「コーダ あいのうた」は、2022年公開の映画。
家族全員が聴覚障害を抱える中で唯一の健常者である娘のルビー。
歌うのが好きだったルビーは、シンガーとしての才能を見出される。しかし、家族にはサポートが必要なので家を出ることは叶わない。家族と共に生きるか、自分の夢を掴むか。家族x青春x音楽のヒューマンドラマ。
2016年公開の「シング・ストリート」主演であるフェルディア・ウォルシュもルビーの同級生役として出演。「コーダ」も同じく音楽の良さが際立つ映画だった。
「コーダ あいのうた」
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「コーダ あいのうた」映画情報
タイトル | コーダ あいのうた |
公開年 | 2022.1.22 |
上映時間 | 112分 |
ジャンル | 家族 |
監督 | シアン・ヘダー |
映画「コーダ あいのうた」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
ルビー | エミリア・ジョーンズ |
フランク | トロイ・コッツァー |
レオ | ダニエル・デュラント |
ジャッキー | マーリー・マトリン |
ベルナド・ヴィラロボス | エウヘニオ・デルベス |
マイルズ | フェルディア・ウォルシュ=ピーロ |
ガーティー | エイミー・フォーサイス |
ブレディ | ケヴィン・チャップマン |
映画「コーダ あいのうた」あらすじ
家族の中でたった⼀⼈“聴者”である少⼥・ルビーは、「歌うこと」を夢みた。そして、彼⼥が振り絞った⼀歩踏み出す勇気が、愉快で厄介な家族も、抱えた問題もすべてを⼒に変えていくー。
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映画「コーダ あいのうた」ネタバレ感想・解説
ネタバレ あらすじ
(C)2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS
「コーダ あいのうた」は、聴覚障害を持つ家族と健常者の娘の話。
父と母、兄との4人暮らし。末っ子のルビー以外の3人は聴覚障害を持っており、耳が聞こえない。
家は漁で生計を立てているため、ルビーは朝早くから一緒に船に乗って手伝っていた。
人手が足りないというよりも、耳が聞こえないため船の無線が聞けないというのもあったし、漁獲した魚を売る交渉も行っていた。
漁は朝早いので授業では居眠りしたりと、学校では少し浮いていた。
ルビーの家族は明るい家庭で、父と母はとにかく仲が良い。
良くも悪くも周囲を気にしないため、年頃のルビーは嫌がっていた。
父がオナラをしたときは、「オナラが臭いのは聴覚障害者も楽しむため」だとか、兄がマッチングアプリで女性を選んでいると、母親が割り込んできて意見をいったりする。
そんな両親が良いかどうかは置いておくとしても、ユーモアのある家庭であることは窺える。
でも家計は余裕があるとは言えないし、そんなときに組合から船の監視員をつけることを義務づけられたりして前途多難な状態だった。
そんなときルビーは歌に出会う。
もともと歌は好きだったので船の上で歌ったりしていたが、家族は耳が聞こえないのでどんな声なのかわかっていなかった。しかし、所属した合唱部で歌声の良さに気づかれる。
これがまた、素人目に見ても明らかに良い声。
とても素人が漁猟中に歌っていただけとは思えないほどに美しい。
というわけで音楽大に進むことを先生から勧められるが、家族のサポートと音楽の両立が難しく苦難する。
家族は聴覚障害をもっていても普通に暮らしていけるが、漁で生計を立てるには難しい部分もあった。
アメリカでは、漁獲可能量が決められているなど漁猟に関するルールが厳しく、さらに耳が聞こえないことをいいことに漁業者に魚を安く買い叩かれたりと、ルビーがいないと不利な状況もあった。
アメリカの漁業では、総漁獲可能量が魚種ごとに厳格に決められていて、さらに多くの漁業では個別の漁業者やその団体に漁獲枠が分配されているらしい
sakanadia
家族としてもルビーの存在は働きとしても大事だったが、母親はとくに家族としてルビーが離れることを嫌がったりもした。
しかし、合唱部のコンサートに来て、両親はルビーの夢を応援する決意をする。
念願の音楽大学にも合格し、晴れて音楽の道へ進むのだった。
CODAというタイトルの意味
(C)2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS
日本にはあまり馴染みのない「CODA」というタイトル。この言葉は、耳の聞こえない親を持つ子どものことを指している。
「この言葉は1983年のアメリカで誕生しました。さらに言うと、18歳以上はCODA(Children of Deaf Adults)ですが、それ未満はKODA(Kids of Deaf Adults)と表記します」
HUFFPOST
「コーダ あいのうた」は、聴覚障害者の置かれる立場や、同じ職業でも健常者と異なる生きづらい部分を描く。
この映画は、実際に聴覚障害者を俳優として起用している部分も絶賛されている理由の1つだ。
話し方はもちろん、聴覚障害者ならではの家具の配置までにこだわって作られているので、細部までリアリティーが感じられる作りになっている。
最初に耳の聴こえるスタッフが配置した家具についても「聴覚障害者のいる家庭ではこういうふうに家具は置きません」と指摘がありました。部屋のどこにいても、人が入って来たかがわかるように必ずドアが見えるように置き、視覚で物事を捉えやすいように、円を描くように物を配置するそうです。
東洋経済
この映画がもう1つ素晴らしいと思うのは、障害者が頑張って生きる姿をフィーチャーするのではなく、あくまで家族の絆について描いている点だ。
ルビーの家は確かに聴覚障害者しかおらず、普通の家庭とは違うハンディキャップを持っているのは事実だ。
しかし、だから不幸ではない。だから可哀想でもない。家族は仲が良く、絆も深い。
父と母はまだセックスするほどに愛し合っている。
家族でケンカもするし、本気で嫌になったりもする。
その発端は聴覚障害に関することがきっかけではあるものの、つまるところ、よくある家族間のトラブルだ。
娘の夢を応援したい気持ちと同時に、家族が生きていくには娘の助けが必要なのだという事実も存在する。
母親は娘が新しいことに挑戦することを恐れているし、父親は新しい扉を開くことを応援しようとする。
「レディ・バード」でも同じように思春期の娘と母親が衝突していたのも、我が子を思うあまりの過保護さが衝突の原因だった。
(C)2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS
しかし、見る人が違えばそれはうらやましがられる対象になる。
例えばマイケルの両親は健常者であるが仲が悪いし、そのことでマイケルは傷ついている。
だから、ルビーの両親がコンドームについてレクチャーしたときは悪い意味でなく笑い、それを友人に共有した。
つまり、障害者=不幸という図式ではない。
「コーダ あいのうた」で表現されるのは、聴覚障害を乗り越えた先に奇跡が起きたなどという安い感動ポルノではない。思春期を迎えた娘と家族の絆である。
そこに聴覚障害はエッセンスとして乗るだけで、あくまでCODAの現在の問題点を描いているのみだ。
この映画は「子どもの親離れ」「親の子離れ」に尽きる。それ以上でもそれ以下でもない。
親にとってはいつまでも子どもだし、子どもはいつまでも子ども扱いされることに腹を立てる。
それは日本でもアメリカでも、障害があろうとなかろうと変わらない事実なのだ。
声が良いし音楽も良い。聴覚障害者への音楽のアプローチの仕方も良い。
ルビーの恋愛における初々しさも良かった。
兄とルビーの友人がすぐにセックスをし始めたりするところに、フレンチキスだけでポッとしてしまうところに日本人のような奥ゆかしさと通ずるところがあり親近感が湧いてしまった。
パンデミックで疎遠になった人間関係を再確認するならおすすめの映画だ。
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