映画「レディ・バード」ネタバレ感想と考察 国境を越えても変わらない価値観がここにある

映画「レディ・バード」鑑賞。

いままでアメリカの日常映画はその価値観だったり、人間性が違うという先入観からか共感できない部分があったのだけれど、レディ・バードを観て気づいたことがある。

お国柄の違いは文化の違いはあるものの、人間の価値観は大して変わらないのだと。

主人公の通う高校にもスクールカーストによる優越感や劣等感がうずまいていて、都会へのあこがれがあり、性へのあこがれがある。

行動は文化によって変わるが、感情は共通なのだ。

それが分かっただけでもこの映画は大きな価値があるし、人間の持つ共通の悩みは大して大きな問題ではないと悩んでいる誰かに気づいてほしい。

当レビューでは、価値観が共有できた点とこの映画の持つテーマについて考察する。

映画「レディ・バード」で分かる日本と異なるアメリカ事情

考察の前にお国柄の違いによって、知っていると映画を深く楽しめることを紹介する。

アメリカの大学事情

大学の学費の高さでもめていた。

日本でも大学の学費は安くない。国立ならまだしも私立は高い。

しかし、アメリカではさらに高いらしい。

この記事によると、アメリカの学費は日本の3倍以上あるのだそう。

裕福な家庭でないと大学に入れそうにない。

しかし、地元の大学に入るとかなり安く入ることができるとのこと。

これでは母親が反対するのも無理はないということだろう。

ちなみに奨学金は、日本と違い返済義務がないものがほとんどとのこと。


アメリカで「scholarship」といえば、普通返済義務はありません。また、継続して支払われるのではない一時金として支給される援助については、一般的に「grant(グラント:給付金)」と呼ばれます。

引用:マイナビ学生の窓口

プロム

レディ・バードがカイルを男として最低だと思っても、別れてでも行きたがったプロム。

日本ではなじみがないが、アメリカの一大イベントらしい。

高校生活最後の学期を迎える4年生に向けて行われるフォーマルなダンスパーティで、数ヶ月前になれば学校中がその話題で持ちきりになるほど高校生にとっては学生生活においても一大イベントと言えるでしょう。

引用:English pedia

このためにペアの相手を探し回る。まさにリア充のリア充のためのリア充によるイベントなのだ。

カイルに幻滅しながらも、プロムに誘うレディ・バードの孤独で惨めだと思われたくないという気持ちがよく現れているし、地元の高校のイベントを大事に想っている一幕でもある。

現にカイル達は、プロムに興味がなく別かれてしまい、ジュリーと一緒にプロムへ行く。

レディ・バードはプロムを心から楽しんでいるわけだ。

高校生の車事情

アメリカでは16歳以上は免許をとることができる。州によってはもっと若いときにとれるらしい。

車がない場合は、レディ・バードのように送ってもらうかスクールバスを利用する必要がある。

そしてこの車を購入するということが、一種のステータスになっていたりして、そこにスクールカーストのような存在を生んでいる。

レディ・バード ネタバレ考察 共通の価値観とは

田舎の閉塞感と都会へのあこがれ

私は田舎の出身だ。といっても何もないわけでもなく、それなりに欲しいモノは手に入るし遊ぶ場所にも困らない。

レディ・バードで出てくる主人公ほどには田舎でもないけれど、都会に憧れていたし今も憧れないわけでもない。

大した根拠はないが、田舎に住んでいる人には2種類の人間が存在するのではないか。

「都会にあこがれる者」と「地元を愛している者」に分かれる気がする。

このどちらかに属するかによって、幸福度は変わってしまう。

学生時代、人生を楽しんでいる者はおおよそ「地元を愛している者」だ。

好きな場所にいる人の方が、その場所に不満を抱いて生活している人に比べて幸福度が高いのは当然だろう。

今の生活の何らかの不満が色々なモノが手に入るという幻想にまどわされ、都会へ出れば何かが変われると考えるのだ。

しかし、現実はそう甘くはない。

変わった者は確かにそこで行動した者だけだ。

結局は人の努力によるし、それは都会でも田舎でも関係ない。

これはアメリカでもそうらしく、都会(ニューヨーク)に出れば何かが変われると信じているわけだ。

しかし、自分の価値観を飛び越えてもうまくはいかない。

カトリックが嫌でニューヨークに出てきたのに、無神論者の男とは口論になり、教会へ行く。

物事には必ず表と裏があり、地元にも良いところと悪いところがある。

その悪いところばかり見ていると人生を楽しめない。

そして新しい街に来ると気づく。

自分の住んでいた街に、自分の精神は深く影響を与えられていたことに

地元も家も家族も好きだったということに。

アメリカにも存在するスクールカースト

主人公は、自らの自宅を線路沿い(スラム)と称するほどに貧乏な地域に住んでいる。

それを気にして、家の場所について嘘をつく。父親に学校まで車で送ってもらうのが嫌で途中から徒歩に変える。

自分の今いる世界を飛び越えて、キラキラしている場所に自らを当てはめようとする

でも本当に「カースト」という名がつくようにその場所に優劣が存在しているのだろうか。

ただ、住んでいる世界観が違うだけなのではないか。

自分の世界を超えて飛び出して、無理にその世界観に合わせて行動すると必ず破綻が生じる。

そのためにレディ・バードは大切な初体験を失い、親友を失いかけている。

まぶしく見える場所に無理して自分を合わせても、苦しくて楽しくないだけなのだ。

スクールカーストではなく、ただのグループであることを知るべきだとこの映画は伝えている。

自我が強いうえに衝突する母娘

母親はうるさい。

何か言うと文句ばかり言う。今これを見ているあなたが未成年であればそう感じる人も少なくないだろう。

しかし、総じて言えることは、親は子への愛情でいっぱいなのだ。だからこそ怒ってしまう。価値観が違うと不安になり、否定してしまう。

「そんなこと知るか」と子は言いたくなるだろう。でもそれでいい。ただ父も母も同じ人間なのだ。

ちょっと長く生きて経験しているだけで、すべてが正しいわけもでないから。

変わらないのは、愛情があるという事実だけだ。

虐待のニュースであふれている昨今、そうではない親も確かにいる。

しかし、多くの親は愛情にあふれている。

この映画は実にリアルだ。

母親が部屋が汚いだの、進学の問題などうるさい部分もあれば、娘の好きそうな服をピタリとあてたり、辛いことがあれば一緒に共感したりする。

このリアルな母親像がこの映画の魅力を引き立てている。

ニューヨークへ飛び立つシーンでは、母親の愛情と強がりであふれていた。

映画「レディ・バード」のテーマ

この映画のテーマは、レディ・バードの母が言っていた。

「成功と幸福は違う」

成功はただ成功したという事実だけだ。

一見、成功してそうな人たちと無理に一緒にいようとしても幸せにはなれない。

幸福と感じるのは自分の意識の中でしかない。

レディ・バードは、「父親は不幸だ」と言った。

本当にそうなのだろうか。

確かにお金のことで悩み、将来の暮らしに不安を覚えながら生きていくのは幸せとは言い難い。

そう言われた母親も反論しなかった。

でも、別の一面を見てほしい。

子ども2人に恵まれて、一緒にクリスマスを祝う家族がいて、二人とも大学まで卒業している。

父親は、それを幸せだと感じているのではないだろうか。

親は子のことを常に想っている。ケンカをしたりしながらも一緒に笑いあえる家族がいることは、幸せに感じる十分な理由であるはずだ。

あとがき

この映画は2018年末にハッシュタグ「#2018年映画ベスト10」を元に作成したランキングで13位だった映画だ。

13位でこのおもしろさ。確かに数々の映画賞を受賞しているので有名ではあるのだが、いわゆるエンターテインメント映画とは違って大きな盛り上がりどころがない。

しかし、飽きない。見ごたえのある映画をきちんと評価するTwitterの映画垢の方たちには頭が上がらない。

13位でめちゃくちゃおもしろいのだ。

10位以内のおもしろさを想像するだけでわくわくする。

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この記事を書いた人

kuroshirosunsun

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