映画「複製された男」は2014年に公開された映画。
「メッセージ」「ボーダーライン」を手がけたドゥニ・ヴィルヌーブの初期作品。そして「A24」が関わっている作品でもある。
大学講師のジェイク・ギレンホールが、自分と全く同じ顔をした男と出会うミステリー作品。
正直、めちゃくちゃ難解な映画だったけれど、仮説を立てながら進めていったところ、ある結論に導かれた。
この映画は、現代に生きる男性の抑圧と悲哀を表した映画である。
なぜ、そうなるのか今から説明する。
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「複製された男」映画情報
タイトル | 複製された男 |
公開年 | 2014.7.18 |
上映時間 | 90分 |
ジャンル | ミステリー |
監督 | ドゥニ・ヴィルヌーヴ |
映画「複製された男」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
アダム、アンソニー | ジェイク・ギレンホール |
メアリー | メラニー・ロラン |
ヘレン | サラ・ガトン |
母親 | イザベラ・ロッセリーニ |
映画「複製された男」あらすじ
大学講師のアダムは、ある日同僚から1本のビデオを薦められる。応じるままに鑑賞した彼は、その映画の中に自分と瓜二つの端役の俳優を発見する。あまりのことに驚きを通り越し恐怖を感じたアダムは、翌日から取り憑かれたようにその俳優を探し始める。アンソニーという名前を突き止め、気づかれないよう遠くから彼を監視するうちに、どうしても会って話しがしたくなったアダムは、遂にアンソニーに連絡する。その週末二人は対面し、顔、声、体格に加え生年月日も同じ、更には後天的に出来た傷までもが同じ位置にあることを知る。どちらが”オリジナル”でどちらが”ダブル”なのか―。なぜ自分と全く同じ人間が存在するのか―。アイデンティティの危機をミステリー仕立てで描いた衝撃作!
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【ラストの意味まで完全解説】「複製された男」ネタバレ考察
カオスは未解読の秩序の意味
この映画の最初にある文章が表示される。
「カオス(混沌)は未解読の秩序という」タイトル。
これは、
- 今から混沌とした光景を見せるという意思表示
- 混沌と感じるのは理解していないからだ
という2点を伝えている。
つまり、解読できたときそれは秩序の中に収まる、きちんと論理的に説明できる内容だということを言っているのだ。
一見しただけでは混沌とした世界に入り込んだかのようなこの映画。果たしてどう説明できるのか。
そのキーワードは蜘蛛にある。
そう、一番混乱した元凶に答えが隠されている。
「複製された男」に出てくる蜘蛛の意味
蜘蛛。害虫ではないのに見るだけで気持ちが悪い節足動物。蜘蛛は映画の中に何回か登場する。
- 怪しい部屋で女性のハイヒールに踏まれる寸前の蜘蛛
- アダムの夢の中で登場する蜘蛛の顔をした女性
- 街全体を這う巨大で足の長い蜘蛛
- ヘレンの部屋でアダムが見た蜘蛛
その全てがなんの脈絡もなく、一見して無関係のように思えるものばかりだ。
蜘蛛にはどんな意味があるのか。これはユングの説く深層心理学から見て取れる。
蜘蛛にはポジティブなイメージとネガティブなイメージの両方がある。ポジティブなイメージは、自立や新生活のようなものもあるのだけれど、「複製された男」で出てくるのはネガティブなイメージだ。
蜘蛛には
- 縛りつける女性
- 束縛する母親
というネガティブな意味がある。
つまり、女性による抑圧を象徴していることを知っておく必要がある。
では、冒頭のシーンを思い出してほしい。怪しげな部屋で裸体の女性が悶える様子を男どもが取り囲み凝視しているシーン。
そして、蜘蛛を踏み潰そうとする描写。
あれは束縛からの解放を暗示している。
アンソニーは彼女が妊娠中におそらく浮気をした。まぁそれは男が悪いでしょと言えばそうなのだけど、男として特定の女性としか関係を持てないことにフラストレーションをためているのがアンソニーだ。
アダムも同じだ。母親から何回も着信があったり、いい歳をした息子の暮らしぶりに干渉してくる。
それに、彼女であるはずのメアリーが帰って来たとき、明らかにため息をついている。アダムは気が弱く自分が女性に対して優位に立てておらず自分の意思を抑圧している。
性行為についても自分中心にはならず、行為が終わればそっけなく、彼女にその気がないと拒否される立場の弱い男性だ。
アダムは自身の講義で「独裁」について語っていたが、ここで繰り返されている「独裁」というのはアダムにとっての女性のことだ。
そしてそれはそのままアンソニーにも当てはまる。抑圧や束縛がプレッシャーが原因で、アンソニーは夜な夜な怪しいクラブに出入りしている。
夢の中で蜘蛛の顔をした女性と出会うのは、まさに「蜘蛛=女性」というイメージをアダムが持っていることの証明である。
街全体を這う巨大で足の長い蜘蛛も同じ。
これは、再び女性に縛りつけられるという切迫感を表現している。
そしてラスト。アダムが見たものは頭だけでなく姿形まで蜘蛛になったヘレンである。
女性を蜘蛛として表現し、絡みついた糸により現代社会で生きにくくなった男たちを表現している。
男の抑圧からの解放という願望に、それが許されぬ現実と悲哀を描いたのが「複製された男」という映画なのである。
複製された男のタイトルの意味
タイトル「複製された男」。原題は「enemy」なのだけど邦題にも少しヒントがある。
つまり男は何者かに複製されたということだ。これが誰かという話なのだけど、今話した蜘蛛というキーワードから女性の誰かになる。
そう、複製した原因は母親だ。
ただし、複製されていることを母親は分かっていないと思われる。
ここで母親とアダムが会って話していた時のシーンを思い出して欲しい。
- ブルーベリーは体に良い
- 三流役者の話はするな
という話をしていた。
アンソニーがヘレンに対してブルーベリーについて話しているシーンがある。その言葉はアダムの母親が言っていることと同じだ。
母親とアンソニーに関係性があることを示唆している。
そして、母親はアンソニーのことを「三流役者」と表現していた。
それは確かに会話の流れの中で説明したのかもしれないけれど、アダムには明らかに戸惑いの表情が浮かんでいた。
「そんなこと話したか?」と。
つまり、母親はアンソニーのことをよく知っているし、話したこともある。
もちろん自分の息子として。
母親はアダムの中に2つの人格が存在していると考えている。けれどもその事実を受け入れられずに妄言として切り捨てているのだ。
母親本人は気づいていなくても、母親という呪縛が息子を分裂させたのは事実。
2人は同一人物だという説もあり得るが、指輪の跡を他者が認識しているのでそれは違う。
では、複製されたというのはどういうことなのか。
その答えを見つけるには、アダムの講義の中で出てきた哲学者ヘーゲルに目を向ける必要がある。
なぜ複製されたのか
ドイツの哲学者ヘーゲル。彼の名言はたくさんあるが、その中でも「弁証法」が有名だ。
世界の物事の発展や変化を本質的に理解するために提唱された法則。
- 最初にある状態から
- 矛盾して対立が生まれ
- 対立を統合してさらなる高みへ昇華する
この論法で世界の成り立ちをすべて説明できる定式のことである。
ヘーゲルは、全ての事象は弁証法によって説明がつくと説いたのだ。
簡単に説明が難しいのだけど以下のサイトで、人間の成長に例えているのでわかりやすい。
〔正〕幼年時代:最初にあるがままの姿。
↓↓↓↓↓↓
〔反〕青春時代:「現実の自分」と「あるべき自分」が分裂し、煩悶する状態。
↓↓↓↓↓↓
〔合〕大人:「現実の自分」が「あるべき自分」となり、統合された状態。
哲学・教養入門ブログ
これを「複製された男」に当てはめるとこうなる。
- 最初に存在したのはアダム
- 抑圧という生存本能の否定から矛盾が生まれアンソニーが複製される
- アンソニーが死ぬことで統合され、アダムは暴力性と優しさを備えた高次元の存在に昇華される
というわけだ。
そしてそれは支配をする者(この映画でいうところの女性)に都合よく生きる人物として。
ちなみにヘレンはアンソニーとアダムが入れ替わっていると気づいていた。
それを知りながら受け入れたのは、アダムという男の方が支配するのに都合が良かったのだろう。
ただ、アダムが高次元の存在になった結果、その関係性は崩壊へと向かったものと思われる。
それは、アダムが持っていたアンソニーの写真に答えが隠されている。
「複製された男」にある本当のラストの意味とは
そして、これがこの映画をさらに複雑にさせている。
「複製された男」の映画の肝は哲学だ。だからアダムの講義で語っていたことに基本的にヒントが散りばめられている。
アダムは、講義の中で「支配」について語っていたが、もう1つ語っていたことがある。
- 独裁の手法は何度も繰り返されている
- 重要なことは2度起こる
実は、ここで起きていることは2度繰り返されている。
気づいただろうか。アダムが最初にアンソニーの存在を認知したとき、すでにアンソニーの写真を持っていた。家の中にあった写真の束の中から1枚の破られた写真を手にしている。
それは、ラストでアンソニーの家に行った時に写真立ての中に飾られていた写真と同じだ。そしてその半分にはヘレンが写っていたのだ。
そう、これがアダムが講義の中で語っていた2度起きるの意味だ。
すでにアダムは経験していることをもう一度繰り返している。
なぜ繰り返したのか。
高次元の存在となってしまったアダムは、ヘレンの呪縛から逃れ破局した。だからその写真は破られていた。
女性(支配者)にとって、完璧に支配することは重要なことであり、そして独裁の手法は何度も繰り返されるためだ。
そして最後にもう1つのメッセージ。
「2度起こることの1回目は悲劇だが、2回目は喜劇だ。」
1度目は支配に置くことを失敗した悲劇だったが、2度目はヘレンに完全にコントロールされた喜劇の世界になるのだろう。
完全に支配された男の世界は、女にとっては喜びであり、男にとっては冷笑的な、まさに喜劇の世界が完成されるのだ。
以上、これが「複製された男」の考察結果だ。
女性を蜘蛛に例えて、男の性の抑圧を隠れたメッセージとして組み込んでいるところがおもしろい。
なぜならこれをストレートに表現したならば、非難の的になるに違いないからだ。
原作者はアダムのように抑圧されているが、逆らえない男なのかもしれない。
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