35年間。
外の世界を知らず、まともな教育を受けずに育った人間はどんな大人になるのだろうか。
虐待を受け育った子は、暴力的になってしまうのだろうか。
「悪い子バビー」は、生まれてからずっと薄汚い部屋で過ごしてきた男が、外の世界に出て刺激を受けていく話。
そこから生まれるのは無垢の天使か極悪のモンスターか。
2023年公開となっているが、1994年にオーストラリアで製作された映画である。
母親からの「部屋の外は猛毒で汚染されている」という教えを守り、部屋から出ずに35年過ごしてきたバビー。冒頭のシーンから、胸糞わるい予感がプンプンする。
言うことを聞かないと母親にののしられ虐待される。そうかと思えば、夜は母親とセックスの相手をして褒められる。不合理で非条理な世界に閉じ込められたバビーはまともに言葉も話せない。
そんなバビーがあるきっかけで外の世界に出ることになる。
親から愛されない子は悪の道へと進むのか?言葉も知らないバビーが現代社会に溶け込めるのか?
しかし、より一層の胸糞シーンになるかと思いきや、物語は想像の斜め上の展開へ進んでいく。
コミュニケーションがままならないバビーは利用され、罵倒される。かと思えば純粋無垢なバビーに惹きつけられ愛する者さえいる。
ただのB級胸糞映画だと思って敬遠するならもったいない。30年前の映画だが映画化されるべき秀でた傑作だった。
バビーはラストにどんな結末を迎えたのか?なぜ母親はバビーを閉じ込めたのか?を踏まえてネタバレしながら解説・考察していく。
悪い子バビー
(2023)
愛くるしい35歳のオッサン、外へ出る
4.3点
ヒューマンドラマ
ロルフ・デ・ヒーア
ニコラス・ホープ
- 胸糞映画ではなく、胸が苦しくなる傑作
- 35年間部屋から出たことのない男の話
- 94年公開のオーストラリア映画
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映画「悪い子バビー」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
バビー | ニコラス・ホープ |
映画「悪い子バビー」ネタバレ考察・解説
バビーはなぜ35年間部屋から出ないのか?
主人公のバビーは生まれたときから部屋の中で暮らしていた。ずっと機械音が鳴り響き、コンクリートの壁に囲まれ、ほとんど光も差し込まない不衛生な場所だった。
暗く陰鬱な部屋で母親と2人暮らしをするバビー。
部屋から出ないのは、「外に行くと汚染された空気の猛毒で命を落とす」と教えられてきたからだ。母親はガスマスクを持ち、出かけるときはそれを着て外出していく。
扉にはしっかりとしたカギが取り付けられるため、バビーは1人で留守番をする。母親が椅子の上から動くなと命令すれば、何時間も座りっぱなしになるが、そこは従順に従う。
「神はいつもお前を見ている」という言葉を信じているためだ。
厳しいしつけで抑圧された人間は、他者に向かって攻撃性が高くなりがちだ。「Pearl パール」では、母に抑圧された人間が猟奇的殺人者と化した。
しかし、バビーは抑圧されていると言う感覚がない。それというのも何の知識も持たないからである。
他人を見たことがないので価値観もわからなければ、言葉を教えてもらえないため、話し声を真似ることしかできない。
虫を捕まえて損壊させるシーンも登場するが、人間が抑圧されたときの鬼畜衝動というよりは、動く物体を猫が捕まえるときのような動物的な本能である。
バビーはなぜ両親を殺したのか?
バビーは家の軒下にやってきた猫を飼っていたが、ある日、ふと疑問に思った。
「外の世界は毒で汚染されているのに、この猫はどこからやってきたのか?」
その疑問を母親にぶつけると、「息をしなければいい」という回答が返ってきた。
自分にはできないことが、猫や他の人はできる。バビーは屈折した知識をつけることになる。
猫にラップを巻きつけ、息ができない状況を作り出す。猫は当然のように窒息死してしまうが、バビーは何が起きているのかわからない。
動かなくなった猫を見ても、死んでしまったと言う事実すらわからないわけだ。
バビーは、「ラップを巻きつけると静かになる」ことを学ぶ。
バビーがいつものように座って母親の帰りを待っていると、突然ノックの音がする。声の主はバビーの実の父親ハロルドだった。
初めての父親の登場に喜ぶものの、ここから35年間過ごした当たり前の生活が壊れていくことになる。
母親は、夫の帰りを信じて35年間息子を育てていた。
ようやく帰ってきたハロルドに心酔し、夜の営みにバビーは不要になった。自分がジャマモノ扱いをされていると感じたバビーは、癇癪を起こして部屋を荒らしてしまう。
2人からひどく怒られたバビーは、1人になることを望む。「ラップを巻きつけると静かになる」ことを学んだバビーは、2人が寝ている隙に顔にラップを巻きつけて殺すのだ。
もちろんここに、「殺意」の感情はない。
だからバビーはいつものように母親が食事を作ってくれるのを待つが、起きてこない。腹をすかしたバビーはとうとう外の世界に出ていくのだった。
悪い子バビーは外の世界で生活できるのか?
外の世界に毒がないことを身をもって知ったバビーは、興味のおもむくままに歩き出す。
バビーにとって外の世界はすべてが初めてだった。車、ピザ、木、母親以外の女性、子ども。
また、自分が暮らしてきた家から聞こえてきた機械音は、印刷工場の音だったと気づく。
知っている言葉は少なく、情景に応じて知っている言葉を並び立てた。そのおかげで起きたトラブルもあれば、物珍しげに親しくしてくれる人もいた。
バビーには善悪の境界はない。人間界のルールで育っていない彼は、集団生活の中でその境界を学ぶことはなかった。
彼の行動は他人がとってきた行動を真似したに過ぎず、状況に応じて使い分けるものの、ニュアンスはあまりわかっていない。
女性に向けては、ハロルドが母親にかけていたような卑猥な言葉を浴びせるし、道に立っている警官を罵倒して殴られる。
お金を奪うという行動も、犯罪だという認識はもちろんない。
純粋無垢なバビーは、真っ白なキャンパスのようなものだった。まだ善にも悪にも染まれる、どちらに転んでもおかしくない、そんな危うさを持っていた。
この表現は、バビーがギグの壇上で当てられたスポットライトから見える顔が印象的だった。顔の右側を当てた場合は悪のバビー、左側を当てれば善のバビー。同じ人間が善にも悪にも転ぶ不安定な状態を表している。
新しい世界の中で、バビーは特に音楽に興味を持った。住んでいた家に流れていた無機質な機械音。音楽さえ知らなかったバビーは、その世界に急激にひきこまれていくことになる。
バビーの世界は音を通じて広がっていく。様々なジャンルの音楽や楽器に興味を持ち、結果的にこの行動によって多くの人と出会い、良い方向に導かれていく。
ラスト 悪い子バビーはどうなったのか?
また、外の世界を知るにつれて、バビーは死というものを知ることにもなる。警察に捕まり、牢屋では男に犯され、出所したあとも女性にボコボコにされる。
外の世界に合わないということを知った彼は家に戻る。しかし、そこにあるのは白線で形取られた母親の枠だけだった。
もう母親がいないことを悟ったバビーは絶望感でいっぱいになる。
絶望の中でバビーは悟った。教会で神父に教えられた「すべての人間は原子を再配列にしたに過ぎない」という言葉から、バビーは、自分の父親になりかわろうとする。
バビーが世界に合わないのであれば、父親になれば良いという考え方である。外の世界に神はいない。そこに存在する全ては元素記号の集まりなのだ。
また新たな出会いがバビーを変えていく。障がい者施設のグループに会ったバビーは、言葉を話せない障がい者の声を聞くことができた。
グループに迎え入れられ、そこで出会ったエンジェルという女性に好意を抱く。エンジェルは、父親を名乗るバビーをバビー本人として認めてくれた。
バビーは母親に似た姿の女性にだけ好意を抱いているが、エンジェルは母親にはなかった自己肯定感を高めてくれる存在となった。
また障がい者の1人がバビーのことを好意的に思ってくれていることを知るが、エンジェルのことを愛している自分が期待に応えられないことに涙を流す。バビーは相手の気持ちも理解できるようになっていた。そして愛というものを学んでいく。
一方で、ピュアな心は、まだ悪に染まる道も残されていた。
エンジェルにも両親がいたが、太った女性を忌み嫌い、人格否定するような親だった。激しく叱責、罵倒されるエンジェルを見て、バビーは静かにさせる方法をとる。
自分の両親にしたときとはまた違う。死を理解している彼は、はっきりと明確に排除する目的でラッピングを使用する。
善と悪の基準がないまま生きてきた彼は、愛するもののためにためらいなく人を殺すことができた。静かになった者がもう戻ってこないことを知っていたが、命を奪うことの重みは理解できずにいた。
「灰は灰に、塵は塵に」という言葉は、キリスト教の表現であるが、死者が自然の循環の一部だということを表すものである。バビーにとって死ぬことは特別なことではなかったし、殺すことがいけないという概念もなかった。
しかし、ある男と出会ったことでバビーはまた1つ学ぶ。
その男は、イスラム、ユダヤ、キリストの宗教の歴史的な殺戮の繰り返しをバビーのラップでの行為に例えて諭した。合わない人間たちをラップで包むことはいけないことだと教えた。
バビーの倫理観がここから真っ当に育つとは限らないが、もともと健常者である彼は物事を理解する力はあった。また、白いキャンパスのような無垢な心は善にも悪にも簡単に染めることができた。
バビーは出会う人に恵まれていた。運が良かっただけではない。それはバビーの純粋な心が、彼ら彼女たちの母性本能に触れたからでもある。
そしてついにバビーは新たな生命を授かる。バビーは外の世界にフィットさせることを学習していったのだ。
胸くそな空気感が蔓延しそうな映画だったが、外の世界に触れてからの流れは一変する。抑圧されない自由には責任を伴うが、人間らしく感じる。
バビーが音楽で自分を表現するとき、エンジェルと愛を確かめ合う時、ラストシーンの子どもと一緒に遊ぶ姿などは、感動的でもあり、子を見守る親の感覚にさえ陥る。
94年の映画だが、今でも色褪せない名作だ。
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