「aftersun/アフターサン」は、2023年の洋画。
思春期になりかけの11才の娘ソフィーと、31才の父親カルムが、トルコで一夏のバケーションを過ごす話。
「11才の頃、30才になったら何をしていると思ってた?」
この言葉にドキリとした人も決して少なくないだろう。無垢で純粋な娘から放たれた無情な刃は、今に満足できていない人に容赦なく突き刺さる。
この映画は、鬱を抱える父親と、思春期の近い娘の話。娘にとっては新たな扉を開ける刺激的な体験であった一方で、父親は深い喪失感を抱えていた。
セリフで語らず、絵のみで表現されているため、ぼーっとみていると、ただただ楽しいバケーションを過ごしているように見える。
娘視点が多いためでもあるが、ときおり差し込まれる父親の行動と、サブリミナルのような映像が、観客に不安を与え続ける。
カルムに何が起きていたのか?ラストにどうなったのかについて解説・考察していく。
aftersun/アフターサン
(2023)
3.6点
ヒューマンドラマ
シャーロット・ウェルズ
ポール・メスカル、フランキー・コリオ
- 思春期の娘と父親が過ごす一夏のバケーション
- 大人の世界を開きはじめた娘の希望と精神的な問題を抱える父親の絶望の対比
- セリフで語らず、絵のみで表現する映画
- 2023年アカデミー賞主演男優賞ノミネート作品
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映画「aftersun/アフターサン」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
カラム | ポール・メスカル |
ソフィ | フランキー・コリオ |
現在のソフィ | セリア・ローソン=ホール |
映画「aftersun/アフターサン」ネタバレ考察・解説
ソフィーは思春期を経験する
(C)Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022
「aftersun/アフターサン」は、一夏の楽しみを描いたほのぼのとした映画ではない。
しかし、思春期を迎えつつあったソフィーにとっては、かなり刺激的な体験だった。それは、未知への扉をこじあけ、大人の階段を登り始めた瞬間でもあった。
避暑地のトルコには、さまざまな年代の人たちが訪れていた。小さい子どもを連れた家族だけでなく、若いカップルも遊びに来ていた。
父親のカラムは、何度か「一緒に遊んでおいでよ」と家族連れの女の子を指差すが、ソフィーは遊ぼうとしない。
代わりに若いカップルたちに興味を示す。
父親から見ればまだまだ子どもだけれど、ソフィーは大人になりつつある。この、背伸びする絶妙な時期を描いたのが「aftersun/アフターサン」である。
「aftersun」という単語は、日光にさらされた後の肌ケアの意味を持つ単語であるが、夏のバケーションの楽しみを暗示してもいる。
ソフィーにとって、この夏は、精神的な転換期を迎えていた。
青春真っ只中にいる若者カップルたちと一緒に行動すると、そこには全く別の世界が広がっていることに気づき始める。
ハグやキスに気を取られ、言葉ぐらいでしか知らなかったはずの行為を間近で見ることで、一気にソフィーの心は少女から女性へと変化していくのだ。
さらに、滞在中のゲームセンターで出会った男の子に、言いようのない感情が生まれていることに気づいていた。
ゲーム中も肌が触れ合うかどうか、相手の熱が伝わるほど近い距離で、男の子ではなく、男性を意識し始めていた。
この2つの経験がソフィーの心をとらえ、言語化できない感情に振り回されることになる。
その夜、ソフィーは心にモヤモヤが晴れず、ベッドに横たわる。初めての感情が芽生えていることに気づいているが、どう表現していいかわからないソフィーは、父親に「疲れ切って動きたくない気分」と伝える。
しかし、それはネガティブな感情ではなく、取り扱ったことのない感情を持て余しているといった感じである。
そして、夜、ゲーセンとは違うシチュエーション、夜のプールサイドで男の子とキスを交わす。
おそらく昨年のバケーションは無邪気に遊んでいただけのソフィーが、思春期の入り口に入っていく瞬間を絶妙に描いているのだ。
翌日、キスをしたことを父親に伝えるところなど、まだ入りきっていないところが具体的でリアルでもある。
ちなみにその夜、男同士のキスシーンをみたことが、現在のソフィーのセクシャリティにも大きく変化を与えたきっかけにもなっている。
あどけない少女を見せるときもあれば、女性を思わせるような一瞬もあったりと、ソフィー役の少女も魅力的な演技であった。
しかし、この物語は「こんな時期もあったよね」と、ただ懐かしむ映画ではない。ソフィーの行動の影で、ずっと苦しみを発しているカルムの姿がある。
ときおり差し込まれるフラッシュバックの意味
(C)Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022
映画の冒頭は、ビデオカメラを回す音とともに、父親と娘のやりとりが映し出される。
これは、カルムと同じ歳になったソフィーが、父親との思い出であるビデオカメラを見始めるという設定だ。現在進行形の話ではなく、ソフィーの思い出をセリフなく語っていく映画である。
ほとんど大部分は、ソフィーとカルムの思い出を追いかけていく流れであるが、その中に不意に差し込まれる映像がある。
フラッシュバックが多くてわかりにくいが、クラブのような場所で踊る父親と、それを見つめる大人のソフィーの姿だ。
このシーンは、大人になったソフィーの心の内を表している。ビデオに残っていた映像を見ながら、父親の思い出とともに、当時はわからなかった感情を思い起こし、寄り添っている情景だ。
そこには、父親の苦悩に気づいてあげられなかったソフィーの後悔が、深層心理の中でもずっと残っていると、フラッシュバックの手法を通じて表現されている。
カルムに何が起きていたのか?
(C)Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022
当時のソフィーには気づけなかったことだが、カルムはメンタル面に問題を抱えていた。
ときおり表現される父親の苦悩は、ソフィーの好奇心により薄まっているが、しかし確実に不穏な空気をかもしだす。
「11歳の頃、30才の自分は何してると思ってた?」
この言葉は、ソフィーがカルムに聞いた言葉である。
今がうまくいっていない人にとって、何かに後悔を感じている人にとって、これほどにダメージを与えるものはない。
なにがどううまくいっていないのかはわからない。しかし、2つの事柄がカルムの精神的な問題に繋がっていると予想される。
- カルムにお金に困っていた
- 家族に自分の誕生日を忘れられていた過去がある
ソフィーに歌のレッスンをするか聞いたとき、お金のことで無理しないでと言われている。
リゾート地ではシングルベッドが割り当てられ、若いカップルのように飲み物や食事のフリーパス券も手に入れていない。
どれほどに困っていたのかはわからない。しかし、あまり余裕がないという事実は存在する。
また、11歳の誕生日はどうだった?という問いに対し、家族に誕生日を忘れられていたと話している。
こちらも、どういう幼少時代を過ごしてきたのかについて、具体的な言及はない。けれども、思春期前の子供が誕生日を忘れられるという経験は、その傷の深さを容易に想像できる。
ラストの意味
(C)Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022
ラスト、空港でソフィーを送った後、おそらくカルムはその直後に自殺する。
少なくともソフィーが最後に会ったのがこのときであり、だからこそ大人のソフィーは最後のバケーションの内容を見返しているのだ。
11歳では気づけなかった父親の叫びは、同じ歳になった今ならわかる。カルムは踊っていたのではなく、苦しみを表現していたのである。
いくつかのシーンで、カルムが自殺を示唆するシーンがある
- 夜の海の中に飛び込んだ後、裸のまま気絶したように寝ていた
- 誕生日を祝われた直後の泣くシーン
- 大人のソフィーが父親を突き放し、闇の中に落ちていく場面
- 空港で、何もない空間を歩く後ろ姿
お金のことを指摘された後、カルムは明らかに様子がおかしくなった。ソフィーを放置し、1人でどこかにいってしまう。あの海での出来事は、死を考えていたようにも思える。
翌日、ソフィーが誕生日を歌で祝ったが、カルムは決して嬉しそうではなかった。11歳のソフィーは、ワクワクするような未知の世界がいくらでも広がっているが、カルムにはその先はない。
30歳まで生きたことすら驚きだといっていたが、40歳に何か希望が持てるのだろうか。
また、フラッシュバックシーンのラストでは、ソフィーがカルムを抱きしめるシーンがある。11歳のソフィーを父親が抱きしめるシーンとリンクしながら、当時は楽しいだけだった思い出は苦しいものに変わる。
そして最後にソフィーはカルムを突き放す。
フラッシュバックはソフィーの内面を表したものだ。カルムの自殺を止められなかった後悔を、あのような形で表現していると思われる。
このダンスシーンで挿入される楽曲がクイーンの「アンダープレッシャー」(精神的なプレッシャーがあることを意味する)であることも、それらを物語っている。
空港でソフィーを見送った後の後ろ姿も印象的である。たくさんの人が行き交う空港でソフィーと別れたはずなのに、カルムに視点がうつるとそこには何もない空間が広がっている。
これは、ソフィーと別れたカルムの喪失感を表したものだ。
住みたい場所に住めるし、なりたいものになれる。そう考えていた時期があったはずだ。その希望は娘に託し、カルムは絶望をさまよう。
希望と絶望を父娘の視点で描いたのが「aftersun/アフターサン」である。
レズビアンであるはずのソフィーは誰の子を育てているのか、父親は具体的にどんな病気で苦しんでいるのか、なぜ2人は離れて暮らしているのか、具体的な言及は一切ない。
余計な情報を一切排除し、思春期の入り口を経験する娘と、絶望を感じている男の苦しみにフォーカスを当てる。
光と闇が交差し、観ている者の感情を揺り動かす。気づいたときには刃が胸に突き刺さっている感覚になる映画だった。
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