「わたしは最悪」は、2022年公開の映画。
恋人との恋愛はうまく行っているはずなのに、なにか物足りないと感じたことはないだろうか。このまま、結婚して、子供を産んで、育ててという人生を歩んでいくことに漠然とした不安を感じることはないだろうか?
多くの人間は、一定の年齢や経験を重ねることでそういった感情は薄れていく。少子高齢化問題や地球環境への問題は置いておくとして、あるフェーズで遊びたいという気持ちは徐々に薄れていく。
不倫をしている人も家庭を失ってもいい覚悟でやっている人は少ない。
「わたしは最悪」は、ノルウェーが舞台の恋愛映画。あらゆる才能にあふれていて美貌ももちあわせているユリアという女性が、仕事も恋愛も人生すべてにおいて中途半端であるため多くのことを犠牲にし、失っていく話。
若い頃から遊び倒して多くの恋愛やセックスの経験をしたはずなのに、30歳という節目を迎えても結婚に興味が持てない。恋人は子どもを欲しがっているが、自分が母親になる未来が想像できない。
幸せよりも刺激を求めていて理性ではなく感情で動くタイプの女性が、すぐそばにある幸せをつかもうとせず、新たな刺激に揺れ動く話だ。
ドロドロしているわけでもなく、ユリア自身もステレオタイプのいけ好かない女性として描かれるわけではない。
男からしたらうんざりするタイプの女性として描かれそうだが、そういうわかりやすい描写は抑えて、こういうタイプの女性にはどのように世界が見えていて、どこに価値観を置いて行動するのかがわかる良作だった。
「わたしは最悪」
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「わたしは最悪」映画情報
タイトル | わたしは最悪 |
公開年 | 2022.7.1 |
上映時間 | 121分 |
ジャンル | 恋愛 |
監督 | ヨアヒム・トリアー |
映画「わたしは最悪」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
ユリア | レテーナ・ラインスヴェ |
アクセル | アンデルシュ・ダニエルセン・リー |
アイヴィン | ハーバート・ノードラム |
映画「わたしは最悪」あらすじ
ユリヤは30歳という節目を迎えたが、人生はどうにも方向性が定まらない。いくつもの才能を無駄にしてきた。年上の恋人アクセルはグラフィックノベル作家として成功し、しきりに身を固めたがっている。ある夜、彼女は招待されていないパーティに紛れ込み、若くて魅力的なアイヴィンに出会う。ほどなくしてアクセルと別れて新しい恋愛に身を投じ、人生の新たな展望を見出そうとするが――。
filmarks
映画「わたしは最悪」ネタバレ感想・解説
全チャプター12章で描かれるユリアの半生
(C)2021 OSLO PICTURES – MK PRODUCTIONS – FILM I VAST – SNOWGLOBE – B-Reel – ARTE FRANCE CINEMA
「わたしは最悪」は全12のチャプターに加えてプロローグとエピローグを挟み、ユリアという女性の人生観について描かれる。
それぞれのチャプターは、長いものもあれば、やたらと短いものもあるが、ユリアの行動を裏つげるキーとなる出来事や、行動を描いているため、長さはそのイベント次第なのだ。
This choice allows us to see the key moments in Julie’s life, the moments that helped create who she is and will become.
collider.com
プロローグとチャプター1ではユリアという女性が何を選択して生きてきたのかを描写する。
ユリアは非常に自由な女性だった。医学生の中でも成績はトップレベル。そのまま進めば間違いなくエリートコースに進めたはずだ。しかし、ユリアはそれを嫌がり、心理学への道へ進む。それも続かずフォトグラファーへの道へと180度転換するのだ。
ユリアはおそらく論理的な思考に才もあったし、途中から物書きに転身しようとしていたように文学的な素質もあった。医学とは全く別の写真家への転身も才能の1つだろう。
ただ、彼女はすべてを手放す選択をとり続ける。
ユリアはその才能とは裏腹に感情的な感覚で行動していた。だからこそ人の心理に興味を持ったが、そこにすら将来を見出せなかった。
男との関係も一緒だった。恋愛にも性にも自由でたくさんの経験をしてきた。コミック作家のアクセルと付き合い、将来も安定した順風満帆の生活を送れるはずだった。
しかし、ユリアは満たされることはない。空気にマンネリを感じ取ることで一気に冷めてしまうタイプの女性だった。誰しも経験はあるだろう。その人の欠点ばかりが目につくことが。その人が持っていないものを欲しがってしまうことが。
チャプター1ではユリアが30代間近にせまり、結婚について考える。というより考えさせられることでストレスを感じ始める。44歳になる恋人のアクセルは子供を欲しがっていたが、ユリアはそんな気になれないままだった。
アクセルの友人夫婦と一緒に過ごすことさえ疎ましく思っていた。
恋人のアクセルには「キミはいつも何か待っているように見える。だが、それが何かはわからない」と言われていたが、ユリア自身にも説明ができないものだった。
ユリアの家庭環境
(C)2021 OSLO PICTURES – MK PRODUCTIONS – FILM I VAST – SNOWGLOBE – B-Reel – ARTE FRANCE CINEMA
チャプター2で、幸せだが退屈な日常を壊す存在に出会う。それがパーティで出会った若いアイヴィンだ。意気投合した2人はパーティで良い感じの雰囲気になる。
しかしユリアは肉体的な浮気はしなかった。性交渉もしていなければキスもしていなかったのは、英題の示す通り「The Worst Person In The World(世界で一番最悪な人)」になることを恐れたからだ。
ユリアは聡明なので、頭の中では何を選択するべきか理解していた。しかし、恋愛はヒトが感情で行動する最たるものであり理性で制御することは難しい。
だからこそ、直接的な性交渉は行わず、2人ともあの状況でよくも踏みとどまったと感嘆するほどだ。あえてユリアは連絡先を聞かずに別れるが、結局忘れることはなかった。
アクセルとの将来に対する不安や恐れ、価値観の違いによりすれ違いが生まれる。他人から見たら将来の不安はなさそうにみえるが、ユリアは何を待ち続けているのか。
その答えはチャプター4で見せた家族との関係性に垣間見える。
自分に無関心な父親の存在である。30歳の誕生日祝いに来るか来ないかぐらいであれば大した問題ではなさそうだが、ユリアの口ぶりからしておそらく小さい頃から父親は娘に無関心なのだ。
一生懸命に書いた才能あふれる小説も、父親が見ることはなかった。
ユリアの幼き家庭環境が彼女が家庭に収まることへの不安や自信のなさを表している。愛情に飢えているのか、ユリアは刺激を常に求めるのだ。
なぜ周りの人がすべて停止したのか?
(C)2021 OSLO PICTURES – MK PRODUCTIONS – FILM I VAST – SNOWGLOBE – B-Reel – ARTE FRANCE CINEMA
それがチャプター5のタイミングで爆発する。恋人との気まずい関係、父娘の間にある深い溝、悪いことが重なっているタイミングで二度と会うことがないはずのアイヴィンと出会ってしまう。
もうユリアは自分を止めることはできなかった。その瞬間世界が停止する。それは彼女の視界にはアイヴィンしか入らないことを表現している。
アイヴィン以外のすべての人間は、たとえアクセルであってもただのオブジェでしかなかったからだ。
恋は盲目という言葉通り、彼女は世界の理(ことわり)を無視したのだ。「The Most Person In The World」を厭わなかった。
こうして彼女はアクセルに別れを告げる。
わたしは最悪の結末・ラストの意味
(C)2021 OSLO PICTURES – MK PRODUCTIONS – FILM I VAST – SNOWGLOBE – B-Reel – ARTE FRANCE CINEMA
こうしてタイトル通り「わたしは最悪」になったユリア。
しかしユリアのこの行動は、深く彼女の行動に影響を与える。もちろん悪い方向に。
アイヴィンとの生活はうまくいっていたように見えたが、安定してくると不満がたまりはじめる。そして久々にインタビューを受けていたアクセルを見ると、彼の知性的で論理的な発言に憧れるようになる。
アイヴィンはそういうタイプではなかったのだろう。ユリアが書いた小説を褒めてはくれたが、まるで専門家のように褒める彼に苛立ちをかくせなかった。
また、ユリアはアイヴィンにないものを求めはじめるのだ。
そこへアクセルがガンを患っていることと、妊娠検査薬で陽性反応が出たことが追い討ちをかける。
チャプター1でアクセルと話していた通り、ユリアは子どもが欲しくないわけではなかった。ただ、自分に自信が持てなかったのだ。母親になる自信がないままだった。
ユリアはアクセルの死と向きあうことで答えを出す。生きるということの意味をアクセルを通じて学んだ。そしてアクセルが亡くなったとき、赤ん坊を産むことを決意する。
今まで中途半端だったユリアが、恋愛に対して、また恋人に対して真摯に向き合って出した答えなのだ。
しかし、皮肉にもユリアの妊娠は間違いだった。
時は変わり、ユリアは写真家の道を進んでいた。撮影していた女優はアイヴィンとの間に子供をもうけていた。
ユリアは一人自分のアパートに戻り、撮影したアイヴィンの妻の写真を眺める。そしてエンディングに移り変わる。
「ユリアは果たして幸せになったのか?」という問いにはYesではないがNoではないというのが答えだ。
ユリアは少なくとも1つの夢を叶えている。妊娠は間違いだったため恋愛に関してはうまくいかなかったのかもしれない。しかし、仕事も長続きせず、ずっと本屋で働いていたユリアだったが、夢を叶えるために真摯に向き合ったのだ。
その点においては、彼女は過去の自分を克服し、前を向いて歩いている。
エンドロールで流れる明るく微笑ましい音楽がその答えだろう。
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