イニシェリン島の精霊は2023年公開の映画。
「スリービルボード」でアカデミー賞を受賞したマーティン・マクドナー監督が5年ぶりの新作として世に出したこの映画は、ゴールデングローブ賞で3冠を受賞し、またも注目を浴びている。
一度見ただけでは絶対に理解できないストーリーは、「イニシェリン島の精霊」でも健在。
人間の持つ薄気味悪さをとらえ、ブラックユーモアを交えて、どこかエモーショナルに描くマクドナー節の映画に、今回もどっぷりハマってしまった。
ヒューマンドラマのようでいて、実はブラックコメディである「イニシェリン島の精霊」。
なぜ友人関係を急に断ったのか、なぜ指を切り落とすのか、ラストの意味は?疑問だらけのこの映画のルーツは、アイルランドの内戦に密接に関係している。
今回は、その疑問点について説明する。
イニシェリン島の精霊(2023)
4.5点
ヒューマンドラマ
マーティン・マクドナー
コリン・ファレル
- 長年の旧友が突如、友人の縁を切る
- アイルランド内戦の起きた1920年台の話
- 神話やさまざまなメタファーが絡み合う
- マクドナー監督による笑えないブラックコメディ
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映画「イニシェリン島の精霊」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
パードリック | コリン・ファレル |
コルム | ブレンダン・グリーソン |
シボーン | ケリー・コンドン |
ドミニク | バリー・コーガン |
映画「イニシェリン島の精霊」6つの疑問をネタバレ考察・解説
イニシェリン島は実在するのか?
(C)2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
- イニシェリン島は実在しない架空の島
- アイルランドで内戦があったのは事実
- 1923年4月の出来事
- コルムとパードリックの争いは内戦のメタファー
映画の舞台となるイニシェリン島は架空の島である。ただし、この時期にアイルランドで内戦が起きていたのは事実。冒頭でパードリックがカレンダーをめくっていたが、映画は1923年4月の出来事にあたる。
この時代、本土であるアイルランドは内戦中。物語のラストでは銃撃がやんだことをコルムが話しているが、終戦間近でもある。
この内戦は1922年6月28日から始まり、1923年の5月24日まで続いていて、その紛争はさらなる紛争を生み、現在のアイルランドでも複雑な問題をはらんでいる。
パードリックが一時的に止んだ戦争の音に対して「どうせ再び始まる」と言っていたように、アイルランド紛争は長く禍根を残した泥沼戦争に発展していく。
アカデミー賞候補となった「ベルファスト」でも同じようにアイルランド紛争について、1960年代の状況を描いている。
そしてコルムとパードリックの小競り合いは、内戦を想起させるメタファーとして表現されている。
戦争は全てを焼き尽くしお互いを無益と化す。コルムはパードリックとただ疎遠になりたかっただけなのに、結果的に指を切り落とし音楽を弾けなくなった。
パードリックは不慮の事故により愛するロバを失い、憎しみの連鎖に巻き込まれていった。
妹と本土で穏やかに暮らすという選択肢を捨てて、争いに身を投じ、コルムの家に火をつけた。
不毛な争いこそが戦争の源であり、そこに何も実になるものはないのである。
なぜコルムはパードリックと疎遠になったのか
(C)2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
- 戦争がコルムの精神を崩壊させていった
- コルムは音楽家になることを目指していた
- コルムは自分の才能に疑問をもっていた
「イニシェリン島の精霊」はコルムが長年育んできた友情を突如として解消するところから始まる。
親友だと思っていたパードリックはうろたえ、悲しみ、そしてついに怒り出す。コルムが友人関係を辞めた理由は、映画の中でも説明していた通り、「パードリックと意味のない会話を過ごす時間をムダに感じたから」である。
ここに嘘偽りはなく、その時間を自分の好きな音楽に費やすことで、偉大な音楽家たちのように生きた証を残したかったのだ。
だから彼はパードリックが嫌いというよりは、彼との意味のない会話をしている時間が嫌いだった。
対するパードリックは大きな野心もなく、ただ家族や友人と静かに暮らしてさえいればよかった。
何かを成し遂げたい野心家と、日々が平穏であれば満足な良い人では大切なことが違う。
平時ならそれでもうまくやっていた。しかし、戦争が2人の関係性に亀裂をもたらしたのだ。
戦争の影響を悪く受けたコルムと、退屈だが良い人で戦争とは程遠かったパードリックとは価値観にズレが生じてしまったのだ。
コルムは司祭に精神状態のことをきかれている。これは、以前から心の病について問題を抱えており、それを司祭に相談していた可能性が高い。
その原因となるのは内戦の存在。死がとても近くにあることで、生がいかにモロい存在なのかということを意識したのだ。
だから無意味な会話の時間を減らすために「良い人」なだけのパードリックとの関係を断とうとしたし、生きていた証を残すため、作曲に没頭したのだ。
パードリックと疎遠となり、作曲活動に時間を割けるようになったあとは、「ずいぶん良くなった」とコルムも語っている。
ドミニクの死の真相は?
(C)2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
- ドミニクの死は自殺
- 湖での自殺は過去にも起きている
- ドミニクはパードリックに失望した直後だった
- 孤独は精神を追い詰める
ドミニクの死について。パードリックがコルムの家に火をつけたあと、それを発見したドミニクの父親である警官が、パードリックの家を訪れる。
その直前で怪しい老婆に呼ばれ、ドミニクが溺死していることを見つける。
パードリックは、シボーンへの手紙の中で事故と表現していた。
しかし、ドミニクの死はおそらく自殺である。
ドミニクの父親が、湖で自殺をした島民の話をしていることから、入水自殺が過去にも起こっていることを示唆している。
また、パードリックとの関係性の悪化も要因の1つにある。パードリックは、嫉妬からコルムの元に通っていた生徒に対してひどい嘘をついていた。このことを知ったドミニクはパードリックに失望している。
ドミニクは、親に虐待され、友達もできず、恋人もできない孤独な生活をおくっていた。唯一優しくしてくれた「いい人」のパードリックにも絶望したことで、失意の中自殺した可能性が高い。
ドミニクは孤独を感じていたのだ。
孤独は映画の中でも意識して描かれている。
コルムという友人を失い、妹は島を離れ、かわいがっていたロバのジョニーも死んでしまったことで孤独を強く意識したパードリックも同じく孤独を抱えていた。
コルムはなぜ指を切り落としたのか
(C)2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
- 戦争により心神喪失の状態だったコルム
- 歴史に名を残さないといけないという脅迫観念
- マクドナー監督のブラックジョーク
この映画の最大の謎はコルムが指を切り落とす理由である。これは突如として友人関係を断ち切ろうとした理由よりも不可解だ。
コルムが縁を切った理由は無益な会話に時間を使うのではなく、音楽に時間を使いたいというものだったはずだ。
しかし、指を切ってしまっては演奏もできない。事実、指を1本切り落としただけで演奏するにも苦労していた。
それではコルムが尊敬していたような18世紀の音楽家にはなれないのだ。
ここについて詳しい言及はない。
しかし、いくつかのシーンを見るに、コルムが指を切り落とした理由は2つ考えられる
- 戦争により心神喪失状態だったため
- 歴史に何かを残すというプレッシャーからの解放
作曲に没頭したかった彼が、その手段を潰す凶行に走った理由の1つが、絶望感による心神喪失によるものだ。
彼は戦争により激しく苦しんでいた。パードリックとの時間を疎遠にした理由もその1つだが、行動が普通ではなかった。
戦争がコルムの生きる意味を大きく変え、その不安により自暴自棄になっていた可能性がある。
また、コルムは18世紀の偉大な音楽家たちのことを深く尊敬していた
コルムは音楽を愛していたが、それ以上に偉大な音楽家にならなければならないという強迫観念に取り憑かれていた可能性がある。
本土から生徒がやってくるほどに才能のあるコルムだったが、年齢的にも能力的にも名を残せるほどの可能性はないことにも気づいていた。
その絶望やプレッシャーから、指を切り落とすことで解放されたのだ。
he has found a way to take the pressure off himeself to be a great musician(彼は偉大なミュージシャンなるプレッシャーを取り除く方法を見つけたのだ)
引用:DECIDER
パードリックがやってきたとき、謝る必要はない。これは救済だということを話していたが、音楽を弾けなくなるということは、彼にとっての救済だったのかもしれない。
と、同時にマーティン・マクドナー監督はインタビューの中で「おもしろいから」と答えている。
「イニシェリン島の精霊」もしかり、マクドナー監督の映画はメッセージ性をはらんでいるように見せたうえで、それを逆手にとって遊んでいる節がある。
自傷行為をおこない、偏屈で頑固なコルムや、退屈だけど優しく、眉尻をさげていつも困り顔をしているパードリックのようなキャラクターが、映画に大きな魅力をもたらしている。
ストーリーは一見すると意味がわからない点も多分に含まれているのだが、ある種の中毒性をもたらすのは、監督の演出と役者の魅力が突出しているからである。
預言をする老婆の正体とは?
(C)2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
- 2つの死を言い当てた預言者
- アイルランド地方に伝わる神話が元ネタ
- 英題のバンシーズ(精霊)は妖精のこと。
- 不吉なモノの象徴
最初、パードリックの家に現れ、不吉な死を予言した老婆。実際に2つの死(ドミニクとロバのジェニー)を言い当てたわけだが、彼女は一体何者なのか。
これは、映画のタイトルにもなっていて、コルムが作曲した題名にもなっているバンシーズがイメージとなっている。
バンシーズとは、邦題では精霊とされているが、アイルランド地方に伝わる妖精のことで、人の死を、叫び声で予言するという。妖精といってもそんなかわいいものではなく、不気味でいかがわしい風貌で、まるで魔女のようである。
彼女は不吉なモノの象徴として描かれている。ドミニクの死を知らせたのもこの老婆だ。ところどころ、死を想起させる人のもとに現れる。
ラストの結末の意味。2人は仲直りできたのか?
(C)2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
- 一度失ったものは戻らない
- アイルランド戦争の縮図
ラスト。海辺で語り合う2人の関係は、以前にもまして落ち着きを見せていた。果たして2人の関係は修復できたのだろうか?
残念ながら、2人の関係は修復されることはない。
コルムは指をすべて切り落とし、ロバのジェニーは指を喉につまらせて死んだ。憎悪をつのらせたパードリックはコルムの家に火をつける。
その後、2人は海辺で語り合う。これで終わりで良いかというコルムに対し、死ぬまで終わらないと静かに語るパードリック。
アイルランド紛争が何度も繰り返しているように、戦いは、少しの間やんだとしても再び始まる。コルムとパードリックの関係性は内戦そのものであり、今後も不毛な争いを続けるのだ。
戦争はすべてを焼き尽くし、後には何も残らない。両者得るものなどなにもなく、元通りにはならない。
コルムは警官に殴られたパードリックを助けているし、パードリックもコルムの愛犬は殺さずに保護している。個々の人間同士は手を取り合えるにも関わらず、戦争による立場の違いで関係性が壊れていく。
アイルランド戦争の縮図が2人の関係だとしてら、いまなお複雑な問題を抱えたままの2人の関係は最後まで終わることはないだろう。
アイルランド紛争には日本人はあまりなじみがない。初見で理解できる話ではないが監督の意図するところを知っていくことでより深く楽しめる映画だった。
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