「サイダーのように言葉が湧き上がる」は2021年公開の青春アニメ。
2020年に公開予定だったが、コロナにより1年延期。
コミュニケーションが苦手な男子チェリーと、ライブ配信で人気だけど出っ歯がコンプレックスでマスクを常につけているスマイルのアオハルな恋愛を描く。
音楽はアニメの映像や音楽制作を手がけるフライングドッグの10周年記念作品。
音楽やアニメーションは良かったが、ストーリーは「君の名は」のような映画と違ってかなり地味。
良く言えば今を生きる私たちの日常のすぐそばで起こりそうな親近感もあり、共感を得やすい。
この日常をおもしろいと思えるかどうかで評価は分かれそうな作品だ。
「サイダーのように言葉が湧き上がる」
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「サイダーのように言葉が湧き上がる」映画情報
タイトル | サイダーのように言葉が湧き上がる |
公開年 | 2021.7.22 |
上映時間 | 87分 |
ジャンル | 青春、恋愛 |
監督 | イシグロキョウヘイ |
映画「サイダーのように言葉が湧き上がる」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
チェリー | 市川染五郎 |
スマイル | 杉咲花 |
ビーバー | 潘めぐみ |
ジャパン | 花江夏樹 |
タフボーイ | 梅原裕一郎 |
ジュリ | 中島愛 |
マリ | 諸星すみれ |
紘一 | 神谷浩史 |
まりあ | 坂本真綾 |
フジヤマ | 山寺宏一 |
藤山つばき | 井上喜久子 |
映画「サイダーのように言葉が湧き上がる」あらすじ
17回⽬の夏、地⽅都市。コミュニケーションが苦⼿で、⼈から話しかけられないよう、いつもヘッドホンを着⽤している少年・チェリー。彼は⼝に出せない気持ちを趣味の俳句に乗せていた。 矯正中の⼤きな前⻭を隠すため、いつもマスクをしている少⼥・スマイル。⼈気動画主の彼⼥は、“カワイイ”を⾒つけては動画を配信していた。 俳句以外では思ったことをなかなか⼝に出せないチェリーと、⾒た⽬のコンプレックスをどうしても克服できないスマイルが、ショッピングモールで出会い、やがてSNSを通じて少しずつ⾔葉を交わしていく。 ある⽇ふたりは、バイト先で出会った⽼⼈・フジヤマが失くしてしまった想い出のレコードを探しまわる理由にふれる。ふたりはそれを⾃分たちで⾒つけようと決意。フジヤマの願いを叶えるため⼀緒にレコードを探すうちに、チェリーとスマイルの距離は急速に縮まっていく。 だが、ある出来事をきっかけに、ふたりの想いはすれ違って。物語のクライマックス、チェリーのまっすぐで爆発的なメッセージは⼼の奥深くまで届き、あざやかな閃光となってひと夏の想い出に記憶される。
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映画「サイダーのように言葉が湧き上がる」ネタバレ感想・解説
あらすじ解説・感想
登場人物は高校生の男女。お互いがコンプレックスのようなものを抱えていて、それを認め合うことで解放されるまでのストーリー。
映像からにじみ出てくるパステル調でポップな世界観と、そこから流れてくる明るめだけど優しさのある音楽はすごく良かった。
それがこの世界観を表していてそこに出てくるキャラクターはみんな優しい。
主人公の男女がコンプレックスを持ちながら悩んではいるけれど、そもそもこの優しい世界に悩むことがあるのかというほど。
学校という日常から切り離された夏休みということもあるのだろうが、とにかく心が洗われる。
俳句という日本人でも何が言いたいのかわかるようでわからない、でもきちんと咀嚼(そしゃく)していけばなんとか分かるような日本人らしい伝えかたも雰囲気がマッチしている。
しかしそれではきちんと伝わらないからとラストに愛を叫ばせるやり方は全方位の共感を得られるであろう。
大事なことを言えないチェリーとがんばって花火に誘ったスマイル。
チェリーとスマイルの性格は、それぞれコンプレックスを抱えているけど性格は正反対。
だからこそ最後にチェリーが自分のコンプレックスを押しのけて、苦手な大人数の前でスマイルのコンプレックスを魅力だと言葉と俳句で伝えたシーンは素晴らしかった。
思春期の甘酸っぱい恋愛映画だが、夏休みに見るにはうってつけの映画でもある。
ただ、30を超えたおっさんには少しぬるさを感じるところもあった。
「君の名は」や「天気の子」のように甘酸っぱさを通り越して、ちょっとした黒歴史にもなりかねないぐらいぶっとんだ行動を見せつけてくれた方がわかりやすく楽しめる。
また、2人の魅力でもって成り立っているような映画なので、他のキャラクターの影が薄いところも気になった。
個性豊かなキャラクターなので、なんだかもったいない気がしてならない。
最後の展開に持っていくための強引さも気になってしまった。チェリーの家はいつからこの町に住んでいたのか知らないけれど、祭り当日の引っ越しはどうにかならなかったのか。
しかも引っ越しは日中ではなく夜。どれだけ遠いのか知らないけれどあんな夜に向かうなら花火ぐらい見ていけばいいじゃないかと。
親の仕事の都合なので花火の日程と被ったのは多分偶然なのだろうけど、たとえ両親が花火に興味なくても、予定があるからと少し待ってもらっても良かったはず。
まぁ、そんなフォローができないのがコミュ症のチェリーらしいと言えばそうなのだけれど、ちょっと強引に感じてしまった。
コミュ障といいつつも、それなりに友達がいて、社会との繋がりのある少年なので、余計に感じてしまう部分だ。
基本的に話が薄いわりに説明はないのでわからないことも多い。引っ越す理由だったり、山桜のレコードを無くした理由だったり。そもそもこのおじいちゃんはいつレコードをなくしたというのか。
話が薄いことは何も悪いことではない。余計なくだりを説明しないことで、フォーカスしたいシーンに重みがつく。
このアニメの場合、2人の距離の詰めかたとコンプレックスの解消がメイン要素だ。それに、説明を曖昧にすると、どこかアーティスティックな、芸術要素も表現できる。
ただ、この2人の関係性は明白であるし、距離の詰めかたも普通。引っ越しのことを言えない内気なチェリーボーイが流されるままに時を過ごしているだけなのだ。
これをぬるめなストーリーととるか、ほんわかしたストーリーととるかで評価が分かれてくるだろうが、クライマックスの告白シーンへと続く流れの繋げ方はちょっと足りなかったという印象だった。
「時をかける少女」もそれほど大きな盛り上げはないけれど、「日本の夏」「青春・恋愛」「SF」をうまく融合させてノスタルジーを感じさせてくれる良き映画だった。
「サイダーのように言葉が湧き上がる」も音楽と映像のセンスの良さは抜群だったので、シナリオにもう一味ついていると良かったなというところ。
声優は棒読みなのか
「サイダーのように言葉が沸き上がる」はそんなゆるくてぬるい雰囲気で、映像や音楽の異次元性とは逆にストーリーは地味で普通だ。
棒読みと批判される声優陣だが、この映画には、感情を込めた大きな抑揚は合わないからこの話し方が最適解。
そもそもスマイルは言葉で心情を伝えるのが苦手なタイプだし、現実世界こそお芝居のように感情は込めない。
言葉の感じ方を相手に委ねる側面を持つ俳句を引き立たせるためには、声に出して何でもかんでも伝えるのはやはり違う。
夕暮れの フライングめく 夏灯(ともし)
なんて俳句を感情を込めて読まれては、それこそ台無しだ。
だからここに関しては問題ないというか、むしろ良かった。
だからこそラストでチェリーがスマイルに告白するのに使った俳句
山桜 かわいいその葉 僕は好き
が生きてくる。
ここにはコミュ障のチェリーなりの感情が精一杯込められているのだ。
声に出さなくても伝わると言い切ったあの日から、彼はまた1つ成長したのだ。
この映画に感情を込めるのであれば、それこそ「天気の子」のように超エンタメ性の映画になっていくだろうし、あえてそこは狙っていない印象なので、声優陣は与えられた役割を全うしたと言える。
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