映画「ミッドサマー」は、「ヘレディタリー継承」の監督作品。
ヘレディタリーでは「悪魔」をキーワードに人間の底知れぬ恐怖を描いた作品で、悪魔や幽霊よりも人間の怖さを感じることができただろう。
「暗闇は怖い」
ミッドサマーではこの当たり前の恐怖を覆し、明るいことこそ怖いを見せつける革新的な映画だ。
ミッドサマーとはキリスト教のお祭りで、本来楽しいもののはずなのだが、それをおそろしく感じさせることにアリ・アスター監督の手腕がひかる。
しかし、この映画は単なるホラー映画ではない。
怖くもあり、気持ち悪さもあり、度を超えたシュールな行動には笑いすらこみあげてくる。
果たして、精神疾患とはなんなのか。
異常なのは誰なのか。
観る人がジャンルを選べる映画ではあるが、やはり怖い。
何が怖いと思わせるのか。
その理由を解説する。
映画「ミッドサマー」予告
映画「ミッドサマー」あらすじ
家族を不慮の事故で失ったダニー(フローレンス・ピュー)は、大学で民俗学を研究する恋人や友人と5人でスウェーデンの奥地で開かれる“90年に一度の祝祭”を訪れる。美しい花々が咲き乱れ、太陽が沈まないその村は、優しい住人が陽気に歌い踊る楽園のように思えた。しかし、次第に不穏な空気が漂い始め、ダニーの心はかき乱されていく。妄想、トラウマ、不安、恐怖……それは想像を絶する悪夢の始まりだった。
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映画「 ミッドサマー 」映画情報
監督 | アリ・アスター |
脚本 | アリ・アスター |
音楽 | ザ・ハクサン・クローク |
公開日 | 2020/2/24 |
上映時間 | 147分 |
製作国 | アメリカ |
製作費 | 900万ドル |
興行収入 | 4100万ドル |
映画「 ミッドサマー 」キャスト
ダニー・アルドール | フローレンス・ビュー |
クリスチャン・ヒューズ | ジャック・レイナー |
ジョシュ | ウィリアム・ジャクソン・ハーパー |
マーク | ウィル・ポールター |
ペレ | ヴィルヘルム・ブロングレン |
サイモン | アーチー・マデクウィ |
コニー | エローラ・トルキア |
ダン | ビョルン・アンドレセン |
映画「ミッドサマー 」ネタバレ感想
自分は何を観ているんだろう。
それが最初の感想だった。
この映画の流れは
- 心中により家族を亡くしたダニーが
- 恋人と一緒に友達の故郷の夏至祭(ミッドサマー)に参加したら
- 生贄と子作りのための儀式にとりこまれ
- みんなラリってしまった
という話。
不気味な世界に取り込まれたから怖いと言ってしまえばそうなのだが、単純なカルト的な怖さとはまた違うのだ。
正常な世界は暗く、異常な世界ほど明るい
冒頭、数十分間はまだアメリカにいる。
私たちが暮らす通常の世界だ。
そこでは大学生は論文に追われながら友達と集まり、旅行の計画を立てている。
成熟した社会を持つ一般的な世界が広がっている。
しかし、その世界の色調はずっと暗く、日が当たらない。
主人公ダニーの家族は無理心中し、ダニーは精神疾患を抱えている。恋人のクリスチャンに依存する日々だ。
私たちが住むこの世界は、そもそも希望に満ちていない。開始からそれをつきつけてくる。
一転して、ホルガに行くと眩い光が包み込み、青々した空と、白い装束を纏った美しい女性たちが微笑んでいる。
花は綺麗に咲き、皆で楽しそうに踊る。
明暗が分かれる分岐点がひとつある。
それはホルガに到着する前に、ダニーは途中の草原で小屋に入るシーンにある。
その暗い小屋の中で幽霊のような妹が見えてしまい、恐怖にかられて外に飛び出していくシーンがある。
夢オチのような形だが、ここが私たちの世界との分岐点となり、ダニーはホルガの世界に迷いこむこととなる。
つまり、幽霊のような幻覚が見えてしまうここまでが正常な世界ということだ。
「ミッドサマー」の中ではホルガこそ正常で、今、当たり前で正常だとしているこの現代こそが異常なのだ。
そしてホルガでの異常行為を延々と見せられ続けると、次第にこう思うだろう。
ホルガを異常と思う自分こそが異常なのだと。
感情がシンクロするホルガの村人
ホルガの民は感情を共有することができる。
クリスチャンが女に寝取られるとき、その現場をダニーが目撃したとき、周囲を囲む女性たちは感情が伝播する。
セックス中の高揚感と、裏切られたことによる悲壮感、大きな感情の塊を連鎖反応をおこしていく。
これはもはや共有という集団の繋がりなどではなく、もはや同じ個としてシンクロしているかのようだ。
このシーンを滑稽だと嘲笑う人もいるだろうし、正常時に観るとクスッとしてしまいかねないほどシュールだ。
だがしかし、2時間以上にわたる長い時間を、異常な世界を正常のように見せつけられた観客はある種のカタルシスを得るだろう。
そしてラストに繋がる依存からの解消はまさにエクスタシーそのものではないだろうか。
食料感覚で消費するドラッグ
近年、医療大麻や、各国で娯楽用の大麻を合法化する動きがある。
日本ではまだまだ厳しいドラッグであるが、アメリカではわりと普通の人が使っている。
多くの映画では、若者は未成年が吸うタバコのようにドラッグを使用し、「マリッジストーリー」では、特に道を外したわけでもない母親がコカインを利用したことがあるとサラッと告白したりする。
「ミッドサマー」の舞台となるホルガでも、日常的にドラッグが使われている。
村の若者に楽しもうと最初に渡されるのがドラッグだし、食事中にも、死ぬときにも、いろいろなところでドラッグが多用される。
まさに食料感覚だ。
しかし、彼らはドラッグが要因による暴力行為は行っていない。
殺人は生贄のための行為であり、他者を意図的に傷つけることが目的ではない。
ドラッグを使用していても、そこでは秩序が保たれている。
ドラッグが禁止されるのは、人間が人間らしくなくなり、他者を傷つける恐れがあるために禁止しているのだとしたら。
果たしてホルガの民は、それに当てはまるのだろうか。
今はまだ、この世界ではドラッグの使用は正しいものではないという認識があるが、いつか、ドラッグ自体は悪ではない、食事と同じように必要な存在の1つになっていくとしたら、
一体どのような世界が作られていくのだろうか。
悪のいない世界での殺人
「ミッドサマー」では人が死ぬ。何人も。
罪もない人が死んでいく。
しかしこの登場人物の中に、悪意を持つ人は誰ひとりとして存在しないのだ。
ホルガの民が生贄を捧げるのはあくまで生命の輪廻転生を目的としている。
人の死は新たなる生への芽吹きになる。
障がい者は崇高な存在とし、敬意を評して接している。
人の悲しみや喜びを共有できる。
良識を持つ、善人としても見ることができる。
では、ダニーたちが悪かと言うとそうではない。
大学生の卒論目的で、村の規律を破ろうとしたり、神聖な枯れ木に立ちションをしたり、ところどころ、大学生の悪ノリは散見されるが、2人とも悪意があるかというとそうでもない。
知的欲求による自己正当化と、無知による他者の否定だ。
人の彼氏を寝取ることも、知らせずに連れてきて生贄にすることも価値観の、倫理観の違いでしかない。
しかし、人は死んでいく。
ホルガの民も、大学生も、9人も死んでいる。
最狂のラブストーリー
何が一番怖いって、これはラブストーリーだという事実だ。
ホラーかと言われればそうではないし、シュールな笑いと観ることもできるが、やはり違う。
グロ注意のスプラッタームービーかと言えば、それも狙っているわけではない。
あくまでこれらは「ミッドサマー」を司るアイテムの1つだ。
「ミッドサマー」は、単なる男女の恋愛物語である。
最初は女が男に依存していたが、ホルガの村にいるうちに、だんだんと熱が冷めていく。
そして、男に浮気?をされて失恋し、別れを告げる。
今まで狭い世界で男に依存してきたのはなんだったのかという晴れやかな顔で、新たな道を進んでいく。
よくある話ではないか。
ただ、ほんの少しだけ、あなたがいる世界とは違うだけなのだ。
そう思って見ると、主体性もなく他の女に求められるがままにヤッてしまう男なんてフッて当然だし、家族に振り回されて生きてきた人生を捨て、女王として暮らしていくことはハッピーエンドの世界ではないか。
女性の社会進出や、自立も多い昨今、ホルガでも1人の女性が依存関係を断ち切り、生きる喜びを見いだしたことには祝福しかない。
なのになぜだろう。
なぜか心の奥底ではじんわりとした恐怖が伝わってくる。
ミニオンズのイオンカードを作るといつでも映画を1,000円で観ることができます。
家族や友だちでも使うことができますよ!
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アリ・アスター監督の「ヘレディタリー」。
アリ・アスター監督はいわゆる悪魔とか幽霊とか、分かりやすい恐怖を描くのではなく、奥底からじわじわ精神をむしばむような怖さと気持ち悪さを描く。
驚かすような表現があるわけではないので、そういう意味では安心して見られるが、いつまでも残る不気味な怖さは必ず後を引くだろう。
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