「ブルー・バイユー」は2022年に公開された映画。
アメリカの養子縁組制度に焦点を当てた映画で、80年代に養子として入国した韓国系アメリカ人が警察とのいざこざが原因で国外追放されそうになる話。
3歳の頃からアメリカで暮らし、家庭を持ち、もうすぐ生まれてくる新たな命もいるのに離ればなれにされる。制度の問題点を明るみにした社会派の映画。
アントニオを演じるジャスティン・チョンの演技もさることながら、娘役を演じるシドニー・コウォルスケの演技が感情をかき乱してくる。
映画の雰囲気は決して感動をあおるタイプではない。淡々と養子縁組に対する問題を描きながらもエモーショナルなシーンを挿入し、家族の在り方を示していく。
大きな盛り上がりはないものの、ラストに向けて涙腺を刺激してくるので良い意味で期待を裏切られた作品だ。
タイトルの意味や物語の核となる国際養子縁組について説明しながらストーリーを解説していく。
「ブルー・バイユー」
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「ブルー・バイユー」映画情報
タイトル | ブルー・バイユー |
公開年 | 2022.2.11 |
上映時間 | 119分 |
ジャンル | ヒューマンドラマ |
監督 | ジャスティン・チョン |
映画「ブルー・バイユー」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
アントニオ | ジャスティン・チョン |
キャシー | アリシア・ヴィキャンデル |
ジェシー | シドニー・コウォルスケ |
パーカー | リン・ダン・ファン |
ACE | マーク・オイエン |
バリー | ヴォンディ・カーティス=ホール |
映画「ブルー・バイユー」あらすじ
韓国で⽣まれ、3歳の時に養⼦としてアメリカに連れてこられたアントニオは、シングルマザーのキャシーと結婚し、娘のジェシーと3⼈で貧しいながらも幸せに暮らしていた。ある時、些細なことで警官とトラブルを起こし逮捕されたアントニオは、30年以上前の書類の不備で移⺠局へと連⾏され、強制送還されて⼆度と戻れない危機に瀕してしまう。キャシーは裁判を起こして異議を申し⽴てようとするが、最低でも費⽤が5千ドルかかることがわかり途⽅に暮れる。家族と決して離れたくないアントニオはある決⼼をするー。
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映画「ブルー・バイユー」ネタバレ感想・解説
タイトルの意味
(C)2021 Focus Features, LLC.
「ブルー・バイユー」という耳慣れないタイトルだが、「バイユー」とは、水の流れがゆったりとした入り江のことを指している。
主人公のアントニオが妻さえ知らない場所だと義理の娘に教えた場所こそが、「ブルー・バイユー」。本作の舞台となるルイジアナ州にある湿地帯のある青い入り江のことをそう呼ぶのだ。
「バイユー」をキーワードに、物語は展開していく。アントニオがその場所にいくのは昔を思い出すからだ。まだほとんど記憶がないころに母親と一緒にいた場所。
母親に溺死させられそうになった場所でもあり、母親の苦しみや愛を感じ取った場所でもある。
また、アントニオの妻・キャシーがベトナム人パーティで歌った曲も「ブルー・バイユー」という曲。1963年にロイ・オービソンが発表した曲で、リンダ・ロンシュタットがカバーしている。
遠く離れた故郷のバイユーとそこに残してきた人を思う気持ちが歌詞になっている。キャシーはアントニオと離ればなれになる悲しみを歌にのせている。
アメリカで起きている国際養子縁組の問題とは
(C)2021 Focus Features, LLC.
映画のテーマとなるのは国際養子縁組制度。養子縁組制度は日本でもある。
「朝が来る」では、なんらかの事情で育てられない生みの親と、養子をのぞむ育ての親にフォーカスを当てて、その事情を丁寧に描いている。
しかし、日本に多いのは成人してから婿養子として迎え入れる相続的な理由で制度を使う場合がほとんどだ。
日本をみると、67%が婿養子など大人を養子にとる「成年養子」です。そして、25%が配偶者の子どもを養子にする「連れ子養子」、7%が孫や甥、姪を養子にする「血縁養子」。血族でも姻族でもない子どもを対象とする「他児養子」はわずか1%に過ぎません。
引用:一橋大学ウェブマガジン
しかし、アメリカでは環境が恵まれない子供を養子に迎え入れるほうが多く、その1つが国際養子縁組だ。
国際養子縁組制度とは、国籍が異なる子供と養子縁組を組むこと。
世界各国からさまざまな理由でアメリカに渡ってきた子供たちを養子として迎え入れるのである。中国のように一人っ子政策が原因で女の子が手放されたり、ベトナムから難民として逃げ出してきた子供もいる。
アメリカでは、比較的かんたんに養子縁組を組むこともでき、1980年からは国から一定の補助金も出る。しかし、その分虐待や放棄という負の側面も多い。アントニオも養父に虐待されたと告白している。
また、養子縁組にはリホーミングという制度もある。そこでは養子を望む子供たちが里子の前でレッドカーペットを歩き、面談して自分をアピールする。さらに正式な養子として迎え入れるまえに数ヶ月間のお試し期間を与えられるのだ。
そこで合わないと判断されれば養子にはなれない。
養子先でのトラブルを避けるための制度だが、子供にとってはたまったものではないし、いくつも養子先をたらい回しにされる子供もいる。
アントニオは3歳でアメリカに渡り30年以上暮らしている。韓国で暮らした期間よりも圧倒的に長く、当時の思い出はほとんどない。にも関わらずアントニオには市民権がない。
これが今回の映画が取り上げたかった問題点で、映画の中でたびたび出てくる2000年に作られた制度の欠陥なのだ。
アメリカでは2000年になるまで養子に市民権を与える制度がそもそもなかった。2000年以降に手続きをすることで市民権を得るはずなのだが、それが適切に行われずに市民権のないままアントニオは成長したのである。
こうして時代と法の落とし穴に落とされて、国籍のない子どもたちが生まれる背景ができたのだ。国籍を持たなければアメリカには滞在できない。たとえ何十年と当たり前のように暮らしていたとしても。
強制送還された場合、アメリカにもう一度来ることができたとしても外国人のビザが必要になるし、アントニオの弁護士が言っていたように法と戦ったあげくに追放されたら二度とアメリカの地を踏むことができなくなるのだ。
差別と貧困
(C)2021 Focus Features, LLC.
この問題が根深いのは、明らかな差別行為が国外追放のきっかけを作ってしまったことだ。あらすじでは警察との些細なトラブルが原因でとあったが、露骨に相手を挑発する白人警察の行為に必死に耐えていた。
警察が暴力をけしかけたにも関わらず不当逮捕されてしまう。
アジア系の移民に対して白人至上主義者の人間たちが露骨に差別をおこなう実態がある。また、冒頭ではアントニアの面接シーンが映し出されるが、出身地を聞いた後に不採用にされる。
バイクを盗んだ犯罪歴のある男をバイク屋の店主が不採用にするのは当然といえば当然だ。
しかし、そこには貧困という問題が現れる。
自分の意志ではなく養子縁組に出されたアントニオにとっては生きづらかった。さらには養子に出された先では養父に暴力を受けている。
アントニオが犯罪を犯した背景には、さまざまな環境的な要因があり、選択権をせばめてしまったことが想像できる。
家族の在り方とラスト・エンディングについて
(C)2021 Focus Features, LLC.
養子縁組を通じて家族の在り方、アメリカの制度の在り方などさまざまな問題をクローズアップする。
アントニオとキャシーの連れ子、ジェシーとの関係は良好だ。
ジェシーは血縁関係のある父親エースのことをほとんど知らない。エースがジェシーの前にあらわれるとき頭では父親だと理解していてもそこに感情はない。負の感情があるわけでもない。
ただそこには「自分の本当の父親」という文字での認識しかない。「そして父になる」でも見られた光景だが、一緒に暮らした思い出のない人間には決してなつかない。血のつながりよりも過ごした時間なのだ。
一方で血縁関係がなく、過ごした時間が長いからといって関係が良好というわけではない。それは、アントニオの養子先が示している。
そこでは養父に虐待され、養母は助けてくれず辛い幼少時代を過ごした経験がある。
強制送還を回避するために養父母の助けが必要だとしっても連絡をとろうとしないほどに憎んでもいる。
物語の後半では、国外追放のきっかけとなったエースも、ジェシーを失うことに恐怖を感じてアントニオを救う側に入る。元旦那は荒くれ者のイヤなヤツというステレオタイプにヘイトを集める役柄ではなく、子供を捨てたことを後悔し、家族のことを心配する普通の人だというところもまたよかった。
差別は憎しみや怒りからくるのではなく、何の関係もない第三者からの攻撃により生まれるのだ。
いよいよ国外追放をさせられるアントニオに、キャシーとジェシー、生まれて間もない赤ん坊は一緒にアメリカを出ようと空港に向かう。ここからの展開が一気に情緒的になる。いままではエモいにとどまっていた感情表現が一気に爆発するのは、ジェシーの一言だ。
税関へと向かうアントニオに対して「行かないで。私はあなたを選んだのだから」と叫ぶジェシーの悲痛な想いにより涙腺も緩んでいく。
なぜ、虐待もなく、幸せに暮らしている家族が離ればなれにならないといけないのか。養子縁組としてきた時代と法の落とし穴に落ちたアントニオのような人が今も存在する。
ラストではアントニオのような境遇に直面している人たちの写真を添えてエンドロール。映画のような境遇を経験している人たちへ取材した経験をもとにこの映画は制作されている。
自分のことを勝手に映画にしていると訴えを起こした韓国人の男がいるぐらいに実体験に基づいているのだ。
その後アントニオは再会できたのかもわからないし、ハッピーエンドになることさえ許されない終わり方なのは、この問題は過去の歴史を振り返っているわけではなく、今なお続く問題だからだ。
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