明け方の若者たちは2021年の年末に公開された映画。
大学卒業前に出会った女性と恋に落ち、同期の友人とともに少し遅めの青春を過ごす一方で、就職した企業では現実とのギャップにもやもやする若者の話。
「物事に終わりはない」をベースに楽しい期間と終わった時の喪失感を描いた作品で、多くの人がどこかで経験したであろう共感を得そうな話、ではあるものの心に刺さることはほとんどなかった。
なぜおもしろくなかったかには2つの要素があると考える。
今回は、「明け方の若者たち」が凡庸でつまらない映画になってしまった理由を解説していく。
「明け方の若者たち」
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「明け方の若者たち」映画情報
タイトル | 明け方の若者たち |
公開年 | 2021.12.31 |
上映時間 | 116分 |
ジャンル | 青春 |
監督 | 松本花奈 |
映画「明け方の若者たち」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
僕 | 北村匠海 |
彼女 | 黒島結菜 |
尚人 | 井上裕貴 |
中山 | 山中崇 |
映画「明け方の若者たち」あらすじ
「私と飲んだ方が、楽しいかもよ笑?」 その16文字から始まった、沼のような5年間。明大前で開かれた退屈な飲み会。そこで出会った<彼女>に、一瞬で恋をした。下北沢のスズナリで観た舞台、高円寺で一人暮らしを始めた日、フジロックに対抗するために旅をした7月の終わり・・・。世界が<彼女>で満たされる一方で、社会人になった<僕>は、””こんなハズじゃなかった人生””に打ちのめされていく。息の詰まる会社、夢見た未来とは異なる現在。夜明けまで飲み明かした時間と親友と彼女だけが、救いだったあの頃。でも、僕はわかっていた。いつか、この時間に終わりが来ることを・・・。
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映画「明け方の若者たち」ネタバレ感想・解説
マジックアワーとは
(C)カツセマサヒコ・幻冬舎/「明け方の若者たち」製作委員会
同期の友人が新入社員の頃を、「人生のマジックアワーだった」というシーンがある。
マジックアワーとは、太陽は沈み切っているが、まだ辺りが残光に照らされている美しい時間帯のこと。
就職により時間は削られてしまっても、朝までオールしたり、体力で時間を買うことができた時代。
自由な大学生活が終わり、日が沈む前の最後の青春時代を描いている。
彼女や友人と過ごす楽しい時間と、現実とのギャップに苦しむ社会人生活。
社会人生活を日が沈んだと表現してしまうのはちょっともったいない気もするけれど、関わる人が増えることで生活は一変するのも確かで、合わない人と関わることが余計なストレスを発生させたりする。
主人公が入社したような大企業の動きの遅さはご存じの通り。面倒な手続きを踏まないと何もできないし希望の部署にも配属されない。
やりたいことを実現させようとしても、上の承認をいくつも通さないといけないし、新人2,3年目の立場はそうとう弱い。
けれども福利厚生はしっかりしていて、主人公が数日休みをとっても怒られることなく、逆に上司がコンプラを気にして気を遣われる良さもある。
製造現場で事故が起きたとき「興奮した」と語っていたように、刺激はどんどん薄れていく。特にバックオフィスで裏方業務を行う者は、サポート的側面が多いため地味な仕事が多い。
私生活をとるか仕事をとるか、この境目で現実とのギャップに折り合いをつけていくことになるのだ。
そんな動きの悪さに辟易して退社したのが同期入社の尚人。中小企業やベンチャーであれば人数が少ない分、若手でも活躍しやすい土壌は揃っているけれど、激務である可能性も高い。自立した社会人はやりがいと安定のバランスを取っていかなければならない。
新卒採用が一般的な多くの日本人が経験した話を表現したのが「明け方の若者たち」である。
しかし、全く刺さらなかった。この手の青春映画は盛り上がりどころは少なくてもおもしろい作品はたくさんある。しかし、「明け方の若者たち」はひたすら退屈なだけだった。これには大きな問題が2つある。
おもしろくないの理由1 伏線不足などんでん返し
(C)カツセマサヒコ・幻冬舎/「明け方の若者たち」製作委員会
「明け方の若者たち」ははっきり言って凡庸である。
主人公たちが演じているのは、大学から社会人にかけて最後の青春を謳歌する一方で社会人の現実に直面するという多くの人に共感を得やすいはずのストーリーだ。
しかし、心に全く刺さらなかったのは、凡庸な話の展開に問題があるわけではない。
1つ目の理由は、全く伏線のないどんでん返し。
彼女が既婚者だったという事実を中盤になってネタバラシするが、そこにいたるまでの伏線はとても微妙。
期待が裏切られるからどんでん返しなわけであって、それがないなら隠す必要もない。地味だけど共感できるストーリー展開なのだからそこで興味を惹きつける必要もない。
退屈になるから刺激を入れるのであれば、もっと違ったアプローチであるべきだった。
「明け方の若者たち」のサイドストーリーの無意味さ
(C)カツセマサヒコ・幻冬舎/「明け方の若者たち」製作委員会
「明け方の若者たち」にはサイドストーリーがある。
メインでは男の立場での心理描写がなかったが、サイドストーリーでは彼女側の心情が描かれる。
そこで、旅行中の2人の間に流れていた微妙な空気の重さがわかる。
盛り上がりのないけれどおもしろい青春ストーリーはたくさんあるのだけれど、それらに共通しておもしろいのは心理描写を極限まで省くことで、各キャラクターの心理を考察できる点。
「きみの鳥はうたえる」は同じく盛り上がらないけれど、魅力があるのはキャラクターの心理描写を省くことで観客側が想いを張り巡らせることができるから。
「花束みたいな恋をした」は、わりと2人の思考をナレーションしているが、比喩的表現を使っていたりするし、肝心な部分は客観的な表現にとどめることで想像力を掻き立てる。
「夜明け前の若者たち」は、ストーリーは現実的だしあるあるネタで刺さるはず。しかし入り込めないのは、手に取るようにわかる2人の心理描写が、観客側にキャラクターの心理の考察する時間を楽しませてくれないからである。
2人の本当の気持ちが知りたいからサイドストーリーで補完するわけであって、わかりやすい心理描写に感情の補足説明は不要である。
この路線で行くならもっとエンタメに振り切って、ストレートに感情を吐き出して、盛り上げどころを作ればいい。
そして描写はとても生々しくリアルで没入感がすごい。
どちらにも中途半端にした結果、エモさは消えて見応えもないという残念な映画になってしまったのが「明け方の若者たち」なのだ。
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