ポーランドのイエジー・スコリモフスキ監督・脚本による7年ぶりとなる最新作「EO イーオー」が2023年に公開。
サーカス団で平和に暮らしていたロバ。ある日、動物愛護団体にサーカス団を潰されたことで放浪の旅に出るという話。
人間のエゴから始まり、人間のエゴに終わる一生をロバの視点を通じて人間の善悪、醜悪、優しさに触れながらポーランドからイタリアまでの旅路を描く。
動物を愛する心は同じでも、主張は異なる人間たちの身勝手さに翻弄される動物たち。
ロバの感情などわかる余地もないが、その愛くるしい瞳に愛情を持つ人もいれば何の感情も持たず、家畜と考える人もいる。
人間の悲喜こもごもを、ロバの視点を通じて描いた本作はアカデミー賞 国際長編映画賞にノミネートもされている。
ここではロバと交差するさまざまな人々について説明するとともに、ラストのメッセージの意味からわかる映画のテーマについて説明していく。
EO イーオー
(2023)
3.9点
ヒューマンドラマ
イエジー・スコリモフスキ
サンドラ・ジマルスカ
- ロバが各地を旅しながら人間の愛情や暴力性に触れていく話
- 動物の権利と人間の関わり方を改めて考えさせられる映画
- ポーランド発のアカデミー賞ノミネート作品
- ロバの愛くるしいシーンと芸術的なカメラワークが印象的
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映画「EO イーオー」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
カサンドラ | サンドラ・ジマルスカ |
ヴィトー | ロレンツォ・ズルゾロ |
マテオ | マテウシュ・コシチュキェビチ |
伯爵夫人 | イザベル・ユペール |
映画「EO イーオー」ネタバレ考察・解説
ヨーロッパでのロバの立ち位置
(C)2022 Skopia Film, Alien Films, Warmia-Masuria Film Fund/Centre for Education and Cultural Initiatives in Olsztyn, Podkarpackie Regional Film Fund, Strefa Kultury Wrocław, Polwell, Moderator Inwestycje, Veilo ALL RIGHTS RESERVED
日本ではあまりなじみのないロバだが、旅の途中で出会った司祭のヴィトーが言っていたようにポーランドや北イタリア地方で食用としても扱われている
しかし、食用とされているのは一部地域のみであり、農場での労働力として飼われているのが一般的である。
重要な働き手として利用している地域ではロバを食糧とすることは良しとされていない。
また、北アイルランドを舞台にした映画「イニシェリン島の精霊」ではロバをペットとして飼っていたように、日本の犬猫と同様に愛情をもって接している人もいる。
映画の中に出てくるロバのイーオーは愛くるしい。
小さな犬猫の方が人気な日本で普及する未来は見えないが、気性は大人しく、時には労働力となるため、田舎であればペットとしても飼うのも良さそうだ。
ちなみに日本にロバが全く普及していない理由は謎だそうだ。
映画「EO イーオー」のテーマとは
(C)2022 Skopia Film, Alien Films, Warmia-Masuria Film Fund/Centre for Education and Cultural Initiatives in Olsztyn, Podkarpackie Regional Film Fund, Strefa Kultury Wrocław, Polwell, Moderator Inwestycje, Veilo ALL RIGHTS RESERVED
映画「EO イーオー」は、端的に言えば動物の人権をテーマにした作品である。
まず、初めに描かれるは、サーカス団に属するロバとその女性、カサンドラ。
2人の関係は少なくとも人間の目には良好に見える。
しかし、ある日動物愛護団体からの批判を受けたサーカス団は廃業を余儀なくされ、ロバと女性は引き離される。
動物愛護団体の主張は、「動物を調教し、狭い空間で飼育するのは虐待ではないか?」というものである。
確かに自然の中で生きてきたロバや他の動物たちが、餌を与える代わりに調教され、人間たちの前でショーをするというのは不自然なのかもしれない。
しかし、それが幸せなのか不幸せなのかはロバにしか分からない。そもそも幸福かどうかの感情があるかどうかさえ人間には分からないはずだ。
サーカス団から連れ去られたロバの行き先はとある農場だった。そこにいる馬たちも人間にとって必要であれば丁重に扱われる。
しかし、そこに自由があるわけではないので、狭い部屋から出られることはない。
居場所を転々とする中で、カサンドラと再び出会ったことをきっかけに脱走する。一頭で自由きままに旅をするのだ。
映画はカサンドラとの過去をフラッシュバックさせながら、進んでいく。
優しい人間、家畜としてしか見ない人間、逆恨みして攻撃してくる人間たちと出会いを繰り返し、移動する。
しかし、一向にイーオーの感情は見えてこない。ここに動物を扱った他の映画とは異なる面白みがある。
EO ラストや映画の持つ意味
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映画「EO イーオー」は動物の権利について描くとともに、動物の権利を人間が決めることを皮肉った映画でもある。
人間と動物が心を交わすドラマや映画はよくある。愛情を持って接している人間は、動物と心が触れ合うことに喜びを感じるし、多くの人が共感するストーリーだ。
人間同士は愛情を持って関係性を築いているかもしれない。しかし、対動物へ愛情を向けたとき、その動物が何を考えているのかは動物にしかわからない。
「EO イーオー」はそんな人間的アプローチを嘲笑うかのように描かれる。
サーカス団を離れ、さまざまな土地でさまざまな人間たちと関わったロバの目に宿るのは無感情な視覚のみである。
ロバがどんな感情を持っているのか、何をしたいのかはなに1つわからない。
トラックドライバーが殺されようと、自分を連れて行った司祭が義母と恋人関係にあろうと、ロバには全くの無関係なのである。
人間社会がどれだけ汚く、すさんでいても、優しい世界であっても関係ない。ただロバは好奇心の赴くままに行動しているのだ。
時折フラッシュバックのように差し込まれるサーカス団の回想シーンもまた、映画を作る人間が作り出したものであり、そう思いたいだけなのかもしれない。
これは、イーオーにこうあって欲しいと願う人間たちへのミスリードであり、ロバがカサンドラに会いたがっているとは限らない。
ロバにとってはその行動に意味などないかもしれない。
また、対比するように人間社会もロバの一生には興味がない。司祭のヴィトが、ロバの肉をサラミにして食べたことがあると告白していたが、知らないうちに私たちも牛ではなくロバを食べているかもしれない。
牛の屠殺場にロバが一匹紛れ込んでいようとも人間たちは興味を持たない。
好奇心旺盛なイーオーは、その群れの中に入り、連れ込まれた先で場面が暗転する。そして包丁で切られる不快音とともにエンディング。
動物愛護団体が抗議した結果、命を縮めることになったロバの一生を皮肉りつつ、この映画は終幕する。
人間が動物を保護することは幸せなのだろうか。それとも自然界と断絶し、お互いが接触しない方がいいのだろうか。
厳しい自然界から保護し、狭い世界の中で生きることを保障すれば生存本能は満たされるはずだ。しかし、その中では人間の都合により繁殖行為は制限され、生殖本能を満たすことはできない。
また、人間たちの生存本能と生殖本能を満たすために、牛や豚は家畜化されて生かされる。
人間のエゴでロバや他の動物の境遇を変えてしまうことに疑問を提示した本作。
単なる動物愛護という口当たりの良い言葉のもとに、人間のエゴが垣間見えるのが本作であり、人間の善悪など動物には関係ないのだ。
動物と人間の関わり方を改めて考えさせられるのがEO イーオーであり、この映画の意図でもある。
映像や音楽は魅力的で、ロバの表情を見ているだけでも満たされる映画でもあった。
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