「17歳の瞳に映る世界」は、2021年公開のヒューマンドラマ。
予期せぬ妊娠をした女子高生のオータムが、親の同意がなくても中絶できるニューヨークにいとこと2人で向かう物語。
若い女性の生きにくさを最小限の演出ではっきりと伝わるように見事に表現。
大きな感情表現がないため、非常に現実味のあるドラマ。17歳の女性が選択した中絶という行動を淡々と描いているが、その苦しみが痛いほど伝わる良作だ。
子を持つ親からしたら複雑な気分になること間違いなしだけど、この年頃のリアルな痛みや苦しみが痛いほど伝わってきた。
「17歳の瞳に映る世界」
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「17歳の瞳に映る世界」映画情報
タイトル | 17歳の瞳に映る世界 |
公開年 | 2021.7.16 |
上映時間 | 101分 |
ジャンル | ヒューマンドラマ |
監督 | エリザ・ヒットマン |
映画「17歳の瞳に映る世界」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
オータム・キャラハン | シドニー・フラナガン |
スカイラー | タリア・ライダー |
ジャスパー | テオドール・ベルラン |
テッド | ライアン・エッゴールド |
母親 | シャロン・ヴァン・エッテン |
ソーシャルワーカー | ケリー・チャップマン |
リック | ドリュー・セルツァー |
映画「17歳の瞳に映る世界」あらすじ
ペンシルベニア州に住むオータムは、友達も少なく、目立たない17歳の高校生。ある日、オータムは自身が予期せず妊娠していたことを知る。ペンシルベニアでは未成年者は両親の同意がなければ中絶手術を受けることができない。同じスーパーでアルバイトをしている従妹であり親友でもあるスカイラーは、オータムの異変に気付き、金を工面し、ふたりで中絶に両親の同意が必要ないニューヨークに向かう……。
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映画「17歳の瞳に映る世界」ネタバレ感想・解説
お腹の子どもの父親は?
オータムは始まりからすでに妊娠状態にある。
しかし父親ついては明示的に描かれていない。学校の発表会の後、帰りがけに水をかけた男かと思ったけれど、まさかあんな下品なやつではないだろう。
オータムの性交渉の相手は1年で2人だと話していたし、不特定多数の男性と関係を持っていたわけでもなさそう。だから相手の男はハッキリしているけれどたぶん出演すらしていない。
身勝手な男により苦しめられているオータムの存在と、予定外の妊娠について、いかに男が無力で意味のない存在なのかを知らしめている。
ゆえに女性側にすべての負担がのしかかっていることを表現しているのだ。
そしてそのパートナーは、たまにコンドームを拒否し、脅し、暴力行為をふるって無理やりセックスを強要している。
映画「17歳の瞳に映る世界」のテーマとは
「17歳の瞳に映る世界」は、ニューヨークの病院に着いたオータムが、カウンセラーの質問を受けたシーンが肝になっている。
そしてこの映画は中絶の是非を問うているわけではない。
邦題にしてしまうと主題がブレてしまうけど、この映画の原題は「Never Rarely Sometimes Always」であり、そのカウンセラーの質問に対しての回答がそのままタイトルになっている。
そして唯一、全編を通して感情表現の少ないオータムが、その感情の一部を垣間見せるのもここだけだ。
それ以外のシーンでは、ほとんどオータムは話さないどころか感情を表現しない。
心情は観ているものが想像する世界でしかないが、それでも大きく間違ってないと確信できるのは、この新しき俳優シドニー・フラナガンの表現力の高さと凄さであろう。
話を戻すと、カウンセラーが聞いた質問内容は6つ。
- パートナーがコンドームを拒否したことがあるか?
- パートナーが妊娠を故意に狙ったことがあるか?
- パートナーに脅されたことがあるか?
- パートナーに殴られたことがあるか?
- パートナーに無理やりされたことがあるか?
これに対して、「一度もない、ほとんどない、たまにある、よくある」を答えさせている。
その質問からの受け答えを見るに、避妊具を使用しないセックスに始まり、パートナーに怯えるオータムの姿が垣間見える。
17歳がこれだけのストレスを受けるだけでなく、その全てが妊娠と言う形でオータムのみに返ってくる不条理。
いかに男がお気楽で自由なものかがわかるだろう。避妊をしないという選択肢=悪ではもちろんないが、そのリスクはすべて女性側に降りかかっていくことを忘れてはいけない。
このシーンはそれを強烈に伝えてくる。
中絶に反対するフィラデルフィアの医師の言うことはもっともだと思う。
しかし、望んだわけでもないのに母親になることを幸せかのように扱われ、中絶の意思があると「お前は殺人をしようとしているのだ」と追い込んでくる。
私も今は子どもがいるから、赤子に感情移入してしまい、苦しい気分になるのは確か。
しかし、そんな正論は彼女だってわかっている。だからといって全てのことをオータムは背負っていかなければならないのだろうか。正論は時に深く人間を破壊する。
望んだわけではない形で命を授かったことへの非難は17歳のオータムが1人で背負い込めるものではない。
そして一方、ニューヨークの医師たちはオータムの意思を尊重する。許容し理解を示す。
ニューヨークという見知らぬ街では彼女の味方はたくさんいた。そのどれもが女性だというのは、オータムの取り巻く男性がいかに彼女らにストレスを与えているのかを強調している。
この映画の中には実にさまざまな男が登場する。野次を飛ばす同級生、皮肉を言う父親、世間話をしたら勘違いして誘ってくる客、電車で痴漢行為をする酔っ払い。そしてジャスパー。
その誰もがオータムに、スカイラーにストレスを与える。
スカイラーのストレス
スカイラーは優しくて断れないタイプの女性として描かれる。こういうタイプの女性には勘違いした男どもがたくさんやってくる。魔性の女とは違う、下手をすれば都合の良い女にされかねない危険性を孕んでいる。
ジャスパーに対してはおそらくそれほど興味はなかったはずだが、好意的に誘ってくれた男性を無下に断れず、電話番号を渡す。お金を借りたお礼にと求められるがままにキスをする。
周囲にうまく溶け込めないオータムの生きづらさと周囲の期待を裏切れないタイプのスカイラー。それぞれ正反対だが、それぞれにストレスを抱えている。
若い女性の生きにくさと言うものを多くを語らずに表現された映画だ。
ステレオタイプのように女性の権利や差別を露骨に表現するのではない。「17歳の瞳に映る世界」で起きていることは、生々しく、どこにでも転がっている吐き気のするような現実だ。
ラストシーン。中絶を終えたオータムは地元に戻るためにバスに乗る。中絶は殺人だとフィラデルフィアの病院で見せられたビデオは言っていた。しかし、オータムの顔は少し晴れやかになっていた。
悪夢のような数日間から解放された安らかな顔がアップとなりエンディングを迎える。
「私というパズル」では望んだにも関わらず、死産してしまい、失意のどん底に落ちる女性が描かれる。
「朝が来る」では、望んでも子どもができない夫婦が養子縁組を利用する。
その一方で、望んだにもかかわらず離れ離れにされてしまう者もいる。
貧困を描いた「フロリダプロジェクト」は見知らぬ他人に子どもを奪われる。
この問題の是非をどうこう言うには話が複雑すぎるけれど、それほど重みのある命の意味をオータムは1人で抱えなければいけなかったのだと考えれば、この苦しみがもう少し伝わるのではないかと思う。
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