「TITANE/チタン」は2022年のスリラー映画。子どもの頃の交通事故で、チタンプレートが埋め込まれ、車に対して異常な執着心を抱くとともに犯罪への衝動に駆られていく話。
監督はジュリア・デュクルノーという女性監督で、「TITANE/チタン」は、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞。
70年以上続くカンヌで女性監督が受賞したのは、史上2番目という快挙でもある。
2022年、マジで見なけりゃ良かったNo. 1映画。殺人、ダンス、音楽に特殊な性癖をベースに紡ぎ出される狂いきった表現力はたしかにお見事。現代アートを見ているような、すごいんだけどよく分からないシーンのオンパレードが続く。
それはいいのだけれど、何がしんどいって突如発生する殺人行為での痛々しいシーンの数々がとにかくつらい。それに加えて自傷行為も激しく、突発的に発生するため何度も目を背けることになった。何をしでかすか分からない主人公の一挙一動に恐怖して、何でもないシーンですらまともに見られなかった。
見て後悔した映画なのは間違いないが、ジェンダーが倒錯したような描き方と暴力性に加え、エロティシズムや人間愛がぐちゃぐちゃに混ざり合っていて絶妙なバランスをとった芸術性の高い映画であることは間違いない。
ストーリーはかなりアレだし、フランスらしい多くを語らない映画なので、解説を交えて感想を書いていく。
「TITANE/チタン」
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「TITINE/チタン」映画情報
タイトル | TITINE/チタン |
公開年 | 2022.4.1 |
上映時間 | 108分 |
ジャンル | スリラー |
監督 | ジュリア・デュクルノー |
映画「TITINE/チタン」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
ヴィンセント | ヴァンサン・ランドン |
アレクシア | アガト・ルセル |
ジャスティン | ガランス・マリリエール |
映画「TITINE/チタン」あらすじ
幼い頃、交通事故により頭蓋骨にチタンプレートが埋め込まれたアレクシア。彼女はそれ以来<車>に対し異常な執着心を抱き、危険な衝動に駆られるようになる。遂に自らの犯した罪により行き場を失った彼女はある日、消防士のヴィンセントと出会う。10年前に息子が行方不明となり、今は独りで生きる彼の保護を受けながら、ふたりは奇妙な共同生活を始める。だが、彼女は自らの体にある重大な秘密を抱えていた──
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映画「TITINE/チタン」ネタバレ感想・解説
アレクシアはなぜ殺人を繰り返すのか
(C)KAZAK PRODUCTIONS – FRAKAS PRODUCTIONS – ARTE FRANCE CINEMA – VOO 2020
アレクシアは冒頭の30分間で4人もの人間を殺害している。髪に刺したヘアピンを凶器に使い、ほとんどノーモーションで刺し殺す。
観客は急な殺人にびっくりすると同時に次のシーンが怖くなる。いつ起こるかわからない暴力シーンに怯え通常のシーンですら目を細めたくなる。
しかし、なぜアレクシアは殺人を繰り返していたのか。
ここに関して明確な動機づけの描写はない。
しかし、彼女が熱烈なファンを刺し殺したとき、表情も変えず、一発で仕留めたことから初めての殺人ではないということがわかる。
また、ニュースで報じていた複数の殺人事件についてもアレクサが関与していることを示唆している。
推測ではあるが、おそらくアレクシアは過去のトラウマ経験により、殺人的な衝動を抑えられなくなってきている。
また、両親から満足な愛情を与えられず、事故をキッカケに無機質なものに異常な感情を抱くことで、人間に対して無感情になっているのだ。
アレクシアが幼き頃、父親の車に乗って出かけていたとき父親とケンカしていた。
明確な描写はないが、おそらくアレクシアは父親のことをずっと憎んでいた。言うことを聞かない子どもはどこにでもいるが、明らかに眼力が違った。あの目は父を心底軽蔑し、憎んでいる顔だった。
事故がアレクシアの中で引き金となり、トラウマを植え付けた。
そして4人を殺害後、警察に終われることとなったアレクシアは、家に火を放ち父親も殺している。
アレクシアはなぜ妊娠しているのか?
(C)KAZAK PRODUCTIONS – FRAKAS PRODUCTIONS – ARTE FRANCE CINEMA – VOO 2020
妊娠の理由はかんたんだ。車とヤったからである。
ストーリーがだいぶアレの理由がここにある。アレクシアのお腹はいつのまにか大きくなり、そのスピードは人間の妊娠よりも早い。まるで映画「オールド」のように、明らかにものすごいスピードで成長しているのだ。
アレクシアはそれに気づいたとき絶望し、堕胎させようと一生懸命自傷行為に走る。テープでお腹周りをぐるぐる巻きにしたり、女性器のあたりを傷つけたり、お腹をかきむしったりしているシーンが痛々しくて見てられないのだけれど、すべては彼女が車とヤッたから。
これは、アレクシアが幼い頃の交通事故により、チタンプレートを埋め込まれ、車に対して性的な感情を抱くようになったことに起因する。ある意味ではメルヘンに近い世界だが、彼女は車とセックスできるし、車との間の子供すら産むことが可能なわけだ。
アレクシアが殺した2人目の女性とのセックスシーンでは、アレクシアは彼女自身に興味があるわけではなく、彼女の乳首についていた金属片に興味を示している。
また、アレクシアから出てくる液体はすべて黒いオイルだ。血も母乳もすべてまっくろでドロドロしたオイルで表現されている。まさにアレクシアが車と一体化しつつあることを暗示しており、ここに関してはアレクシアから見た視点なのか、他人が見てもオイルが流れているのかはわからない。
加えて、車との性交についてはあるメタファーも含まれている。
それは、父親による性的虐待である。アレクサがお腹に違和感があると訴えたとき、父親が彼女のお腹を触診している。
そのときにアレクシアはもっと下を触るように言ったものの、父親は手を離した。
特に深くは触れられていないものの、何か思い当たる節があったことを暗示しているのだ。
そしてアレクシアが父親を異常に憎んでいた理由もここにある可能性がある。
アレクシアの妊娠はヒューマノイドタイプのロボットの完成を意味している。
究極のフェティシズムによる描写は1997年のデヴィッド・クローネンバーグ監督による「クラッシュ」に通ずるものがある。
自動車事故に性的興奮を覚える「クラッシュ」は、セックス、暴力、車という点で非常に共通点も多いが、ジュリア監督はこれについて言及はしていない。
むしろグラフィック部分については、サム・メンデス監督の「1917」やジョン・マクノートンの「ヘンリー」からインスピレーションを受けている。
山火事の場面などは「1917」の戦場シーンを意識して撮られている。
we both had just seen “1917,” which is, like, outstanding in terms of technique. It’s amazing, the lights and the camera movements in this.
(1917で素晴らしい技術を見た。光やカメラの動き方にとても驚いた)
Los Angels Times
ヴィンセントの子どもであるエイドリアンに何があったのか?
(C)KAZAK PRODUCTIONS – FRAKAS PRODUCTIONS – ARTE FRANCE CINEMA – VOO 2020
ヴィンセントの子どもは幼い頃に行方不明になっていた。大量殺人を犯して追われる身のアレクシアがとった行動は、その子どもになりすますことだった。警察の包囲網から逃れたら逃げるつもりだったが、ヴィンセントはアレクシアと暮らすことを選択する。
ヴィンセントも、実の息子でないことには最初から気づいていたはずだ。にも関わらず、そのまま住まわせたのは、息子の失踪にこれ以上耐えられなかったからだ。
警察の捜査は手掛かりなく10年が経過し、捜査が終了しようとしていた。ヴィンセントもまた、その苦しみから逃れられず自傷行為に走っていた。
母親は最初からアレクシアに気づいていたし、それをわかった上でヴィンセントの精神を崩壊させないために黙認したのだ。
失踪して行方のわからない息子の帰りを待ち望んでいた父親というキャラクターは、同情をひきつけることになるが、いくつかのシーンを見るとある仮説が浮かび上がる。
エイドリアンに関してわかっていることは以下の3つ。
- 失踪したのは8歳頃
- 女性の服を着ているエイドリアンの写真
- 火事のとき、子どもが燃えている幻覚を見た
ここから考えられることは2つ。
エイドリアンは性同一性障害だったが、ヴィンセントがそれを許さなかったため自ら失踪したのが1つ。しかし、当時の年齢からして完全に姿を消すのは難しそうだ。
そしてもう1つは、ヴィンセントの手によってエイドリアンはすでに殺害されているシナリオだ。
ヴィンセントがトランスジェンダーをひどく嫌っていて、衝動的に殺してしまった可能性がある。しかし同時に後悔と自己嫌悪にさいなまれながら生きていた。だからこそ男の姿をした女のアレクシアを受け入れようとしたのだ。
それはヴィンセントの贖罪であり、セカンドチャンスとも言えるべきものであった。
しかし、アレクシアが消防隊員の前で車に発情してダンスをしたとき、再びその嫌悪感に支配される。あのシーンは、アレクシアが実の息子ではないと気づかされたわけではない。
トランスジェンダーを頭では受け入れようとしていたヴィンセントだったが、体が拒否反応を示したものだ。
その後、焼身自殺を図ろうとするシーンも、エイドリアンと同じ道を辿ろうとしたのかもしれない。
ラストの意味
ラストでは、アレクシアが臨月を迎え、チタンで構成された赤ん坊が生まれた後にアレクシアはそのまま息を引き取る。
お産を手伝ったヴィンセントは幸せそうに「私はここにいる」と伝えるのだった。
ストーリーがぶっ飛びすぎていて、頭の中に?がたくさん浮かんでくるラストだ。
しかし、このシーンは映画の肝である。
家族の愛情に満たされなかったアレクシアは、車のような無機質な物体しか愛せず、無感情のまま人を殺してきた。しかし、アレクシアが最後に欲したのは親の愛情だった。
自らも自傷し、この世界に生きていく意味を持たなかったアレクシアは、残酷な現実にチタンで構成された赤ん坊を産んだのは、強い人間になりたいというメタファーも含まれている。
そして、次の世代に生き抜く力を受け渡したことで、生きる意味をまっとうし、役割を終える。
ヴィンセントも先に述べた通り、エイドリアンを受け入れらなかった自分を悔い続けていた。しかし、アレクシアの女性の部分を見たときには嫌悪感で満たされ、受け入れられない罪悪感とともに焼身自殺を図ろうとする。
しかし、臨月のアレクシアを見た時に、お産を助け赤ん坊を抱きかかえる。
そしてヴィンセントも贖罪として、エイドリアンでの経験からのセカンドチャンスとして、この子を育てることを決意し、生きていく意味を見出すのだ。
「TITANE/チタン」は、アレクシアとヴィンセントの関係性がとても重要である。アレクシアは満たされなかった父親の代わりを欲しているしヴィンセントは息子の代わりを欲している。
性や暴力の問題からつながる悲哀に満ち満ちた映画だったが、最終的には愛に包まれて終わるラブストーリーでもあるのだ。
しかし、数々の暴力表現が痛々しすぎるので、一度目を背けながらやばいシーンを見た後に、落ち着いて再鑑賞することをおすすめする。
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