映画「ファーザー」は2021年の映画。
アンソニー・ホプキンスが主演で、2021年の主演男優賞を獲得した作品。
認知症をテーマにしている映画が他と比べて異なるのは、認知症患者を主観にして物語が進む点だ。
そのため、私たち観客も巻き込まれる。自身が認知症になった時、世界がこのように見えているのだと認識させられる。
まるでミステリーやホラーの世界に入り込んでしまったかのような流れになるが、これは紛れもなく現実の話なのである。
今回はその内容を踏まえてあらすじから紹介する。
「ファーザー」
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「ファーザー」映画情報
タイトル | ファーザー |
公開年 | 2021.5.14 |
上映時間 | 97分 |
ジャンル | ヒューマンドラマ |
監督 | フローリアン・ゼレール |
映画「ファーザー」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
アンソニー | アンソニー・ホプキンス |
アン | オリヴィア・コールマン |
男性 | マーク・ゲイティス |
ローラ | イモージェン・ブーツ |
ポール | ルーファス・シーウェル |
女性 | オリヴィア・ウィリアムズ |
映画「ファーザー」あらすじ
ロンドンで独り暮らしを送る81歳のアンソニーは記憶が薄れ始めていたが、娘のアンが手配する介護人を拒否していた。そんな中、アンから新しい恋人とパリで暮らすと告げられショックを受ける。だが、それが事実なら、アンソニーの自宅に突然現れ、アンと結婚して10年以上になると語る、この見知らぬ男は誰だ? なぜ彼はここが自分とアンの家だと主張するのか? ひょっとして財産を奪う気か? そして、アンソニーのもう一人の娘、最愛のルーシーはどこに消えたのか? 現実と幻想の境界が崩れていく中、最後にアンソニーがたどり着いた〈真実〉とは──?
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映画「ファーザー」ネタバレあらすじ アンソニーの主観
映画「ファーザー」は、ほとんどのシーンがアンソニーの主観として語られている。
そのため観ているものが認知症になったかのような体験をする。だから頭がかなり混乱するような作りになっている。
認知症なので記憶や時系列があいまいになっていることを踏まえた上で見ると良い。
まずは、アンソニーの主観であらすじを紹介する。
フランスに行くと伝えるアン
娘のアンが家に来た。小言を言うためだろう。案の定、あの女のことについて問い詰めてきた。
自分のことは自分でできるとあれほど言っているのに、介護士を雇ったのだ。
でも私が大事にしている時計を彼女が盗ったのに。なぜ盗人と一緒に暮らさなければならないのか。
アンはいつも大事なモノは浴槽に隠しているといってくるが、何でそんなことを知ってるんだ。まぁいい。一度見に行ってみよう。
腕時計を発見した。良かった。これで時間がわかる。アンがなぜか時計について話しかけてくるので、時間を教えてあげた。
ふいにもう1人の娘のことを聞く。するとアンは深刻な顔をして、ロンドンを出なければならないという。ジェームスのいるパリに行くのだと。
アンは、私を捨てるのか。悲しい。
アンソニーが住んでいる場所
あくる日、アンソニーは仕事に出かけたアンを窓から見送っていた。静かな誰もいない家の中にいると、突然人が入ってくる物音がした。
知らない男だった。聞くとポール名乗るその男は、このアパートに住んでいると言う。
意味がわからないアンソニーはポールに詰め寄ると、アンの夫だという。10年ほど前から結婚していると。彼は慌ててアンに連絡を取ると、アンがすぐに来ると言っていた。
そうだった。しかしパリに住むと言っていたアンがなぜここにいるのか。ポールに聞こうとするも彼はあまり取り合わない。
娘は自分のことを聞かずに引っ越しをするように言ってくるし、介護士を雇おうともする。この間もローラという女を雇ってきた。私はほらこんなにも元気じゃないかと見せつけるも対応は冷ややかだ。
おれはこの家を出て行かないぞ!と主張したところ、ポールの顔つきが変わった。ポールというこの男は、ここは自分の家で私が居候だと言ってくる。次の介護士が見つかるまで一時的にこの家に住んでいるのだと。
そうこうしているうちにアンが帰ってきた。しかし、そこには全く知らない女性がいた。どういうことだ?アンはどこだと聞いても、「私がアンだ」と答える。チキンを買ってきたアンの買い物バッグを持ってポールは奥に消えた。
頭が混乱して苦しくなってくる。椅子に座って一息つくと、アンが心配してこちらへ来た。ポールのことを話すと「誰それ?」と言い出した。私は5年も前に離婚しているという。じゃあ今そこにいた男は誰だ?チキンを持って出て行ったあの男は?と言っても理解しようとしない。キッチンへ行くも、チキンもその男もそこにはいなかった。
自室へ戻って気を落ち着かせ、アンに改めて聞いた。ここは私の家かと。答えはなかったが、クスリを飲んだら落ち着いてきた。
ローラとルーシー
朝、寝室にいるとドアベルが鳴った。アンが出迎えた相手を見ると若い女性だった。名前をローラという。どこかで会ったような気がするが初めてだという。
自分のもう1人の娘の話をした。その娘は画家だった。そうだ。ローラはルーシーに似ているのだ。この馬鹿笑いをするところがそっくりだ。
あぁ、なんだか気に入らない。そもそも私は1人で暮らせるというのに。
あれ?そういえばこの隣にいる女性は誰だ?まぁいい。とりあえずこの感じの悪いやつらからは離れよう。
別の日、アンと男がキッチンで話しているのを見る。誰だか分からないがゲストかと聞くと違うという。アンに時計を無くしたこと話すとカップボードに置いたんじゃないの?と言ってくる。
そんな場所に置いたことない。そこは見た。無くしたかもしくは誰かが盗んだはずだと主張するとアンが呆れたように探しに行った。
しかし、この男が怪しい。時計をつけている。それとなく時計を見せてもらおうとするも拒否され、アンのことやルーシーのことを話してくる。アンとはどうもうまくいかない。
ルーシーはすごかった。画家のルーシーとは数ヶ月会っていないが、どこかに旅にでも行っているのだろう。いつか会いにきてほしい。
男が質問していいか?と聞いてくる。正直に答えて欲しいと。
「いつまでみんなを困らせるつもりだ?」
ジェームス
アンと病院に行く。医者にアンと一緒に暮らしているのか?と聞かれたので「パリに行くまでは」と答えると、アンはそんなところに行くつもりはないという。この間言ったのに何を言っているんだ。
老人ホームに入れろと口論が聞こえる。目の前に行くと気まずい雰囲気のまま食事が始まった。チキンだった。
介護士のローラの話になった。18時までは彼女が面倒見てくれるらしい。男があんたはラッキーだと言ってくるので、なんのことだか分からないけどお前もラッキーだよなと返しておく。
急にお前がアンジェラと喧嘩したからイタリアに行けなかったと言ってくる。なんのことかさっぱり分からない。
チキンをもう少し食べたくなったので台所に取りに行った。戻ってくるとまた口論が聞こえる。老人ホームに入れろという内容だった。
朝、起きると見慣れないものが置かれていた。ルーシーの描いた絵がなくなっている。アンを呼ぶとローラが現れる。アンは仕事に出かけたという。
この女のちょっと小馬鹿にした感じが鼻につくが悪い女じゃないようだ。
本当にルーシーに似ている。そういうと、ルーシーの事故がどうとか言い出した。なんだ?何を言っているのだ?
すると男が現れた。こいつは誰だ?見たことがある気がする。アンの夫じゃなかったか?
男が質問していいか?と聞いてくる。正直に答えて欲しいと。
「いつまでみんなを困らせるつもりだ?」
平手打ちされた。怖い。私は何をしているのだろう。アンが来てくれた。やはりいてくれたのだ。今何時だと聞くと夜だという。さっきまで朝だったはずなのに。まだパジャマから着替えていないのに。
アンソニー
誰かに呼ばれたような気がした。アン?いやルーシーだ。声のする方へ行ってみる。そこは病院だった。呼ばれるままに進むと、そこには大怪我を負ったルーシーがいた。
朝、目が覚める。
ローラが来るという。彼女とはよく会ってる気がする。でも会ったら別人だった。いや、過去にアンだと名乗った人物じゃないか。理解ができない。わけがわからない。
アンにここに住んだ方がいいと言われる。アンはパリに行くのだと。前は行かないと言ったのに。私はどうなるのだ。妹はどこに行った?妹に会いたい。
私は今どこにいるのか?アンの名前を読んでも返事がない。入ってきたナースはこの間ローラとしてきた女性だ。
アンだと言ってきたこともある。アンのことを聞くとここにはいないと言う。パリに住んでいると。ポールと一緒に住んでいると言う。
次に入ってきた男性は、私を殴った男であり、アンの旦那だった人だ。しかし、彼はビルだという。私は誰だ?お母さんに会いたい。家に帰りたい。
映画「ファーザー」の真実を徹底解説・感想
アンソニーには何が見えていたのか
アンソニーには何が見えていたのか。彼の頭の中で展開される断片的な記憶は誰が、いつ、何を言ったのかが全てシャッフルされる。
だから叩かれたのはジェームスではないのかもしれないし、アンはフランスにはいないかもしれない。アンとして登場する人物も本当にアンなのかすら疑わしい。
それではこの映画は何を真実としたらいいのか。すべてが嘘であれば認知症ということすら疑わなければならない。それではただのホラー映画である。
しかし、この映画が明確にホラーではないと言えるのは真実があるからだ。
アンソニーがその場にいる場面での状況は信じてはいけない。そこには彼の主観から語られる脚色された場面が映し出されているからだ。
アンソニーが存在していない場面を真実だとすると
- アンという女性はオリヴィア・コールマンで正しい
- ローラという女性がいたのは事実
- アンの(元)夫はジェームス
- アンはアンソニーを老人ホームへ入れた
- アンはアンソニーを殺そうとした
これらはアン側の視点で語られている。
ではアンソニーの視点はすべて嘘かというとそうではない。アンソニー側の視点は真実と虚偽が入り混じっている。
これは断片的な記憶を繋ぎ合わせているため、しっかりと認知できていないからだ。
例えばアンにしたって2人いたように、登場人物の顔と名前は基本的に一致しない。
この映画の中では何年経過しているのかも分からない。しかし会話の内容が真実なのであればジェームスとアンは離婚していて5年は経過している。そしてその後フランスに行って数ヶ月経っているので、6年間ぐらい時が経過しているというわけだ。
だから「誰に、いつ、何を言われた」のかについては不明瞭な場合が多い。ただ言えることはその中には嘘が含まれているのではなく、真実の中にある時系列や登場人物をミックスされ、事実がねじ曲がっているのだ。
そしておそらくアンソニーにとって印象深い出来事が強く残っていると思われる。
それを踏まえると
- 妹は亡くなっている
- アンの夫に殴られた事がある
- 老人ホームに入れろという会話を聞いている
誰に何を言われたかについては当てにはならない。されたことについては記憶があるわけだ。
これらをつなぎ合わせて時系列にするとこうなる。
- 認知症が始まったので介護士を雇ったがうまく行かなかった
- 次の介護士を雇うまでアンの家で暮らすことにした
- しかし、夫のジェームスが我慢できずに離婚
- 5年にも及ぶ介護生活に疲れたアンは父親を殺そうとさえした
- フランスに好きな人が見つかり父親を老人ホームに入れる
という流れなのだが、重要な情報がねじ曲がり、今回の映画のような形で見えているのだ。
「ファーザー」は現実に起こりうるミステリー
まるで映画「メメント」のように時系列がどのように進んでいるのか分からなくなるのが認知症だ。
認知症をテーマにするような映画はたくさんあったけど、本人視点で描かれるのは初めてじゃないだろうか。
この病気が社会問題化してからずいぶんと経つけれど、認知症はまだまだ分かっていないことも多い。ただ、根本的な治療はないままだけど、一定の理解が深まりつつあるからこのような映画を撮ることができたのだろう。
アン側の視点から認知症患者を見た場合、それはとても不可解な行動に思える。今まではその立場で見てきた。
しかし今回、認知症側からの視点で見ると、たしかにこれは混乱する。もはやミステリーの域を超えてホラーに近い。
時間感覚も薄れて、自分がどこにいるのかもよくわからず、ある日急に知らない人が現れる。見たこともない人が次々に現れたり、同じ会話の繰り返してくる。
全く記憶がないのにこちらのことを聞こうとともしないし、何もしていないのに殴られる。
理不尽極まりない世界との戦いだ。そんな世界に向き合うのはとても困難だ。
思考力も低下する中で周りの味方が誰なのかわからない。アンは唯一の肉親であり、味方だとされているが、アンの本当の姿がどれかすらわからないのだ。今話しているのは自分の娘なのか、介護士なのか、それとも赤の他人なのか。
どれだけ優しくされようとも、自分が認知していることとは異なることを話してくる他人は不気味に映るだろう。見ることも聞くことも考えることもできるし、自分の脳が正常ではなくなっているという判断はどうやってできよう。
ミステリーの中に迷い込んだかのようで、出口の見えないトンネルをリアルに体験できるのが、「ファーザー」という映画の凄みである。
今まで色々なミステリーやホラー映画を見ては、同じように実体験してみたいという欲求にかられたことはないだろうか。
不可解なシチュエーションに巻き込まれ、非現実の恐怖を味わいたいと思ったことが。
私はあった。でも「ファーザー」でアンソニーが身を置いているのはまさにそこなんだ。
「ファーザー」はミステリーという位置にはいない。ヒューマンドラマであり、家族の物語だ。どこかの家庭で今まさに起こっているドキュメンタリーと言っても過言ではない。
これを見て私はミステリーに巻き込まれたいと思うことはないだろう。だってそれはいつ自分の身にも降りかかるのかわからない現実だから。
自分が認知症になったらどこか施設にでも放り込んでほしい、そう思っていた。でも「ファーザー」を見ると、本当に娘が自分をただ捨てただけのように見えてくる。
そこに悪意があるのか判断はつかないけれど、アンに見放されたことだけがわかる。むしろ自分が迷惑をかけているのだなんて夢にも思っていないはずだ。
そして誰だか分からない人たちに介護されながら生きていく。ある日は理解できるかもしれない。でもある日は誰なのか全く分からない。それはストレスに変わり、怒りや哀しみとなってあらわれる。
その苦しみを私は耐えられるのだろうか。
もう一度言いたい。これは今までのスリラーやホラー映画のように自分には関係ないところで安心して見られる類のものではない。数十年後の自分達に起こりうる現実だ。
同じく2021年公開の「スーパーノヴァ」。認知症がもたらす深い悲しみと喪失感を表現している。
2021年の映画も相変わらずおもしろい映画が多いので是非観てほしい。
コメント
コメント一覧 (2件)
初めまして。
先日wowowでこの映画を観ました。
自分の両親が認知症で、何と言うか、複雑な心境になり考察など検索していたのですが、
こちらの主様のページがとても分かり易く?自分の頭の中に入ってきたのでコメントさせていただきました。
彼ら(認知症患者)の思考は驚くほど色々な処に飛び、結びつけます。
自分は秘密結社のエージェントになった事もありました(笑)
Twitterはやっていないので、こちらのコメントで失礼させていただきます。
また違う映画の感想、考察など聞かせていただきたいと思いました。
ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
少しでもお力になれたようで、とてもうれしいです。
時系列がぐちゃぐちゃすぎるので、とんでもない結びつけ方してもおかしくないですよね。。
見ていて本当に衝撃的な映画でした。