映画「泣く子はいねぇが」は2020年の邦画。
地元秋田で娘が生まれたばかりの若い男が、伝統行事の「ナマハゲ」で泥酔して裸で走り回っているところをテレビに映されてしまい、自分の居場所を無くしてしまう話。
大きな盛り上がりがあるわけでもなく、話のテーマから明るい方にいくわけではないのだけれど、随所のシーンに見られるクスッとできる笑いが良く、変にダレることなく最後まで楽しんで見られる。
中野大賀のダメ男っぷりと、それに対応する吉岡里帆の冷たい雰囲気は、本当にどこかの一般夫婦を見ているようなリアリティもあり、この2人の役者が好きになる1作でもある。
伝統行事を残すことと同じように、親は子に何を残していくのか。
ダメ男のたすくを通して伝えていく良質なヒューマンドラマだった。
80点
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「泣く子はいねぇが」映画情報
タイトル | 泣く子はいねぇが |
公開年 | 2020.11.20 |
上映時間 | 108分 |
ジャンル | ヒューマンドラマ |
監督 | 佐藤快磨 |
映画「泣く子はいねぇが」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
たすく | 仲野大賀 |
ことね | 吉岡里帆 |
志波 | 寛一郎 |
たすくの兄 | 山中崇 |
たすくの母 | 余喜美子 |
康夫 | 柳葉敏郎 |
映画「泣く子はいねぇが」あらすじ
秋田県・男鹿半島で暮らす、たすく(仲野太賀)は、娘が生まれ喜びの中にいた。一方、妻・ことね(吉岡里帆)は、子供じみていて 父になる覚悟が見えないたすくに苛立っていた。大晦日の夜、たすくはことねに「酒を飲まずに早く帰る」と約束を交わし、地元の伝統行事「ナマハゲ」に例年通り参加する。しかし結果、酒を断ることができずに泥酔したたすくは、溜め込んだ鬱憤を晴らすように「ナマハゲ」の面をつ けたまま全裸で男鹿の街へ走り出す。そしてその姿がテレビで全国放送されてしまうのだった。ことねには愛想をつかされ、地元にも到底いられず、逃げるように上京したものの、そこにも居場所は見つからず、くすぶった生活を送っていた。そんな矢先、親友の志波(寛 一郎)からことねの近況を聞く。ことねと娘への強い想いを再認識したたすくは、ようやく自らの愚行と向き合い、地元に戻る決意をする。だ が、現実はそう容易いものではなかった…。果たしてたすくは、自分の“生きる道”、“居場所”を見つけることができるのか?
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映画「泣く子はいねぇが」ネタバレ感想・考察
伝統行事「なまはげ」とは
秋田の伝統行事「なはまげ」。その名前ぐらいは聞いたことはあるだろう。
物語の場所となる男鹿半島の周辺で行われている年中行事の1つだ。
東北地方での幼児に対する教育手段の1つであり、その目的は、なまはげという強い恐怖の象徴を子供に植え付けることで、後に子どもが行う望ましくない行為に対して、「なまはげが来るよ」という言葉を使い行動を戒めさせることにある。
現代で言うと「鬼から電話」なるアプリがある。このアプリを使うと、悪いことをした時に鬼から電話がかかってきて、親の代わりに直接叱ってくれる。
Ghost Call 鬼から電話DX
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一度使ったことがあるけれど、そのあまりの怯え方になんだか良くないことをしているような気がして使わなくなってしまった。
それと一緒にするのも違和感はあるけれど、まぁ、でも元はそういう発想から生まれている行事。
「怖い」という存在が少ない現代においては、ちょうど良い存在でもある。
国の重要無形民俗文化財に指定され、ユネスコの無形文化遺産まで登録されている日本でも有数の伝統行事で、今は毎年大晦日に行われる。
ただ、やっぱりどの田舎も若い人は少なくて、どれだけ有名な伝統行事であっても、なまはげ役になる担い手も少ないし、そもそも家を回る対象となる子どもが少ない。
なまはげの格好をして子どもが怖がる年齢なんてせいぜい幼稚園までなので、回る場所が限定される。
だから、映画の中でも出てきたように、ちょっと上の年齢を対象にすることもあって、余裕をかましてる小学生の元に行ったり、もう少し上の年齢になるとハロウィンと同じように単なるイベントと化していてスマホで一緒に記念撮影をしたりする。
元々の目的からすると本末転倒のような気もするけれど、それだけ伝統を残すのって大変なことなのだ。
そして、そんな大事な伝統行事でやらかしてしまう悲哀の男の物語が「泣く子はいねぇが」だ。
泣く子はいねぇのネタバレあらすじ
“たすく”と”ことね”。
そもそもやらかす前からこの2人の夫婦関係は危うい。子どもが産まれて大変なのは確かだけれど、幸せの絶頂にいるはずの家庭内はすでに不穏な空気が漂っている。
ことねは常にピリピリして緊迫感を与えてくる。娘を生んだばかりで体調も優れずにイライラしていることは当然としても、どうもそれだけではなさそうだ。
たすくという男に対してずっと考えていた不満が、子どもが産まれ、これから育てなければならないというプレッシャーの中で爆発しようとしている印象だ。
そんな状態なのに夫が泥酔して全裸で全国に醜態を晒すのだから状況としては最悪だ。
でも、やらかしたことはきっかけであって、今までの鬱憤が溜まりにたまったことで一気に瓦解してしまったのだ。
たすくという男は、空気も読めず、どこかヘラヘラしているし、なんだかナヨナヨしていて頼りない。酒を飲まないって決めているわけだから飲まなければいいのに場の雰囲気に負けて飲んでしまうような芯の弱い男でもある。
地元に住めなくなってしまったので、東京に出て行くけれど、フットサルの仲間が「シロクマ効果」について話していたように、東京に逃げたところで過去は忘れることができないどころか、より鮮明に思い出してしまうことになる。
シロクマ効果とは・・・シロクマのことを考えなさい、考えても考えなくてもいい、絶対に考えるなという3つのグループに分けたところ、考えるなと言われたグループが一番覚えていたという心理学的実験。
ことねの父の死を知り、地元に戻って償いをしようとするもうまくいかないことだらけ。
ことねは夜の店で働いているし、再婚すると聞かされる。迷惑をかけた行事の長には許さない。
父親としての責務を果たすためにお金を稼ごうとして、不法な漁に手を染めたりもする。
母親の仕事を手伝いながら暮らすも
「いつまでもあると思うな親と金」
という言葉にあるように、母親が急に倒れたり、父親の残した製材所を売ることになったりと、とにかくうまくいかない。
自分の娘を一目見ようと幼稚園を訪れるも、娘がどれだか分からない。
その悔しさと虚しさと言ったらないだろう。だって0歳の娘しか見ていないわけだから3歳になった娘の顔なんて全然違うのだ。
でも、それでも分かると信じたいじゃないか。血の通った娘の顔なのだから、直前までは漠然とした自信があったはずなのに、それを見事に打ち砕かれる。
たすくは確かに頼りなさを感じるし、子どもを育てる上では不安な言動が多い。
だけれども彼は全く無関係の東京でも浮気はしないし、ケンカもしない。良いところはたくさんあるはずなのに、優しいだけではうまくいかない。
何もできない不甲斐なさに絶望しながらも、だからと言って積極的な動きがあるわけでもなく、流されながら生きているところがまた、現実である。
泣く子はいねぇがのラストの意味
なぜ、たすくは娘の家になまはげの仮面を着けていったのか。
単純に娘に会いたかったというのもあるけれど、それだけではない。
製材所も売ることになり、父親のものを残せなかったと嘆く兄を見てたすくは決意する。
たすくは娘になまはげという存在を残そうとしたのだ。
父親が残したなまはげのお面をつけて。
たすくは「なまはげ」という強い恐怖の象徴を残したのだ。父親から自分へ、そしてそれを娘へと。
200年以上続く伝統と同じように親は子に何かを伝えていく。
それを伝統行事になぞらえながら描かれたのが「泣く子はいねぇが」のラストに伝えたいことだ。
この映画は、随所にクスッと笑えるような演出が特に良かった。
密漁している時の見張りの合図だとか、
キャバクラ店長の録画の件が全然話が進まない件とか、
運動会とラベルが貼ってあったビデオの中身が水着女子の水泳騎馬戦だったりとか、
仲野大賀のコミカルな動きを元にして、単調で明るくなりづらい雰囲気の映画の中に一定の笑いを届けてくれる。
その中に絶妙な緊張感を見せるのが吉岡里帆で、彼女の顔が映るたびにたすくの顔にピリついた緊張感が入る。
この緊張と緩和がうまいので、地味な話なのに最後までダレることなく見続けられるのだ。
企画に是枝裕和監督が関わっているそうで、確かに彼の作る日本映画のように大きな盛り上がりどころは少なくも、観客を最後まで飽きさせないエンタメ力がある映画だった。
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