「余命10年」は2022年の映画。監督は「ヤクザと家族」「新聞記者」の藤井道人。
難病にかかり未来を諦めていた女性が、同窓会でのある出会いによって生きることの喜びを再確認してしまうと同時に、先の短い人生を憂い葛藤する恋愛映画。
お涙頂戴ものの恋愛映画かと思いきや、実話をベースとしているだけでなく、大げさな表現をおさえることで骨太な人間ドラマとして作られている。
それでいて、アーティスティックにかたよりすぎることなく、しっかりと感情移入させやすいようにもしてくれるのは藤井道人監督の才能であろう。
今回は、「余命10年」という映画のどこまでが実話なのか?かずくんという彼氏は本当にいたのか?原作の違いやその意味について考察・解説していく。
「余命10年」
2022.3.4
125分
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藤井道人
小松菜奈、坂口健太郎
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映画「余命10年」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
茉莉 | 小松菜奈 |
和人 | 坂口健太郎 |
タケル | 山田裕貴 |
沙苗 | 奈緒 |
三浦アキラ | 井口理 |
茉莉の姉 | 黒木花 |
茉莉の母 | 原日出子 |
茉莉の父 | 松重豊 |
医師 | 田中哲司 |
梶原 | リリー・フランキー |
映画「余命10年」ネタバレ解説・考察
余命10年は実話なのか?
(C)2022映画「余命10年」製作委員会
余命10年は、一部実話をもとにした恋愛小説。
エンドロールで「小坂流加に捧ぐ」というテロップが流れるが、これは「余命10年」の原作者の名前だ。
原作者の小坂流加氏は難病を抱えたまま2017年2月に逝去。「余命10年」という恋愛小説を実際に書いて出版までされている。
しかし、映画でもあるように編集が終わった頃に容体が悪化し、本の発売前になくなった。
小坂さんは編集が終わった直後に病状が悪化し、発売3か月前の2017年2月に逝去されたのです。
ほんのひきだし
原作者の家族からは舞台挨拶のときに映画化への感謝の手紙が届いている。そこには、役作りのために減量した小松菜奈を気遣う内容も含まれていたという。
「映画の最後に出てくる『小坂流加に捧ぐ』という言葉がすごく好きです。原作者の小坂流加さんに一番この作品が届いたらいいなと思って、みんなで愛を込めて1年間作ってきました。愛もいろんな思いもスクリーンに映し出されていたと思います」
映画.com
お涙頂戴映画によくある派手なシーンや音楽は控えめに、でもしっかりと登場人物に感情移入できるように丁寧に作品を作った藤井道人監督。1年もの長い期間をかけて撮影し、10年という期間の成長をしっかりと見せてくれた俳優たちのおかげで完成度の高い映画になっている。
特に役作りのために減量した小松菜奈は、だんだんと弱くなっていく姿を見せるとともに、感情を抑えてリアルな世界を表現。
その中でも特に印象に残ったのが、生きたいと望まないように生きていた茉莉が、プロポーズされたシーンのその後。茉莉は生きたいと感じてしまったことで、苦しみの感情を爆発させるシーンは、涙なしではみられない。そのシーンも音楽で煽りすぎることなく、静かに、しかし力強く丁寧に描かれる。
和人は事実を知るまでは「茉莉ちゃん、茉莉ちゃん」ってなっている男の子だったけれど、彼女はいろんなことをすごく抱えたまま、彼と一緒にいる。
banger.jp
他にもときおり声もなく映像だけで人知れず泣くシーンや、一緒にいても「楽しんじゃダメだ」「生きたいと思っちゃダメだ」と言い聞かせるような表情が、小松菜奈の凄さを物語っている。
茉莉がかかっていた病名は?
(C)2022映画「余命10年」製作委員会
茉莉の病気は「肺動脈性肺高血圧症」という数万人に1人がかかる不治の病。
心臓から肺に血液を送るための血管を「肺動脈」といいます。この肺動脈の圧力(血圧)が異常に上昇するのが「肺動脈性 肺高血圧症(PAH)」です。
難病情報センターHP
酸素を全身に行き渡らせるための肺動脈に異常が生じることで、心臓への負担が大きくなる。だから茉莉はスキーなどの激しい運動はできなかったし、感情的になることでうまく呼吸ができずに倒れてしまったのだ。
鼻からカテーテルを通して酸素を取り込むのも、肺動脈の機能が正常に働いていないため。
適切な治療が受けられなかった場合には、1) 肺の血圧が高い ⇒ 2) 心臓が頑張る ⇒ 3) 心臓が疲れて、血液を全身に送れなくなり、酸素が全身に廻らなくなる ⇒ 4) 少し動いても息苦しく感じる、となります。
難病情報センターHP
この病気の発症原因は現在も不明だが、遺伝子異常の可能性が示唆されている。1990年以降に治療薬は開発され、茉莉が多量の薬を飲んでいたのも症状を抑えるため。また病気の進行を遅らせるためであったといえる。
治療薬が存在しなかった時期の1年生存率は67.9%、5年生存率は38.1%。近年では治療薬の発達により改善しているという話だが、効果的な治療方法はまだなく、完治が期待できない。
それでも効果のある治療法を受けることで現在では生存率は飛躍的に改善しているという
15年前には有効な治療法が無く、平均余命は2・7年。3年生存率は20%という恐ろしい病気でした。ところが近年、肺高血圧症に効果のある肺血管拡張薬が開発されました。日本では、各系統の飲み薬や点滴薬を組み合わせて使用することで、5年生存率は85%に改善しました。
岐阜新聞Web
近年では目覚ましい進歩を遂げている分野であるが、それでも難病の1つには変わりない。
かずくんという彼氏は本当にいたのか?
(C)2022映画「余命10年」製作委員会
「余命10年」は原作者自身をモデルにした恋愛小説。なので書かれていることはフィクションだ。しかし、茉莉自身の心理描写は、本人の内面を表現したものなので非常にリアルに感じられるようになっている。
「和人」にモデルがいたかどうかについては、触れられていない。
生きたいのに生きられない茉莉の対比として、生きられるのに死にたい和人は、茉莉の持つ苦しみを際立たせる存在でもある。であることからしてフィクションとして脚色されたキャラクターである可能性は高いが、原作者の周囲にいた友人や恋人を元に形成されているかもしれない。
原作小説との違い
(C)2022映画「余命10年」製作委員会
「余命10年」は藤井道人監督のところにオファーがあったとき、ドキュメンタリーのような撮影手法をしようと考えたという。
「恋愛映画というよりは、ドキュメンタリーのような10年間をつないでいこうと思いました」
filmaga
恋愛をフィーチャーさせるのではなく、家族や友人たちのとのつながりをみせることで茉莉が10年をどう生きてきたかを中心に描いている。
そのため、いくつか原作とは異なる点がある。
- 原作の茉莉はアニメやコスプレ、マンガ執筆が好きな設定で、原作ではコミックスを出版している。
自身の病気をモデルにしながらも、小説の中では別キャラクターとして書かれた茉莉を、映画では、原作者の小坂流加を想起させるように茉莉もライターを職業にしている。
- 原作の和人は茶道の家元という設定だった
原作では、和人は家業を継ぐかどうか悩んでいる途中だった。
映画では完全に実家と断絶し、自殺未遂をしても見舞いの1つもこないぐらいに関係が悪化。その後の人生は居酒屋で一人立ちという流れだが、原作では家元に戻り家業をついでいる。
茶道の家元という浮世離れした世界だと、観る側へのリアリティが薄くなるためか、この設定も変更されている。
- 映画では家族や友人たちとの関係性も濃く描いている
小説では茉莉と和人の2人称で進む恋愛小説なのに対して、映画では家族や友人との関係性も丁寧に描写している。ドキュメンタリーのような映画を撮るため、家族が茉莉のことをどう想って生きていたのか、家族は茉莉とどう接してきたのかを取り上げている。
家族で一番若い茉莉を失う悲しみと恐怖を多くのセリフを伝えることなく表情や仕草で伝える様は松重豊、原日出子、黒木華の力によるところが大きい。
松重豊にいたってはほとんど感情を出すことすらせず、後ろ姿や佇まいだけで悲哀を伝えてくる。家族がらみのシーンは思い出しただけで涙ぐんでしまうほどだ。
生きてほしいと多くの望みを模索する家族と、生きる希望を持つことに恐怖を感じる茉莉との断絶シーンなど、家族でいることの良い部分と辛い部分をしっかり描かれている点もドキュメンタリーとして欠かせない。
すべての登場人物の演技力と藤井監督の抑えた描写により、感情移入がしやすい映画になっている。
- 原作では和人が茉莉に出会ったのは死後
和人からのプロポーズを断った茉莉は1人で死ぬことを選ぶ。和人のことを想った結果の決断であり、和人も同意する場面は原作も同じ。
しかし、映画で和人は、息を引き取る直前に茉莉の顔をみて「がんばったね」と声をかけてあげられたのに対し、原作では茉莉の葬式のときまで会っていない。
原作では会わないことを選択し、それを貫いた茉莉中心で描いたのに対して、映画ではそれでも最後の瞬間は大事な人と一緒にいさせてあげたいとした藤井監督。
和人にとって茉莉という存在は、単なる恋人ではなく、生きる希望を取り戻させてくれた人間として大切な存在だった。だから最後に2人が言葉を交わすのは和人にとっても重要だったと考えたのだろう。
結末・ラストの意味
(C)2022映画「余命10年」製作委員会
ラスト、茉莉が世界にいなくなった後、和人が一人で桜並木を歩く。するとそこで急な風が吹いて桜吹雪が舞うシーンがある。
これは、茉莉と和人が出会って仲良くなり始めた頃に一緒に桜並木を歩いたシーンと同じだ。
10年前と同じことが起こることで和人は茉莉を思い出し、そばにいるかのように感じる。
和人にとっても茉莉を近くに感じたこのシーンはとても重要で、いつまでも心に残る思い出なのだ。そして茉莉も病室でビデオカメラに収めた映像を次々と消していったとき、このときの映像だけは消すことができなかった。
2人にとって重要な桜並木のシーンを再現することで、離れていても2人の気持ちは繋がっていると感じる。
普通のことがいかに幸せか感じさせてくれる映画でもあった。
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