「アオラレ」は2021年の映画。
日本でも問題になっている煽り運転。アメリカでも同様の問題らしく煽り運転で起こりうる最悪の悲劇を描いた映画。
クラクションを鳴らしただけなのに執拗に追い回され、命の危険に晒され、久々にハラハラドキドキする気分を味あわせてくれた。
B級映画っぽいタイトル付けのわりに内容はバイオレンスかつショッキングな演出になっていて、タイトルのハードルは楽々超えてくる。
下手なホラー映画よりもマジで怖いので心してみよう。
ただ、ハラハラドキドキと言っても爽快感はなく、後味の悪い映画だった。
邦題が「アオラレ」となっているのでちょっと誤解を生むけれど、煽り運転がテーマの本質ではない。
アメリカの車社会とその根底にあるストレス社会から起きた最悪な結末を想起させるストーリー。
私はもうクラクションは鳴らさないと誓った映画でもある。
60点
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「アオラレ」映画情報
タイトル | アオラレ |
公開年 | 2021.5.14 |
上映時間 | 90分 |
ジャンル | スリラー |
監督 | デリック・ポルテ |
映画「アオラレ」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
トム・クーパー | ラッセル・クロウ |
レイチェル | ジミ・シンプソン |
カイル | ガブリエル・ベイトマン |
アンディ | ジミ・シンプソン |
フレッド | オースティン・P・マッケンジー |
メアリー | ジョリエンヌ・ジョイナー |
映画「アオラレ」あらすじ
美容師のレイチェルは今日も寝坊。あわてて息子のカイルを学校へ送りながら職場へと向かうが、高速道路は大渋滞。度重なる遅刻に、ついに首となる。最悪の気分のまま下道を走るが、信号待ちで止まると、前の車は青になっても発進しない。クラクションを鳴らすがまだ動かない。イラついたレイチェルが追い越すと、つけてきたドライバーの男が「運転マナーがなっていない」と言う。レイチェルに謝罪を求めるが、彼女は拒絶して車を出す。息子を学校に送り届けたものの、ガソリンスタンドの売店でさっきの男に尾けられていることに気づく。店員は「あおり運転の常習犯よ」と警告。車に戻ったレイチェルはある異変に気付いた。が、時すでに遅し。信じられない狂気の執念に駆り立てられた男の“あおり運転”が、ノンストップで始まるのだった―
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映画「アオラレ」ネタバレ感想・解説
タイトル「アオラレ」の原題(unhinged)の意味
原題はunhinged(アンヒンジド)となっていてこれは煽り運転という意味では全くない。
この言葉の意味は、精神的に不安定で錯乱している状態を表している。
ちなみに煽り運転はroad-rage(ロードレイジ)という。
映画の中でもロードレイジという言葉は使われるけど、あくまで映画の中の一部の事象に過ぎない。
アメリカも車社会なので日本と同じような車同士の衝突、いがみ合いがたくさん起きていて、自分自身をコントロールできずに他人とトラブルを起こす事案が多く発生している。
その中でも今回の話は車がメインではあるけれど、あくまで怒りによって自分をコントロールできなくなった人を描いているので、邦題は少しニュアンスが異なってくる。
90分間車での煽り運転がずっと続くわけではなく、ストレス社会に晒されて正気を失った人間のことを指しているのだ。
ただ、トムは元妻が寝取られてアンヒンジド状態になったので「煽り運転」x「寝取られ」で「アオラレ」というタイトルにしたのは煽りすぎだけど、わりと上手い組み合わせな気もしてくる。
だからメインはラッセルクロウ扮するクレイジーな男だわけだけど、実際にはレイチェルのことも指している。
レイチェル自身も離婚訴訟、仕事、母の介護など数多くの問題に直面していて、かなりストレスを抱えている状態だ。
そして極めつけに渋滞に巻き込まれたことで仕事をクビになっている。
クビになったその日にパワーボールチケット(日本でいうロト6)を買っている時点で心身ともに疲れ切っている証拠だろう。
そのストレスの積み重ねから、クラクションを鳴らすだけでなく、不気味な大男に食ってかかってしまったことで事態は最悪な方向に向かっていく。
激突とは似て非なる映画
「アオラレ」を見たときにスティーブンスピルバーグの映画「激突!」を思い浮かべた人もいるかもしれない。
「激突!」は70年代の映画で、顔もわからぬ不気味なトレーラーにずっと追いかけ回される心理的恐怖と殺されるかもしれない物理的恐怖を同時に描いていて、今見ても震えあがる映画だ。
だからそれと比較すると「アオラレ」は、最初からラッセルクロウの顔がドアップで出てくるので見えない恐怖がない。
背景も離婚の前なのか後なのか分からないけど、元妻が他の男とヤッてたショックで凶行に走ったという背景を知ってしまうとスリラーとしての恐怖も薄れてしまうのではないかと。
ただ、これはホラーやサスペンスとしての恐怖もあるが、根底にはいついかなる人間も自らをコントロールできなくなる可能性があることを示唆しているので、似て非なるものだと理解する必要がある。
あくまで男とレイチェルという2人の人間がアンヒンジドの状態になったことで起きた悲劇を描いているからだ。
男の方はともかく、レイチェルぐらいの行動は誰でも取りうる可能性があるのではないか。
多くのストレスが毎日かかり、その積み重ねの中でタイミング悪く人に食ってかかってしまうかもしれない。
自分が犠牲者になるだけではなく自らも加害者になりうるイメージが恐怖を植え付けてくるのだ。
アオラレのラストについて
全体的にはハラハラドキドキと恐怖の連続で、心身疲れ切るぐらいに満足する映画だったけど、やっぱりラストの解決方法には無理矢理感が否めない。
車の中にタブレットが残っていて、居場所を知られていることに気づき捨てようとするが、逆に位置情報を特定しようとする機転までは良かった。
前方に男がいたことに気づいたが、GPSだから男はまだレイチェルに気づいていなかった。そして男の車が変わっていることにも気づけたから確実に有利になったはずだった。
それを逆手に取って、追い詰めるか逃げるかするのかと思えばなぜかそれはしない。
最悪にも追い越して逃げようとしてしまう。同じ車に乗っているわけなのでどう考えても気づくに決まっているのに、最悪の選択をして自らを危機に晒す。
そして、弟のフレディからフォートナイトの戦略を学んだカイルとの話を思い出したレイチェルは、このふざけた「アオラレ」行為を終わらせるために迷路のように入り組んでいる自らの実家へと逃げ込む。
カイルが家に隠れた後、迷い込んできた男に対して車を衝突させて男を殺そうとするが未遂。
カイルはせっかく隠れていたのにダチョウ倶楽部のようにお決まりに音を立ててくれるし、レイチェルはその隠れ家の場所を知って先にカイルの元に行ったのに、びっくりさせてしまいあえなく発見。
戦略を立てるほど冷静になった2人にしてはいかにもお粗末ではないだろうか。
車を隠して警察を静かに待つのがベストプラクティスと思われるが、なぜか彼らはオフェンシブにフォートナイトの戦略を活用する。
最終的には事なきを得るものの、サスペンス要素の盛り上がりを無理やり演出した感は否めなかった。
しかしあまりにも今回の事件は救われなさすぎる。ちょっと一安心という形でエンディングを迎えたけれど、なんの罪もない人たちが殺され過ぎている。
離婚弁護士は誠実な人だった。自分の弟とその婚約者だって殺されてもいい理由なんてない。
今後のレイチェルたちの心の痛みを考えると全くスッキリしない結末だ。
レイチェルの自業自得だという人もいるかもしれない。
クラクションを鳴らさなければ良かった、その後も反抗的な態度を取らなければ良かった、もっと早く起きれば良かった。
ただ、先に言ったように彼女は心身が疲れている状態であり、悪いことが積み重なった状態なので良くなかった行動の1つを挙げて批判するのはちょっと違う。
しかし、車から離れる時に鍵開けっぱなしでスマホも放置という気警戒心の無さや、デジタル機器に疎いからといってロックすらかけないITリテラシーの無さはどうにかできたはずである。
自分ではどうにもできないことと、自分でコントロールできることの境目をきちんと見極めてきちんと対処できるようにしようというのが「アオラレ」を見て得られた教訓だ。
みんなも無闇にクラクションは鳴らさないようにしよう。
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