「ライダース・オブ・ジャスティス」は2022年に公開のデンマーク映画。
不慮の事故により、妻を失った軍人のマーカスとその娘、マチルデ。
ある日事故のあった列車に乗り合わせた数学者が「偶然起きた事故ではない」と主張する。ギャングの抗争に巻き込まれたことを知ったマーカスが死んだ妻への復讐に立ち上がるアクション映画。
無敵の軍人であるマーカスによる復讐シーンは、見ているものに痛快かつ爽快感を与える一方、「偶然」に起こるものの因果関係を扱う哲学的要素もある本作。
マッツ・ミケルセンの素晴らしい演技により深い作品に仕上がっていたし、やっぱり北欧デンマークはオシャレそのもの。
デンマークにセンスがあるのか、デンマークがセンスを作ってるのかわからなくなってしまった。
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「ライダーズ・オブ・ジャスティス」映画情報
タイトル | ライダース・オブ・ジャスティス |
公開年 | 2022.1.21 |
上映時間 | 116分 |
ジャンル | アクション |
監督 | アナス・トマス・イェンセン |
映画「ライダーズ・オブ・ジャスティス」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
マークス | マッツ・ミケルセン |
オットー・ホフマン | ニコライ・リー・コース |
マチルデ | アンドレア・ハイク・ガベルク |
レナート | ラース・ブリグマン |
エメンタール | ニコラス・ブロ |
ボダシュカ | グスタフ・リンド |
カート・タンデム・オーレセン | ローラン・ムラ |
シリウス | アルバト・ルズベク・リンハート |
映画「ライダーズ・オブ・ジャスティス」あらすじ
妻が列車事故で亡くなったという報せを受け、軍人のマークスはアフガニスタンでの任務を離れ娘の元へ帰国する。悲しみに暮れる娘を前に無力感にさいなまれるマークスだったが、彼の元を二人の男が訪ねてくる。その中の一人、妻と同じ列車に乗っていたという数学者のオットーは、事故は“ライダーズ・オブ・ジャスティス”と言う犯罪組織が、殺人事件の重要な証人を暗殺するために周到に計画された事件だとマークスに告げる。怒りに打ち震えるマークスは妻の無念を晴らすため、オットーらの協力を得て復讐に身を投じてゆくが事態は思わぬ方向に…。
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映画「ライダーズ・オブ・ジャスティス」ネタバレ感想・解説
なぜ犯人を特定できたのか
[c] 2020 Zentropa Entertainments3 ApS & Zentropa Sweden AB. h
「ライダース・オブ・ジャスティス」のストーリーは、マーカスの妻が列車事故に巻き込まれて死んでしまうことから始まる。
そこへ確率論を語る数学者のオットとレナートが現れ、「妻の死は単なる事故ではなく、ギャングの抗争に巻き込まれたのだ」と伝えにくる。
そこから始まる復讐劇がこの映画のメインストーリーである。
なぜ、「ギャングの抗争」だと判断したのかというと、複数の偶然が重なったから。
- 「ライダース・オブ・ギャング」の元メンバーが乗っていて
- 直前に彼の弁護士も死んでいる
- サンドウィッチを食べずに捨てた男の存在
これらから「何か裏にあるのでは?」と考えたオットは、凄腕ハッカーのエメンタールに頼んで事故の直前に降りた男の情報を探る。
すると浮かび上がってきたのが同じ列車に乗り合わせていた「ライダース・オブ・・ジャスティス」のメンバーだった。
そこからさらに奇妙な偶然の一致を見つける。
- 電車のエンジニア
- 事故の直前に電車を降りている
- 兄がギャングのリーダー
という理由から、「偶然の一致」で片付けるには要素が大きすぎるため「仕組まれた計画」だったという結論を導き出すのだ。
ここからギャングと対峙するマークスの頼もしさ、恐ろしさが発揮される。
冒頭から中盤にかけての格闘・銃撃シーンは主人公が無双しすぎていて痛快だ。
自供を引き出す前に、銃を持っている相手に対してクビの骨を一撃で折って殺してしまう強さもさることながら、複数人に囲まれても戦況を一気にひっくり返す様はなかなか見応えがある。
相手の話も聞くことなく殺戮してしまうので、のちに大きな問題を生むことになるのだが、とりあえず中盤まではこの強さにシビれることになる。
ちなみにひたすら殺しまくっても警察は最後まで出てこない。
どこかリアリティのある映画であるが、「ライダース・オブ・ジャスティス」は一流のエンターテイメント映画だ。
だからデンマークの警察は何をやっているんだ?とか、このアホな数学者はなんなのだ?というのはデンマークのリアリティとはかけ離れていると考えて大丈夫だ。
ちょこちょこ挟んでくるギャグ要素が私たちをさらに混乱させることになるが、安心して欲しい。
「ライダース・オブ・ジャスティス」はハイクオリティのギャグを詰め込んでいるため、観る者にもそれなりの知識を必要とする。
全体の空気感をしっかりと把握していれば楽しめるのだけれど、それを知らずしてみるとたまに出てくるギャグ要素には頭に?が浮かんでしまう。
ケツだしシーンや、頭から血を吹き出すシーンは、その典型例だ。
常にシュールなので「あれ?これってコメディだっけ?」と戸惑ってしまい、笑いについていくのが一歩遅れることになる。
ちなみに、レナートが生まれ故郷をランダースだと告白するシーンがあるが、デンマークにおけるランダースは、その昔、治安の悪い場所だったところであり、数学者のような知識人であるレナートが住むには疑問符がつく場所らしい。
ラスト、真犯人は誰だったのか
[c] 2020 Zentropa Entertainments3 ApS & Zentropa Sweden AB. h
「マーカスの妻は偶然の事故で、直接的な真犯人などいなかった」というのが、この映画の結論だ。
同じ電車に乗り合わせたと思っていたギャングの男は、その時間、その場所にはいなかったと一緒にいたボダシュカは説明する。
映画あるあるの「マイノリティなことを言う知識人は、真実を言っている」というセオリーを覆し、ただの偶然だったというオチが皮肉が効いていて良い。
元はと言えば、最初に不審な男を探ったとき、中東に住む男が引っかかっていた。99%の一致を示した男がいたのだ。
コンピュータは正しい結果を示したのにも関わらず、その男がデンマークにいるのが「ありえない」という人間的思考を入れてしまったせいでミスを犯すことになる。
そのおかげで、マークスは関係のない人間たちを次々と殺し、ただの無法者を取り締まる殺し屋に成り下がった。
全てのデータが集まれば”それ”が起きる前に予知ができるというのは、立証されなかった。説が失敗だったわけではない。データの量が足りなかったのだ。
インプットの総量が人間である限り、予知を100%にするのは不可能だと言えよう。
しかし、現実はチェスのようにシンプルではない。すべての情報は盤上にはない。
この映画ではデータが結局のところ足りていない。人間の判断がはいる部分を、コンピュータに置き換えればうまくいったのかもしれない。
デンマークのハンバーガーがまずいと思う中東の人間がいるという情報さえあれば、アリバイの情報さえあれば、、
全ての情報が詰まっていて運の要素がないチェスに例えて「偶然」を「必然」と置き換える。
しかし、このインプットの情報を入れるのは人間だし、結果を判断するのが人間である以上、かんたんにそのロジックは崩壊するのだ。
例えスーパーコンピュータが登場しようとも、その前提条件を覆さない限りは変わらないだろう。
偶然に因果関係は存在するのか
積み重なる偶然の結果、マチルデの母親は亡くなった。
マチルデは母親の喪失に対して真因を探ろうとメモを貼る。
自転車が盗まれなければ
車が故障しなければ
マークスの任務が延期にならなければ
オットが席を譲らなければ
母親はあの時間、あの列車の席に座ることはなかった。
しかし、なにかの責任に結びつけることは無意味であるとオットは言う。すべての事象はマチルデ自身の周りで起きているわけではなく、さまざまなイベントと相互に作用するからだ。
この物語の発端となったのは、エストニアに住む女の子がクリスマスに欲しいと願った自転車だった。
それはマチルデが盗まれた青い自転車だった。
マークスの妻の死を引きおこした原因はこの娘にはないのだ。
そして、この映画では偶然と復讐が折り重なっている。
それは、電車がただの偶然の事故で引き起こされ、マークスの復讐が無意味な殺戮と判明した後のボダシュカの話に裏付けられる。
ウクライナの姫が狩りにでかけたが、森で出会ったクマに指を食べられてしまう。その手にはお気に入りの指輪もあった。10年後、同じ森の同じ場所で、歳をとったクマに再び出会う。姫は今度こそクマを殺し、腹を開けた。しかし、そこには指輪はなかった。
同じ森、同じ場所、老齢のクマというさまざまな偶然が折り重なっていたからとて、それが同じクマだとは限らない。
マークスが復讐したライダース・オブ・ジャスティスの男は全く無関係だった。
復讐と今回の悲劇は全く関連がなかった。
同じようにどれだけ顔が似ていても、どれだけそこにいる理由が結びつけられたとて、折り重なる偶然が必然となるとは限らないことを示唆している。
父と娘の確執の意味
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また、この映画では父娘の関係についても言及する。
常に戦場にいて、コミュニケーションの薄い関係から無知による誤解が生じている。
マチルデが母の死を悲しんでいるとき、マーカスはいう。
「死んだら生き返ることはない。そしてお前が若くして死なない限り愛する人が同じように続いていく」
この言葉はマチルデには冷たく映った。母親が死んだのに何の感傷も、愛情も見せない非情な人間とDNAが繋がっていることを疎ましく思った。
事実、マーカスは妻の死をこの目に焼きつけているが、涙を流していない。
一方でマチルデは、マーカスが母の復讐をしようとしていることを知らない。激情に身を任せ、復讐の鬼になったマーカスの心の奥を見ていない。
だから彼の言う言葉に対してとても冷たく氷のような心を持っていると感じている。
レナートがマチルデに言ったように「人は繰り返し起こることに対して目に見える反応が減っていく。」
マーカスは軍人あがりで様々な死を目の当たりにして「死」に対する感情が鈍っているのだ。
しかし、それは表面上にでないだけで、心が死んでいるわけではない。だからこそ彼は復讐という狂気に身を置いている。
しかし、ラストで両者は歩み寄る。本気で自分を助けようとする父親が、失うかもしれない状況を目の当たりににすることで、大切な存在に気づくのだった。
ラストでは軍服から可愛らしいクリスマスのセーターに身を包み、研ぎ済まれたキバが抜けたマーカスがいた。彼もまた、娘に寄り添おうとしているのだった。
マッツ・ミケルセンの映画を昨年からいくつか見ているが、全くキャラも風貌も異なっていて唖然とする。アナザーラウンドでは冴えない高校教師を演じているので、ぜひこちらも見て欲しい。
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