映画「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」は2020年に公開されたA24が手がける映画。
ブラピ率いるプランBとA24が「ムーンライト」以来、再タッグを組んだ映画が「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」だ。
主演のジミー・フェイルズと監督のジョー・タルボットが実際にサンフランシスコで体験したものである。
GoogleやAppleなどの名だたるテック企業がシリコンバレーに集まり、その結果近隣のサンフランシスコの地下は暴騰している。
街の再開発が進む中、昔から住んでいた黒人のジミーは住む場所に追われていた。高級住宅街と化してしまった祖父が建てた家に住むことを憧れて暮らす青年にフォーカスし、ノスタルジックで叙情的に心の内を描く。
サンフランシスコの都市と田舎が混ざり合ったような街並みと、心落ち着く音楽により、哀愁、郷愁、憎悪、悲哀など色々な感情が織り混ぜてくるアーティスティックな映画だった。
66点
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「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」映画情報
タイトル | ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ |
公開年 | 2020.10.9 |
上映時間 | 120分 |
ジャンル | ヒューマンドラマ |
監督 | ジョー・タルボット |
映画「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
ジミー・フェイルズ | ジミー・フェイルズ |
アレン | ジョナサン・メジャーズ |
グランパ・アレン | ダニー・クローヴァー |
ジミーの父親 | ティシーナ・アーノルド |
ジェームズ・シニア | ロブ・モーガン |
ボビー | マイク・エップス |
不動産経営者 | フィン・ウィットロック |
コフィー | ジャマル・トゥルーラヴ |
映画「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」あらすじ
変わりゆく街・サンフランシスコで、変わらない大切なもの。 家族の記憶が宿る家とたった一人の友。それだけで人生はそう悪くないー。 サンフランシスコで生まれ育ったジミー(ジミー・フェイルズ)は、祖父が建て、かつて家族と暮らした記憶の宿るヴ ィクトリアン様式の美しい家を愛していた。変わりゆく街の中にあって、観光名所になっていたその家は、ある日現 在の家主が手放すことになり売りに出される。 この家に再び住みたいと願い奔走するジミーの思いを、親友モント(ジョナサン・メジャース)は、いつも静かに支えていた。今や”最もお金のかかる街”となったサンフランシスコで、彼は自分の心の在り処であるこの家を取り戻すことができるのだろうか。 多くの財産をもたなくても、かけがえのない友がいて、心の中には小さいけれど守りたい大切なものをもっている。それだけで、人生はそう悪くないはずだ──。そんなジミーの生き方が、今の時代を生きる私たちに温かい抱擁のような余韻を残す、忘れがたい物語。
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映画「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」ネタバレ感想・解説
ジェントリフィケーションとは
ジェントリフィケーションとは、居住者の生活の質が向上し、結果的にその地域全体の居住空間の質も向上する現象のこと。
居住社の所得が向上することで、土地の再開発だったり、地価の上昇が発生し、都市の高級化と富裕化が進むのだ。
ジェントリフィケーションには元々その土地に住んでいる人もいれば、新しく流入してくる場合もある。
有名なところでは、ニューヨークのベットスタイ地区がある。80年代は映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」のような黒人の集まる街であり、貧困地区であった。しかしだんだんと開発が進み、今では高級レストランやブティックが立ち並ぶ高級住宅街と化しているという。
サンフランシスコはというと、Googleや、Appleなどの名だたるIT企業が集まるシリコンバレーからの流入により地価の高騰がめざましい場所になっているのだ。
下の記事を見てもらえればその都市の異常なほどの生活費がわかるだろう。賃料は40万でも一般的で、購入するとなると1億は当然のように超えてくる。
映画の中で、100年以上も前に建てられた家が400万ドル(約4億円)というのだから、東京の地価の高さを知っている日本人としても驚きだ。
賃料は香港に次いで世界第2位となっていて、お金を持たない人達には住む場所がないエリアになっている。
今はコロナ禍なのでかなり地価が下がっているけど、まだまだ高価な地域なのは確かな地区だ。
サンフランシスコのジェントリフィケーション
「ラストブラックマンインサンフランシスコ」では、監督のジョー・タルボットと、主人公のジミー・フェイルズによる実体験が綴られている。
地域の生活の質が向上すると治安は良くなるため一見いい方向に進むように思える。しかし、実際には価格高騰により、その地域に住めなくなった中低所得者層が街を離れているという側面もある。
映画の中でも紹介されていたように、サンフランシスコはゴールドラッシュにより繁栄した西側のエリアだ。そこには多種多様な人種が流入してきていて、日系人も多くいた。
第二次世界大戦により収容所に送られることとなった日本人の代わりに多く入ってきたのがアフリカ系アメリカ人というわけなのだ。
観光自体も盛んな街だ。私も2004年頃にサンフランシスコで一人旅をしたことがあるが、それはそれは魅力的な街だった。
当時はまだそこまで地価も高くなかったはずで、雑多な都会という印象だ。ジミーがスケボーを楽しんでいたけどかなり傾斜の多い街でもある。
そして、よくもまぁこんなところに家を建てたなと思う場所に所狭しと斜めに家が立ち並んでいた。
坂を登ってまた降りた先にはゴールデンゲートブリッジと共に港町が現れる。漁港と呼ぶには小さいけれど、多くの漁船が海岸いっぱいに並んでいて、そこも賑わっている。
名物のクラムチャウダーを気軽に食べることができたり、アシカの群れがはしけの上で日光浴なんかしてて、実に平和な光景が広がっている。
モントが働いていた市場もそのフィッシャーマンズワーフという港町の中の1つ。
観光地として魅力があるのも納得の都市がサンフランシスコなのだ。
ラストブラックマン・イン・サンフランシスコのネタバレあらすじ
ジミーたちは祖父が建てたけど父親の代で手放すこととなった家に住むことを夢見ていた(実際には嘘だったけど)。そこにはすでに白人が住んでいたのだけれど、ある日遺産相続のトラブルにより家を出ていってしまう。
まだ売りにも出てない400億ドルの家に勝手に移り住み、あろうことが家具まで配置し、電気代も払おうとする。そんなことしたらすぐバレてしまうのでは?とハラハラするし、不法侵入で一発逮捕案件のような気がするけれど、良くも悪くもこの地域の人々はおおらかなのか、警察を呼ぶことまではされない。
そもそも、ジミーはまだ前の住人が住んでいたときから人の家を勝手にペイントまでしているのだから、人種や貧困以前に、住んでいる人からしたら薄気味悪い。でもそれでも警察沙汰にはされない。
サンフランシスコの歴史が様々な人種を受け入れてきた背景があり、ある種おおらかな市民であることがこれを見て取れる。
ジミーはその家に住むことを願い、生き甲斐にしてきた。前の住人が出て行った時に一時的に住むものの、結局は売りに出され、家を出ていくことになる。
ローンを組もうにも頭金は400万ドルの20%も必要で、銀行は耳も貸そうとしない。お金を持たない者たちが生まれ育った街から追い出されようとする現実があった。
そしてジミーは街を出ていく決意をする。ずっと一緒にいてくれた友に別れを告げて。
格差社会を描いた映画ではない
自分の故郷が、地価の高騰により立ち退きを余儀なくされたらどんな気持ちになるであろう。
故郷はいつも自分を暖かく迎えてくれるものではないのだろうか。
大人になって離れた場所で生活していて、たまに帰れば例え建物などの街並みは変わっていたとしても、どこか昔の雰囲気のままに居心地の良い場所として存在するモノではないのだろうか。
果たしてジミーは負けたのか。故郷から追い出されることは負けを意味するのか。
街を出て行ったら負けなのか。
映画「わたしは光をにぎっている」では再開発に伴う東京の下町を描いていた。街は変わる。そこにいる人達の中には去っていく人もいる。でもそこにある記憶や人々の生きた証はずっと残るはずだ。
サンフランシスコに対する愛や憎しみも含めて、街を愛することだとジミーはバスの中で話していた。
街を出ていくことは負けじゃない。
コロナ禍により人口密度の多い地域の地価は下落している。今後もこのトレンドは続くのではないか。インターネットの普及により、仕事はオンラインでやれることも多くなってきた。
これによりサンフランシスコもまた変わっていくのかもしれない。また、ジミーが戻れる日が来るのかもしれない。
「パラサイト」で描かれる格差社会。それはサンフランシスコでもジェントリフィケーションという形で表れている。
しかし、少し違うのはもともとそこが富裕層の住む街ではなかったということ。「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」で描かれるジミーは住んでいた街を追われる立場として描かれる。
ジミーはもともと住んでいた家に戻りたいだけだ。そしてこの映画の肝は貧困の問題でもない。
サンフランシスコの人々の移り変わりを説明していたけれど、もともとは日系人が住んでいて、戦争の後に黒人が多く入るようになった。
そして今、シリコンバレーで働く人々が入っている。つねに街は変化をしているし、そこに住む人々も変わっていく。その環境に適応できずにもがいているのがジミーなのだ。
ラストはついにジミーは街に別れを告げる。
彼は後ろ向きに出て行ったわけではない。前を向くために出て行ったのだ。
そんなノスタルジックな感傷に浸れる叙述的な映画でもあり、霧がかかったように希望がないようでもある映画が「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」だ。
映画「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」を観たならこれもおすすめ
わたしは光をにぎっている
「わたしは光をにぎっている」は2020年の日本の映画。
再開発による取り壊しが間近に迫った地域を舞台で起こる人間ドラマ。 何かが変わったりなくなったりしたときに、さみしい気持ちになることあるけれど、それを受け入れてどう進むかが大事。 ソレはなくなっても言葉や心、光は残る。
スイス・アーミー・マン
「スイス・アーミー・マン」は、A24が手掛けた映画。
海に打ち上げられた死体がアーミーナイフのようにいろんな機能をもっていて、死体を利用してサバイバル生活を生き抜くという話の流れも意味不明だし、その過程で見せられる死体との恋物語もなかなか奇怪な話と言わざるを得ない。
どこに魅力があるかというと、一見ふざけた流れに見えるも根底に流れるテーマ性と惹きつけられる音楽、美しい映像の融合にある。
意味が分からないといって途中で投げ出した人はもう一度観て欲しい。
クセになるうまみがそこにあるから。
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