映画「怒り」をAmazon Primeビデオで鑑賞。
気になっていたのになかなか見なかったことに怒りをおぼえてしまった。
監督は映画「悪人」で本当の悪人は誰かという問いを作った李相日氏。
原作は吉田修一氏。同じく「悪人」の原作者であり、「パレード」など、人間の普遍的な行動について疑問を投げかけるのが巧みだ。
そんな両氏が再びタッグを組んだ本作。
サントラに坂本龍一氏を加えることで映画の迫力というか重みが一層深くなったこの今作は、2018年に観た映画ランキングにも加えたい作品の1つだ。
映画「怒り」を見て人間社会で重要なたった1つのことをまざまざと見せつけられたので考察してみた。
「怒り」は、アマゾンプライムで見られるし「悪人」も見られる。
映画「怒り」あらすじ
八王子で起きた凄惨(せいさん)な殺人事件の現場には「怒」の血文字が残され、事件から1年が経過しても未解決のままだった。洋平(渡辺謙)と娘の愛子(宮崎あおい)が暮らす千葉の漁港で田代(松山ケンイチ)と名乗る青年が働き始め、やがて彼は愛子と恋仲になる。洋平は娘の幸せを願うも前歴不詳の田代の素性に不安を抱いていた折り、ニュースで報じられる八王子の殺人事件の続報に目が留まり……。
引用:シネマトゥデイ
映画「怒り」ネタバレなしレビュー
豪華なキャスト
2016年あたりの邦画は、「何者」、「秘密」など、豪華なキャストを並べたてたポスターになっているものをよく見かけたけれど、「怒り」もその中の1つだ。
この時期の流行りなのかもしれない。
たしかに、誰が出演しているかというのが観る基準の1つに入っている人には訴求力はある。
そして、そのパッケージ通りにキャストは主役経験者ばかりの、豪華な布陣だ。
渡辺謙、宮崎あおい、松山ケンイチ、妻夫木聡、綾野剛、森山未來、広瀬すず
主要メンバーだけでこの豪華さ。邦画好きならこの中で1人ぐらいは好きな役者がいることだろう。
そして、その期待はもちろん裏切らない。
宮崎あおいは、少し頭の弱い純粋な役を、松山ケンイチ、綾野剛はどこか影のある役を。
その誰もが役をこなしているおかげで、どのシーンにおいても、ずっと見応えがあった。
そして、広瀬すず。
この若さで、この演技ができるのかと驚嘆した。
もともと好きな役者だったけれど、下手な濡れ場のシーンなんかより難しいシーンを観てさらに注目することは必至だ。
音楽は、坂本龍一担当
音楽は、坂本龍一が担当する。
この映画に出てくる、怒りや悲しみ、人間の感情をひっくるめた儚げな音楽は映画の良さをより一層引き立たせる。
Apple Musicでも聞けるので、映画を見たら是非聞いてほしい。
サブタイトルは信頼
人が「怒り」を感じるというのはどういうことなのか。という映画の主題よりも重要なサブタイトルがこの映画にはある。
それは「信頼」だ。
人間は、人間をどこまで信じられるのか。
それがこの映画の副題とも呼べるため、注目して見てほしい。
映画内でも出てくるが、相手の口から真相を聞いたところで、受け取り側がどう受け止めるかがすべてであり、信頼して信用しなければ何も変わらないわけだ。
見ず知らずの人間をどう信じようというのか。
どれだけ信頼していても、ちょっとした出来事1つで信用できなくなってしまう。
そんな人間の葛藤がこの映画によくあらわれている。
映画「怒り」ネタバレ考察
ここからはネタバレも含むので未見の人は、見てからにしてほしい。
結局、コミュ力で信用は変わる現実
連続殺人事件の容疑者と思わしき人物3人に焦点を当てて、他人との関わりの中で信頼を獲得していく。
彼らを信じるもの疑うもの。
信じているが、最後には疑ってしまうもの。
人それぞれだが、結局のところ信用という目に見えないゲージは1つのステータスによって上下する。
そう、コミュ力だ。
連続殺人事件の犯人の雰囲気に似ている3人、田代 哲也(松山ケンイチ)、大西 直人(綾野剛)、田中 信吾(森山未來)。
性格は人それぞれだが、田代と大西は寡黙で自分のことをあまり話したがらない。
いや、自分のことを話さないのは田中も同じだ。
しかし、田中は自分を偽っている雰囲気を感じさせない。
他人を拒んでいないのだ。
そう、田中には2人にはないコミュ力を備えている。
彼は無人島にいながらも、沖縄の民宿で働き、信用を得ている。
少年と少女と楽しく飲み明かしたりする。かっこよく「お前の味方だ」などというセリフを吐ける。
それとは対照的に、田代と大西は、そのコミュ力の低さから信頼されていたはずの人間に疑いを抱かせてしまう。
同じモンタージュ写真を見て、ずっと近くにいて信頼関係を気づいてきたはずの2人は疑われる。
大西は藤田(妻夫木聡)の母の死を一緒に看取ってくれ、常に一緒に生活した仲なのに、田代は本当に信頼できる人にだけ自分の過去を正直に打ち明けたのに。
しかし、田中は全く疑われない。民宿の母親は、似ているとおもうが、まさかホンモノだと疑いもしない。
少女も少年も信用している。
コミュ力だ。コミュ力で全てが決まってしまう。
コミュ力のないものにはさぞかしつらい現実がそこにある。
年をとるほど疑り深くなる
3人にはコミュ力の違いがあったが、その周囲には年齢の違いがあった。
槙洋平(渡辺謙)は、娘の愛子(宮崎あおい)と田代が恋愛関係に発展してから疑惑の念が頭から離れなくなる。
藤田は、モンタージュ写真を確認し、友だちが泥棒に入られたことから疑念を抱く。
愛子は、洋平が疑いだしたときはきっぱりと否定していたが、だんだんと信じられなくなっていく。
しかし、泉(広瀬すず)、辰哉は違う。疑うことはしない。
田中のコミュ力が高いということもあるが、子どもは純粋に人を信じることができる。
ここでいう子どもとは、精神年齢のようなものだ。
愛子は純粋だったため、最初は信用していた。しかし、それでも泉たちとは違う。
彼女もまた大人になっていた。
人生を経験するにつれて、人は人に疑り深くなっていく。
簡単に信用できず、信用しても関係のない第三者の情報で簡単に疑惑を抱いてしまう。
人に裏切られたことばかりではないはずなのに。
信用することもたくさんあったはずなのに。
田中はなぜ殺したのか
なぜ殺したのか。その答えだけであれば理由は単純だ。
彼は他人を見下すことで自我を保つような人間だった。
そんな人間が人から憐れみを受ける屈辱を味わったのだ。
それが殺した動機だ。
怒りを感じたとき、つい言いすぎてしまうことがないだろうか。
それと同じで、田中は「怒り」がわくと自分を制御することができなくなる。
そして殺人にまで発展してしまう。
彼が逆上したときにとる行動は2つ。逆上したまま暴れまわるか、逆立ちをするかだ。
沖縄の民宿でも最後には暴れまわった後、我に返って無人島に逃げていった。
そして逆立ちをすることで怒りを鎮める。
辰哉が「本気で怒っていることを伝えるのは難しい」と言っていたように、目に見えない感情は相手には伝わらない。
田中にとって人から憐みを受けることは、本気で「怒り」を感じることなのだ。
あとがき
モンタージュ写真は、松山ケンイチや綾野剛には似ていたけど、森山未來にはあまり似ていなかったのはわざとなのか。
しかし、あれほど皆が絶妙に似ているというのもおもしろい。
指名手配写真はよく見かけるけれど犯人かと疑う人にはあったことない。
これだけ似ていると、多少繋がりのある人間なら気づくものなのかもしれない。
主演は渡辺謙とあるが、この実力はぞろいの俳優の仲で一番年齢が高いという点で選ばれたように思う。
渡辺謙自体も重要な役どころではあるが、主演の役どころとはちょっと違う気がする。
プライムビデオは、月換算(325円)で怒りのようなおもしろい作品が見放題。
まだ登録されていない映画好きの方は、登録をおすすめ。