ホムンクルスは「2021」の映画。Netflixで配信されることが決まった状態で映画館で先行公開された。
頭蓋骨に穴を開けるトレパネーションなる手術を行うことで第六感が開花され、片目で他人を見ると、抱えている深層心理がホムンクルスと呼ばれる異形になって見えるようになる。
その目を使い、他人の深層心理と向き合い、また自身と向き合っていく話。
原作を見たことがあるのだけれど、どういうわけか途中で見るのをやめてしまった。
しかし、今回映画版を見てみて理由がわかった。
絶妙に話が面白くないのだ。
さらに映画版だと15巻を凝縮しすぎていて意味が分からない部分も多いので、原作との違いを交えつつ、少し解説していきたい。
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「ホムンクルス」映画情報
タイトル | ホムンクルス |
公開年 | 2021.4.2 |
上映時間 | 115分 |
ジャンル | ミステリー |
監督 | 清水崇 |
映画「ホムンクルス」キャスト
登場人物 | キャスト |
---|---|
名越 | 綾野剛 |
伊藤 | 成田凌 |
奈々子 | 岸井ゆきの |
女子高生1775 | 石井杏奈 |
組長 | 内野聖陽 |
映画「ホムンクルス」あらすじ
一流ホテルとホームレスが溢れる公園の狭間で車上生活を送る名越進。ある日突然、医学生・伊藤学が名越の前に現れる。「記憶ないんですよね?」――そして期限7日間、報酬70万円を条件に第六感が芽生えるという頭蓋骨に穴を開けるトレパネーション手術を受けることになった名越。術後、名越は右目を瞑って左目で見ると、人間が異様な形に見えるようになる。その現象は、「他人の深層心理が、視覚化されて見えている」と言う伊藤。そして彼はその異形をホムンクルスと名付けた――。果たして名越が見てしまったものは、真実なのか、脳が作り出した虚像の世界なのか?そして、その先に待っている衝撃の結末とは?!
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映画「ホムンクルス」ネタバレ感想・解説
ホムンクルスとは
ホムンクルスとはラテン語で小人を意味し、ヨーロッパの錬金術師が作り出す人造人間、技術のことを指す。
映画「ホムンクルス」の世界では、頭蓋骨に穴を開けるトレパネーションという手術を組み合わせることで、他人がホムンクルスと呼ばれる別のナニカに見えるようになるという話。
映画の中では、そのナニカは他人の深層心理がベースとなって形作られている。
生まれたばかりの赤ん坊は頭蓋骨の真ん中に穴が開いていて、大体2歳ぐらいになると徐々に塞がれる。確かに自分の子供も同じように開いているので、頭には特に気をつけるようにしていた。
その場所にまた穴を開けることで脳の活性化をはかるのが今回の目的だ。
組長は子供の頃のトラウマが原因
穴を開けたあと、左目のみで周囲を見渡すとまるで別世界にいることに気づく。人間たちが全く人間の形をしていないのだ。ロボットだったり、ペラペラだったり、頭が電球になっていたり。
その中の1人として描かれるのがヤクザの組長、なのだけど。。
またそこで描かれる組長が古臭い。なぜかドスを持ってきてエンコ詰めを行う前時代さにちょっと違和感が出てくる。
組長の奥底に眠っていたトラウマの理由もなんだかお粗末で、小学生時代に友達の指を誤って切り落としてしまったけど謝れなかったことが原因だった。
それをずっと気にしつつも77人もの指を切り落とすという強引な闇隠し。
ずっと心の奥底では自分の指を詰めたいという気持ちが残っていて、それを名越に指摘してもらい、そのまま見事に指を詰めて引退するという潔さ。
「うーん、そうなんですか。。」という感情しか湧かない。同情もできないし、誰も幸せにならないし、何が救われたのか分からない流れになるも一件落着。
女子高生の苦悩と救済の理由を考察
そして2人目は砂にまみれた女子高生。
「人の深層心理に迫って暴き出して何かしらの解決を図る物語なんだな」と思って見ていると、その救済方法が全くわからないのがこの女子高生だ。
あまりにも尺が短すぎてほとんど全ての伏線やメッセージをすっ飛ばしているためだ。
原作未読の人は分からなくて当然なので安心して欲しい。
心の傷についてもあまり説明はないけれどなんとなくわかる。母親に束縛されることにストレスを感じていて、裏垢では自傷行為をしながら閉じ込められた自分のアイデンティティーを必死に叫んでいる。
砂と思っていた女子高生は記号の集まりで、その意味は記号のように温度がなく、生きている感覚のない状態を指している。
ではなぜ名越がレイプして、口移しで女子高生に血を飲ませることが救済になりうるのか。
女子高生は母親からの抑圧から性の解放に対する欲望を持っていた。彼女は処女であり、名越に犯されるのが嫌なのではなく、むしろ自ら進んで名越を犯されようとしていたし、自らも進んで犯そうとしていた。
それは顔全体が女性器となってホムンクルスを形作っていることからもわかる。
母親にコントロールされた完全で清廉潔白な状態である自分に、男を受け入れ、そして血で汚すことで純血で記号化された無味無色の自分を壊すことに意味があるのだ。
血を飲む行為自体は、彼女が何度も行なっている生への実感の描写として原作では描かれているが、映画では「出会ってすぐ合体」になっているので訳がわからないだろう。
さらに、映画では名越がなぜ犯そうとしているのか全く分からぬままレイプシーンを目の当たりにする。そこには性欲も救済しようという意思も感じられない。
機械的に名越は女子高生をレイプしようとし、血を見つけたところで「これだ!」と思いついて女子高生に飲血する。
第六感なんてかっこいいこと言っているけど、これでは完全に人格が破綻しているように映ってしまう。
また、カーセックスをしている最中に母親が突然現れるシーン。なぜ場所がわかったのかと思ったら、ただ娘を探している最中でそこに娘がいることは全然知らなかったらしい。
こちらも原作だと自宅の前という設定。「脚本の構成作るの面倒だったのかな」とか思ってしまうぐらい雑でわかりづらい。
女子高生編について原作鑑賞済の方がこちらで解説しているので詳しく知りたい方はこちらを見て欲しい。
名越の過去と奈々子の関係性は?
名越は過去にやり手のビジネスマンとして生きていて、その肩書きや金に群がる人が多かった。その中で唯一内面を見てくれた奈々子に惹かれていた。
しかし、奈々子は交通事故で死んでしまい、そのきっかけを作ったちひろをホムンクルスを通して奈々子として認識していた。
この部分もちょっと納得がいかないというか、「そんな凄惨な事故でもなくない?」というぐらいエグい事故現場になる。
奈々子が車に轢かれて死ぬのは分かる。だが運転手の男はなぜ死んだのか。どう考えてもスピードは出ていないし、電柱にぶつかっただけなので即死はもちろん重傷にさえならなそうな事故に見える。
彼はしっかりシートベルトも閉めていた。だが彼は即死する。なぜか助手席側から飛び出して。
理由はこの物語に彼は必要ないからだ。
そしてちひろはそのことを忘れるため、自暴自棄となりトレパネーションを受けるも、全てを思い出してしまう。そして名越は最後にちひろと生きていくを選択してハッピー?エンド。
伊藤の過去とトラウマ
満を持して伊藤の過去と言いたいところだけれど、もうこの頃には映画そのものになんの期待もしていなかった。ただそれにしても本当に薄っぺらい理由だった。
そもそも深層心理やトラウマの根本を突き止めたところで救えているとも言い難い。ここに出てくる登場人物たちは名越のおかげで何かを成し得たという風にも見えない。
ホムンクルスが見えることの必然性がないのだ。
そしてそれは、伊藤の過去に特に顕著に現れる。
伊藤は、父親が子供に興味なくて金魚ばかり愛でていたというありがちと言えばありがちな過去を引きずっていた。
ただ、そのトラウマで凶悪な犯罪に走ったわけでもないし、トレパネーション自体は違法行為でヤバいやつという設定ではあるものの、過去と現在の行動についてが全くリンクしていない。
「お前は何をそんなにムキになってるんだ?」と言っているように、なぜ伊藤は名越を否定したいのかはよくわからないし、ホムンクルスを通じて深層心理を暴かれたからといってそんなに衝撃を受ける必要もない。
そして彼は自分でトレパネーションをしてバッドエンド。
原作では伊藤のトランスジェンダー的な要素がもう少し深く描写されていて、例えば「童貞」と言われた時の動揺とかも、映画だとあまりにしょぼいけど、伊藤の心の内を知る1つのシーンになる。
原作未読にも原作既読にも受けが悪い映画なのは間違いない。
映画「ホムンクルス」が何を撮りたいのかさっぱり分からないというのが今回の印象。
テーマ性があるのか分からないし、感動させたいわけでもないし、ミステリーとして驚かせるには雑すぎるし、グロい描写を見せつけてくるわけでもない。
ティーンエイジ向けのような見やすさはないし、考察して深く味わうほどの作品でもない。
ただ1つわかったのは、トレパネーションはドラッグ以上に危険行為だということぐらいだ。
俳優たちは豪華で演技力もあるので、この中の誰かが好きなら見ると良いだろう。
成田凌は「窮鼠はチーズの夢を見る」でもよく出ていたけど中性的な雰囲気が非常によく似合う。
彼の演技を楽しむだけでも見る価値はある。
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