映画「万引き家族」を配給終了を前に鑑賞してきた。
一言で感想をいうと
- 考察が楽しい作品
である。
是枝裕和監督作品が好きな私は、カンヌ映画祭の受賞の有無など関係なく鑑賞したが、賞をとったことで知名度が上がった。
その結果、なんとなく観たライトユーザー層には難解であり、退屈に感じるところもあったのではないだろうか。
普段映画を観ない方が、そう感じたことはそれほど間違ってはいない。
なぜなら是枝裕和監督は、「万引き家族」を不特定多数に向けた作品として撮っていないからだ。
この映画は、
- 芸術作品として
- 社会派作品として
- 映画が好きな層
ターゲットとして映画である。
なんか流行ってたから、なんか賞をとって有名だからという理由で鑑賞すると余計なハードルだけが上がり期待外れに終わる可能性が十分にあるため、気をつけてほしい。
- この映画は役者の心情を言葉に出さない
こういう映画の場合なにがおもしろいかというと、行動だけで判断する内面の考察だ。
今回私が、考察したことを紹介する。
【考察1】「万引き家族」はお金で繋がっているのか
誰も血が繋がっていないのに一緒に暮らしているという事実
映画を観るまでは、冒頭で家に招いた「ゆり」だけが血が繋がっていないのかと考えていた。しかし、なにかがおかしい。
血のつながった家族には思えないような雰囲気から始まる。
しかし、この映画は後半まで家族について全く説明しない。
だから、言葉の端々から推察するしかないのだが、ぼそぼそと話すおかげで余計に分かりづらい。とにかく集中しなければ分からなくなってしまう映画だ。
- 信代(安藤サクラ)は、治(リリーフランキー)と夫婦
- 亜紀(松岡茉優)は初枝(樹木希林)の元夫と後妻の孫
- 祥太はパチンコ屋で治が拾ってきた子ども
この家族は誰1人として血が繋がっていない。
赤の他人が家族を装って一緒に住んでいるわけだ。
映画の冒頭はその口の汚さからお互いが良い関係を築いているのかすら分からなかったが、花火を見たり、海へ出かける前後からその良好な関係性が伝わってくる。
亜紀が信代に「彼氏ができた」とのろけるシーンや、治に性生活について問いただすシーンを見ても、その雰囲気からそれほど悪い関係性ではないのが見てとれる。
万引き家族は、お金でしか繋がっていないのか
治と信代は「お金でつながっている」と亜紀は指摘していたが、確かに表面上はお金でつながっている。
生活するうえでお金は必要なモノであり、家族が結束する動機付けにもなっている。
しかし、お金だけではないのも確かだ。内面は愛情で繋がれているなんて、白々しい感動作品ではないが、
- それぞれが良い距離間で依存している
初枝は、独り身にならずに家族と暮らしながら逝くことができた。
海辺で「ありがとうございました」と独白するシーンに見てとれる。
そもそも不幸であれば、一緒に暮らすわけがない。
治も信代も家族に、父親、母親になることに強いあこがれをもっていた。そのため、お金はないが、子どもを連れてきてしまう。
祥太とゆりに依存しているわけである。
亜紀も初枝に必要とされることで、存在価値を見出していたに違いない。
血の繋がりに必然性はあるのか
血が繋がっていることは、さして重要なことではない。むしろ悪影響さえあり得るというのがこの映画の趣旨だ。
後述するが、是枝裕和監督作品の主テーマである。
初枝自身も「血が繋がっていないから変に期待しなくていい」と言っているように、血が繋がっているだけで余計なハードルを相手に求めてしまうことがあり、関係性を悪化させることも多分にあり得る。
家族に強いあこがれを持っている赤の他人同士が、お金でつながっていると割り切ることで、変な期待をせずに一緒に暮らしている。
信代も初枝を庭に埋めたことを死体遺棄と言われたとき「捨ててない。私は拾ったの。初枝を本当に捨てたのは誰?」と発言している。
- 本当に捨てたのは、初枝の旦那や、その子供たちなのだ。
初枝は、亜紀とお金のために暮らしていたのか?
答えはYesでもありNoでもある。
上で書いたようにこの映画では、「お金」は家族をつなげるうえで重要な役割を持っている。
前夫を連れ去った後妻の家族に恨みもあり、亜紀を利用して金を無心したのは間違いないだろう。
しかし、亜紀との生活はお金だけのためではなく、家族に憧れた自分のためであるが、亜紀をかわいがっていたのも事実だ。
愛情の有無なんて、作中での関係性を見るにたやすい。
- 間違いなく初枝は亜紀に対して愛情を向けていた。
また、両親の亜紀に対する愛情の少なさも見てとれる。両親は、初枝に対してオーストラリアに留学していて、今年も帰らないという話をしていたが、実際には家出したまま帰っていないだけのようだ。
亜紀が初枝の家にいることを両親が知っていたかどうかはっきりしていていないが、知っていた可能性は高い。
そうでなければ、いくら前夫の後妻の息子とはいえ、お金を渡す義理はないのではないだろうか。
【考察2】万引き家族バッドのラストはバッドエンドなのか
ネグレクト行為をする本当の両親のもとに戻るゆり
この映画はハッピーエンドではないことは確か。ではバッドエンドなのだろうか。
- この家族を知らない赤の他人にとっては、ハッピーエンドであろう
なにしろ誘拐されていたゆりが家に戻ったのである。
興味深いのが、警察に捕まった後に警官(池脇千鶴)が信代に向かって話すシーン。
信代に向かって本当の親に返すことが正義のように語っている。
何の事情も知らない人が、表面だけを見た感想を話すと、当然血を優先させるのだ。
前科があり、初枝を死体遺棄したという事実があるため、信代の心情を理解するなんてことはあり得ないのだ。
客観的事実を見ると万引き家族に情状酌量の余地はない。
それを知るのは、それぞれの心情を理解しようとする映画の視聴者ぐらいなものである。
しかし、客観的事実から内面に目を向けると全く異なる視点になるのだ。
連れてきたときは口数の少なかったゆりだが、時がたつに連れて、ゆりの言葉数も多くなり、笑い顔も見せるようになる。
- ゆりにとって、良い家族はどちらだろうか
ゆりはラストシーンで、治に拾われたベランダから身を乗り出す。この映画の結末で多くの視聴者がゆりの身を案じたことであろう。
「どうか助けてあげて欲しい」と。
愛情を受けて育ったがゆえに、万引き行為に悩む祥太
祥太は、万引き行為によって良心を痛めるようになっていた。
しかし、この家族にとって万引き行為は日常に溶け込んでおり、そこに大人たちの良心が痛むことはなかった。
- これは治や信代、ここに住む家族によって愛情を受けたがゆえに芽生えた良心なのだ。
しかし、他の大人はそうではない。
信代は愛情を受けずに育ったことを吐露しているし、亜紀も家族と関係がうまくいっていない。
他のモノたちもおそらく愛情を正しく受けてこなかったのだろう。
しかし、倫理観などの教え方は正しくなかったとしても、祥太には愛情を注いでいた。
その結果、人を思いやる気持ちが芽生え、盗まれた人の気持ちになって心を痛めるようになってしまったのだ。
また、妹のゆりはまだ小さいがゆえにその行為に疑問を持っていないが、祥太と同じ道を辿らせたくなかったのだ。
その結果、祥太は良心の呵責に耐えられなくなり、わざと万引き行為で捕まることになり、家族は離ればなれになってしまう。
治と信代を本当の家族のように好きであるのに、犯罪行為に手を染めることができない優しい人間に育ったために一緒に暮らせない。何とも皮肉な話である。
ゆりも祥太も愛情を注いでくれる対象者がいなくなっている。
愛情を注いでくれた結果、他人の痛みが分かる人間に成長している祥太を見ると、対象者がいなくなることは万引き行為や貧困を差し引いてもバッドエンドになるのではないだろうか。
【考察3】是枝裕和監督が一貫して伝え続けているテーマとは
家族の幸せは、血のつながりでは決まらない
これまでの是枝裕和監督作品を観ていると作品に一貫したテーマがあることが分かる。
「そして父になる」は、育てた6年間か血のつながりかを問う作品であり、最終的な結論は描かれていないが、血の繋がりではなく育てた6年間を重要視していたことがみてとれる。
「海街ダイアリー」は、腹違いの妹との話を描く。「3度目の殺人」は、血は繋がっていても性的虐待を受けている家族を描く
「誰も知らない」では、実の母親に捨てられた子どもたちの生活を描く。
- 家族の幸せは、血のつながりでは決まらない
という事実を色々なパターンで一貫して伝えているのが是枝裕和監督なのだ。
自分の作品にこれだけ一貫したテーマを作り続けている監督はそうはいない。
万引き家族は芸術性に特化している
エンターテインメント性を持たせたり、芸術性に重きをおいたりするところは変化させている。
どちらかというとこの監督は、芸術性に重きを置いているため、分かりやすい感動や、盛り上げる音楽を使ったりしない。
しかし、その中でも「そして父になる」は、監督の中でもエンターテインメント性が高い作品といえよう。
ここでいうエンターテインメント性が高い作品とは、つまり、より多くのライトユーザーがターゲットの作品だということ
エンターテイメント性の高い映画は、主題が分かりやすく、疑問や結末を気にさせて、視聴者を惹きつける。
「そして父になる」は育ててきた6年間をとるのか、血をとるのかという結論を視聴者は期待して観る。
その結末が気になるがゆえに視聴者は惹きつけられる。
その疑問や期待を解決して終了するのがエンターテインメント性が高い作品なのだ。
いわゆるエンタメ映画ではないが、芸術性や社会性に重きをおいていても、「そして父になる」はエンターテイメント性に寄せているし、「3度目の殺人」もなぜ殺人を犯したのかという疑問を投げて視聴者を惹きつける。(すっきり解決しないため、エンタメ性は高くないが)
対して「万引き家族」は、その映画の目的も結末もはっきりしない。
全員血縁関係ではないと分かるのは後半で、それまではこの家族はどうなるのか?ぐらいの疑問しかなく、何をどう解決したら映画が終わるのかということすら分からない。
- そして案の定すっきりしないまま映画は終了する
考察を楽しいと思える人向け
そのため、観る人によっては冗長に感じる部分もあるだろう。
しかし、先に話したように是枝裕和監督の一環したメッセージである「家族の幸せは、血のつながりでは決まらない」を淡々と伝える作品である。
良くも悪くも賞をとってしまったため、多くの視聴者をターゲットとしてしまった。
出演する役者の演技力により、かなり多くの視聴者に映画の良さが伝わったことは確かだが、賞をとったという理由だけで、普段あまり映画を観ない人が観て楽しいかといわれると疑問である。
映画館の上映は、何回も繰り返し見れないことが本当に欠点だ。
この映画は1度観ただけでは分からない。2度3度と観て新たな発見をしていくことが楽しい作品なのである。
「万引き家族」をはじめ是枝裕和監督作品は、Amazonプライムビデオで視聴できるようになっているため、他の作品もぜひ観てほしい。