映画「ア・ゴースト・ストーリー」。
泣ける映画は数あれど、これほどまでに感情表現の少なく、しかしそれでいて絶望がしっかりと伝わる映画を過去に見たことがあるだろうか。
ポスターだけ見るとなんとなくホラー映画を想像するかもしれない。
でも実際に観てみると全く違うテイストになっている。
じゃあこれはラブストーリーなのかと思って見ていると、
その流れも突如として切り替わっていく
ラブストーリーは映画の1要素にすぎない。観た後は、感動とかではなく、もっとなんかこう、
虚無感に包まれてしまうかもしれない
しかし一方で、この地に生きる人間が紡いでいく歴史に想いを馳せる
感傷的な映画でもある
話は、一緒に暮らしていたカップルの男が突然死んでしまい、ゴーストとして現世をさまようところから始まる。
1990年の映画「ゴースト」を知っているだろうか。
死後、幽霊として女性のそばに現れるが男は全く気づかれることもないし、触れることもできない。
でもだんだんと気配を感じて、触れられない相手に想いを馳せる感動のラブストーリーだ。
しかし、この映画はテイストは全く違う。
はじめはゆっくりと丁寧に描かれる話の流れは、だんだんと早く薄くなり、ラストは虚無に包まれる。
感情表現というものは全く言葉に現れない。しかし、はっきりわかる。この男の虚無感が映像全体を通して伝わってくる。
この映画は観た後は、余韻に浸れること間違いなしだ。しかし決して楽しい余韻だけではないことは理解しておこう。
映画「ア・ゴースト・ストーリー」あらすじ
若夫婦のC(ケイシー・アフレック)とM(ルーニー・マーラ)は田舎町の小さな家で幸せに暮らしていたが、ある日Cが交通事故で急死してしまう。病院で夫の遺体を確認したMは遺体にシーツをかぶせてその場を後にするが、死んだはずのCはシーツをかぶった状態で起き上がり、Mと暮らしていたわが家へ向かう。幽霊になったCは、自分の存在に気付かず悲しみに暮れるMを見守り続ける。
シネマトゥデイ
映画「ア・ゴースト・ストーリー」予告
映画「ア・ゴースト・ストーリー」キャスト
C | ケイシー・アフレック |
M | ルーニー・マーラ |
預言者 | ウィル・オールドハム |
映画「ア・ゴースト・ストーリー」作品情報
監督 | デヴィッド・ロウリー |
音楽 | ダニエル・ハート |
公開年 | 2018年11月(日本) |
上映時間 | 92分 |
興行収入 | 1700万ドル |
映画「ア・ゴースト・ストーリー」ネタバレなし感想
あなたは体験したことがあるだろうか。誰もいないはずの場所で物音がしたり、気配を感じたりすることが。
壁に映る光の反射のようなものを、ライトがふいに点滅したりすることが。
それを感じたらいるかもしれない。
そしてそれは、、
人によっては冗長に感じる映画となるのではないか。
なんてことない日常シーンが数分間続き、そのカメラワークは極端に少なく、定点カメラかスローに動きを追うぐらいしかない。
例えばピアノを捨てるシーン。
家からゴミを捨てる場所までを数分間定点カメラで撮り続ける。
男と女がベッドでまったりするシーンでは、抱き合いながら軽いキスをするシーンであるのにもかかわらず2分近く撮り続ける。
男が死んだ直後に女がパイを食べ続けるシーンもそうだ。
1つ1つの時間をとても長くゆっくりと表現する
だがそこには、何か、分からないが、飽きさせない映画の空気感のようなものは存在していて、好きな人はこの雰囲気好きってなって心をわしづかみにされるし、苦手な人はスマホを見てしまうかもしれない。
もちろん、私は前者だ。
映画監督は、クリエイターだ。アーティスティックな雰囲気を持つ監督もたくさんいる。
映画独特の雰囲気が好きであれば、迷うことなく観るべきだし、単純に泣きたいだけの気分であれば観るのはやめておいた方がいい。
だが私は全力でおすすめする。
虚無感と希望を併せ持つ、感情が喪失してしまいそうで、それでいて活力が沸きそうなこの映画のことを。
映画「ア・ゴースト・ストーリー」ネタバレ感想・解説
映画「ア・ゴースト・ストーリー」のテーマとは
まず、この物語の核となる部分を知る必要がある。
それは開始58分頃から1時間4分までのおおよそ6分間で、おっさんが語る部分が重要だ。
男の死後、家の住人は変わり、ホームパーティー会場となった家でおっさんが語っている。
彼は人の歴史と未来を事実ベースで語る。
小説家は小説を書き、音楽家は作曲するのは、誰かのためではなく、自分のためだという。
それは、
- 自分が存在した証を残したいから
- 自分を覚えておいてもらいたいから。
だと。
有名でなくても、ほんの数人しか覚えてないかもしれないが、人はみな、何かを残そうとする。
その遺産は確かに恋人へ、子どもへ、他の誰かへ受け継がれていくが
人が何をしようと何を残そうとも地殻変動により人間の大部分は死滅し、遺産を希望に復興を遂げようとも地球は太陽にいずれ飲み込まれる。
宇宙のどこかへ逃げようとも、膨張を続けた宇宙はやがて収束し、消滅する。
究極的にはすべての行動は無意味であり、その行動がたとえ善行であれ、悪行であれ大して違いはない。
つまり、この映画も無意味であり、これを見てこうやって感想を残している私の行為も無意味である。
ただ、しかし、それでも人はその地で何かを残すし、そうすることができる。
いずれ消えゆく運命であろうとも、ナニカを紡ぎそれは伝わっていく。
無意味だが、映画の中でその行為を否定しているわけではない。
ただ、事実を述べているわけだ。
ゴーストとは何なのか
人は死ぬと、布切れに包まれた物体となる。そこには人が入っているように見えるが、身体は見えない。
彼らは死ぬとどこか天国のようなものへ向かうと思われる。病院をさまようときに見えた光の扉がそれを示唆している。
しかし、おそらく強い心残りのようなものがあるとそこには入らず現世にとどまってしまうようだ。
そして、悠久の時間を経ていつしか消える。
消えるには、ゴースト自身が何かに気づく必要がある。
隣にいるゴーストは誰なのか、なぜ消えたのか
男と同じく心残りがあり、現世にとどまっているゴースト。
花柄のシーツを被り、おそらく生きていたころは女性だったのではないかと想像されるが定かではない。
中に入っている役者は女性のため、おそらくモチーフは女性だろう。
誰かをずっと待ち続けているが、ゴーストは人間よりも思考力が落ちていて、誰を待っているのか分かっていない。
もしくは悠久の時を経て「待つ」ということしか覚えていないのかもしれない。
離れてしまった恋人を待っているのかもしれないし、家族を待っているのかもしれない。
家が壊れ、待ち人は来ないと悟ると消える。
自分自身が誰かの記憶からなくなり、存在そのものがなくなると悟ったから消えたのだ。
なぜ、男は家を離れたくないのか
冒頭ではわかりにくいが、女は引っ越して新しい家に住みたいと考えているが、男は離れたがらない。
なぜ?と問われても
うまく答えられない。
しかし、そこに歴史があるからだと言っていた。
おそらく、おそらくだが、この映画は男がゴーストになってさまよう映画なのではなく、
昔からこの地にいて輪廻転生を繰り返してきたのではないだろうか
男はあるときは歌い手であり、あるときは小さな男の子、そしてあるときは声たからかに宇宙論を語り、始まりはここに移り住み家を建てようと開拓していた者なのかもしれない。
開拓時代の娘は、男が作曲した歌をたしかにくちずさんでいた。
この曲もまた、ホームパーティーのおっさんが言っていたように、人間が時代を超えて受け継がれている証なのではないか。
娘はまた、女と同じようにメモを残して石の下に隠していた。
この地にずっととどまっていたから、この家には歴史があると言い、そこから離れることを極端に怖かったのだ。
舞台はテキサスで、その歴史はまだ浅い。おそらくインディアンも住んでいない未開の地だったのではないか。だから始まりは開拓時代からなのだ。
女が残した紙切れには何が書いてあったのか
ゴーストがずっと数年、数十年ととろうとしていたメモ。
彼女の残したメモには何が書いてあったのか。
映画の冒頭で彼女は子どものころから引っ越しが多く、そのたびにメモを書いて隠していた。
いつか戻ったときに昔の自分に会いたいから。
書いていた内容はちょっとした詩だったり、思い出のようなものだったという。
この紙切れには大して意味はない。
ゴーストは紙切れを見ることだけが、自分の使命に感じていた。
隣の家のゴーストと同じく、そのことだけが心に刻まれていたのだ。
映画「ア・ゴースト・ストーリー」あとがき
いま。あなたは映画を見て、このブログを訪れて感想を閲覧している。
この映画の疑問を解決したり、共感を得ることを目的としているかもしれない。
知人と映画について語り合うのも良い。
また、他にも楽しいことがあるだろう。スポーツにうちこんだり、勉強にはげんだり、ゲームに夢中になったり、
苦しいことも多く体験しているはずだ。
しかしそれら全ては最終的には無意味であり、どんなに楽しくても、悲しくても大した違いはない。
人間の行動は無意味でむなしい行為なのだろうか。
この部分に関する私の解釈は、
無意味な行為ぐらいのたわいもないこと
だ。
何をしても意味がないのではなく、無意味なのだからもっと楽に生きればいいのではないか。
「ア・ゴースト・ストーリー」は深く考えるべき映画なのではなく、
- ゴーストには感情はあるのか、とか
- なんで繰り返しているの、とか
- 紙切れには何が書いてあったの、とか
のどの行動にも大した違いはなく、
この事象をあるがままを受け入れる映画なのだろう。
映画「ア・ゴースト・ストーリー」を見たならこれもおすすめ
死者が生者のもとに現れるといえば、1990年に製作された映画「ゴースト」
2000年台前半ぐらいまでは、地上波でたびたび放送していたような気がするけど、最近はみない。
突然死んでしまった男が、愛していた女のもとに幽霊のまま戻るというラブストーリーだ。
女の方は幽霊である男を見ることができないため、いろいろな手を使って男がいるということを意識させる。
決して交わうことのない切ないラブストーリーに仕上がっている。
死者が見える作品には「シックス・センス」もある。
M・ナイトシャマラン監督の傑作だ。
死者が見える子どもが、その能力を使って人と幽霊をつないでいく。サスペンスだが悲しいラブストーリーでもある。
ア・ゴースト・ストーリーの雰囲気に合わせると「ソラニン」もおすすめ。
邦画だが、浅野いにおのマンガ原作であり高良健吾と宮崎あおいのラブストーリーだ。
浅野いにおといえば、心をえぐるようなストーリーを描くのが得意で、この映画も単純なラブストーリーではなく、現代の幸せなはずなのに閉塞感を感じてしまうような若者の苦しみを浮き彫りにした映画となっている。
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