映画「楽園」鑑賞。
「パレード」「悪人」「怒り」に続く吉田修一原作の映画化作品の1つだ。
人間の光と闇をえぐり出し、決して後味も良くないこの映画は、万人向けの映画ではない。
楽園は、吉田修一の「犯罪小説集」という5編の短編集から「青田Y字路」「万屋善次郎」を合わせて映画にした作品で、
- 人間は「悪」なのか「善」なのか
- 人が人を信頼するとは何なのか
に加えて
- 集団による正義の正当化
を描いたのが本作品だ。
暗く、重く、後味の悪い作品だけど、主題歌となる上白石萌音「一縷」が素晴らしい音楽に仕上がっているのでぜひ聞いてほしい。
RADWIMPSの音楽と上白石萌音の歌声の美しさにとらわれて、気づいたら無限ループしてしまうだろう。
映画「楽園」は、はっきりとした答えを明示しないため、モヤモヤ感を解消できないこと必至だ。
そのため、当記事では映画「楽園」から出てくる疑問を考察した結果を書いていく。
映画「楽園」あらすじ・キャスト
予告
あらすじ
12年前、青田に囲まれたY字路で幼女の誘拐事件が発生した。事件が起こる直前までその幼女といたことで心に傷を負った紡(杉咲花)は、祭りの準備中に孤独な豪士(綾野剛)と出会う。そして祭りの日、あのY字路で再び少女が行方不明になり、豪士は犯人として疑われる。1年後、Y字路へ続く集落で暮らす養蜂家の善次郎(佐藤浩市)は、ある出来事をきっかけに、村八分にされてしまう。
シネマトゥデイ
キャスト
- 中村豪士・・・綾野剛
- 湯川紡・・・・杉咲花
- 野上広呂・・・村上虹郎
- 久子・・・・・片岡久子
- 中村洋子・・・黒沢あすか
- 田中紀子・・・石橋静河
- 藤木朝子・・・根岸季衣
- 藤木五郎・・・柄本明
- 田中善次郎・・佐藤浩市
原作、スタッフ
- 原作・・・吉田修一「パレード」「悪人」「楽園」
- 監督・・・瀬々敬久「64(ロクヨン)」
- 主題歌・・上白石萌音「一縷」
映画「楽園」ネタバレレビュー・考察
12年前に行方不明となった少女は生きているのか
「青田Y字路」は、Y字路で別れたあと行方不明となった少女の話だ。
結論から言うと、この少女は最後まで行方不明のまま物語は終わる。
しかし、1つ不可解なシーンが出てくる。
東京で紡と広呂が飲んだあと、紬はその少女によく似た人を見かける。
そしてその顔はどこか似ており、友だちに呼ばれた名前も一致していた。
映像はそこで終わりとなり、結論は出ていない。
ただ、12年前行方不明となり、東京で友だちと楽しく暮らしているとは考えづらい。
これは、紡の願望だと推察される。
- 紡が作りたい楽園
である。
楽園はどこに存在するのか
では、楽園とは何なのか。どこに存在するのか。
野上広呂が湯川紬に言った「楽園を作れよ」という言葉。
辞書には、
苦しみのない幸せな生活ができる所
とある。
しかし、中村豪士は湯川紬に「誰も知らない場所に行きたいと思うか」と問われ
- どこに行っても一緒
と答えていた。
限界集落から抜け出して都会へ行ったものの、戻ってきた久子も
- どこも同じ
と答えている。
つまり、この2人にとっては楽園という場所は存在しない。
どこにいても同じ人間社会の闇が広がっているだけということになる。
一方、野上広呂は生まれた直後の記憶を
- すっげー広いところだな
と感じたと言っていた。
湯川紡は、野上広呂に対して
- 青果市場へ運ばれてくるいろいろな産地のモノを見るだけで楽しい
と言っていた。
それを聞いた野上広呂は湯川紡に、
- 自分の楽園を作れよ
と伝えた。
限界集落だろうが、きらびやかな都会だろうが、自分が何を感じて不満を抱くのか、何を幸せととらえるかなのだ。
つまり、楽園とは特定の場所を指しているのではなく、
- 今いる世界を楽園と考えられるかどうか
だけなのだ。
単純思考の赤ん坊はそれができる。しかし複雑に考えてしまう大人にはそれができない。
誰が悪人なのか
楽園というキーワードが出てくるということは、その反対が存在しているということ。
悪となる存在がいて、みなが苦しんでいる。
それでは、だれが悪人なのだろう。
自殺した中村豪士は悪なのか、集落の人間を殺した善次郎は悪なのか。
村八分にした村民は悪なのか、中村豪士の母は、豪士を追いつめた村民は、
自転車をパンクさせた広呂は、
友だちの誘いを断った紡は、
紡の白詰草を無理やりとった友だちは?
人間の一側面を見て 善悪を判断することの虚しさがこの限界集落に漂っている。
野上広呂は、言っていた。
- みんな、表の顔と裏の顔もってんだよ
と。
悪とはなんだ。善とはなんだ。
善と悪は人の中に共存するのだ。
映画「楽園」のテーマとは
映画「楽園」のテーマは、
- 集団による正義の正当化
だ。
吉田修一作品の軸はつねに、人間の光と闇、裏と表が描かれていて、勧善懲悪などという世界観は無縁なところにある。
観客はどこに感情移入して良いか分からず、混乱する。
悪い奴がいるぞ!やっつけろ!みたいな爽快な映画ではないからだ。
表面的な悪が全てではないし、表面的に善とされる人が清廉潔白でもない。
そのため、映画「楽園」の世界では、世界を単純にするために
- 集団の判断を正義
としている。
しかし、集団の判断が実は間違っていたという話でもない。
ただそこには、
- 自己を正当化したい人間たち
が存在するという事実を伝えているだけなのだ。
限界集落の闇ではない。人の住む世界はこうあるのだ
では、これは限界集落だけの話なのか。
田舎の悪い部分をフィーチャーし、こんな限界集落はイヤだ!みたいなところはあるのだけれど、
この映画は決して限界集落の闇を描いたものではない。
民主主義では多数が正義であり、少数は悪という短絡的な判断になりやすい。
都会と違い、田舎では人間の絶対数が少ないため、利害関係が対立したときにより陰湿さを生みやすい。
疑いが偏見を生み、差別を生む。
村八分を行なっていた者たちも、そこには正義があり、集団がそれを正当化する。
孤独になるものはより異様な行動をとる。善次郎の周りにはマネキンがたち、自分の土地ではないところに植樹をする。
- その行動がさらなる怒りを集落の人間から生み出し、負のスパイラルに染まっていく。
人間同士が全員合うことはない。合わなければ逃げ出せばいいし、合うなら一緒にいればいい。
- しかし、光当たるところには陰がある。
都会から戻ってきた久子は「どこに行っても一緒」と言った。
差別を受けている剛も紡の問いかけに対して、どこに行っても同じと答えた。
人間社会の陰を完全に取り除くことなど不可能なのかも知れない。
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吉田修一原作作品の「パレード」「悪人」「怒り」は抑えておこう。
瀬々敬久監督の「64(ロクヨン)」は、前後編に分かれた濃厚なストーリーもおすすめ
人間の裏と表を見たいなら「愚行録」も良い。
「悪人」や「怒り」などはAmazonプライムビデオにもあるので、一気に観るにはおすすめだ。