犯罪を犯して死刑になってもクローンが身代わりになってくれる映画
さて、生き残ったのは本物?それとも。。。
今回は、4月5日公開のインフィニティ・プールをレビューしていきます。
奇抜なホラーを観たい人向けの作品
映画「ポゼッサー」のブランドン・クローネンバーグ監督作品。
リゾート地で犯罪を犯した罪を自分のクローンに被せるディストピアスリラー。
裕福な若い夫婦が訪れた美しいリゾート地“リ・トルカ島”。
その国では、観光客はどんな犯罪を起こしても大金を払えば自分のクローンを作ることができ、そのクローンを身代わりとして死刑に処すことで罪を免れることができるという身の毛もよだつ残酷なルールが存在していた……。
その地を訪れたスランプ中の作家ジェームズは、裕福な資産家の娘である妻のエムとともに、新たな作品のインスピレーションを得ようと考えていた。
ある日、彼の小説の大ファンだという女性ガビに話しかけられたジェームズは、彼女とその夫に誘われ一緒に食事をすることに。
意気投合した彼らは、観光客は行かないようにと警告されていた敷地外へとドライブに出かけていく。
前作「ポゼッサー」では他人の意識に入り込んで人を殺す暗殺者という斬新な設定を披露。
エンタメにしたらめちゃくちゃ盛り上がりそうですが、クローネンバーグ監督は芸術的な作品寄りにしているためコアなファンがつきそうな内容。
グロありの表現も備えた独特な世界観を持つ監督が、またも奇抜な発想を披露。
ディストピアの不気味で怖い世界観にハマっていて、この気持ち悪さが中毒になりそうです。
映画の雰囲気はこんな感じなので苦手な人は要注意。
好きなら映画館へGo。
- グロ注意
- ディストピア
- 性的描写
- 暴力的な表現
- 芸術
- 血
- 解釈が分かれる
- 心臓に悪い
ナイフや拳で人を傷つけるグロ演出が散見され気持ち悪い描写が多いので、苦手な方は観るべきではありません。また、心臓に悪い場面も少しだけあります。
残酷な世界で狂人たちが暴れ回る映画なので、性的描写はありますがエロスはないです。
「Pearl パール」では残酷だが美しい少女を演じたミア・ゴスですが、今回は不気味そのもの。
裸のシーンもありますが、恐怖の対象でしか見えないのは彼女の演技力のすごいところです。
自分で作り出したクローンが身代わりになってくれる国では、犯罪もやりたい放題。
しかし、身代わりになってくれたジェームズのクローンは本当にクローンだったのか。
自身のアイデンティティを揺るがす世界観は、「ポゼッサー」も同じ。
そして、ラストの解釈は曖昧かつ観客に委ねるタイプの映画です。
「インフィニティ・プール」では自己のアイデンティティの希薄化と暴力を振るっても処罰されないことでの人間性の喪失を描きます。
お金さえあればなにをしても許される。
一夏のバケーションに来た富豪たちが人間を弄び、そしてジェームズに近づいていきます。
映画では全体的なあらすじを紹介していくとともに、後半からは曖昧な表現についてのネタバレも含みながら解説・考察していきます。
映画「インフィニティ・ループ」解説・考察
あらすじ
小説家のジェームズと資産家の妻エムは、リゾート地「リ・トルカ島」を訪れます。
次回作のインスピレーションを得るために訪れたジェームズは、ガビという女性に話しかけられます。
ジェームズの書いた小説のファンだと言われた彼は悪い気がせず、彼女の夫アルバンとエムの4人で一緒に食事に出かけることに。
意気投合した彼らは、車を借りて島の外に出かけます。
島の外は行ってはいけない場所とされていますが、インスピレーションを得るために、ジェームズは尻込みする妻を説得し一緒に出かけます。
厳重な鉄線が張られ裕福な外人が訪れるリゾート地と地元住民が住む世界は、明確に区別されていました。
海岸沿いでバーベキューをしながら酒も飲んだ彼らは、ジェームズの運転で帰ります。
しかし、帰り道、泥酔状態で運転していたジェームズは、地元民を轢き殺してしまうのです。
その場はガビの指示により逃げるものの、翌朝、警察により捕まったジェームズは、特に裁判もなく死刑を宣告されます。
そして、ある提案を持ちかけられるのです。
それはお金さえ払えば、自分のクローンを作って身代わりにできるというものでした。
死刑になるか身代わりを作るかを迫られたジェームズに選択の余地はなく、クローンを作ることになるのです。
そしてそのクローンは、ジェームズが轢き殺した息子と思われる子供に刺し殺されるという形で処刑されます。
その光景を観客席で見ていたジェームズとエム。
悲痛な表情を浮かべるエムに対して、ジェームズはほくそ笑むのでした。
さて、このジェームズは本当のジェームズなのでしょうか。
この処刑を皮切りに、ガビとアルバン、そして裕福な資産家の友人たちに近づいて行ったジェームズは、より暴力的になっていきます。
また、ガビはジェームズに対して色仕掛けで迫るシーンがあるのですが、その無の表情は恐ろしさしかありません。
一体彼女はどのような目的でジェームズに近づいてきたのかもポイントです。
ガビとアルバンも前回この島に来た時同じようにクローンを作って罪を逃れたと告白します。
この島では暴力的な犯罪を行なっても生きていける楽園?のような場所だとジェームズは認識しはじめます。
彼らはアメリカで普通に仕事を持つ私たちと同じ現代に生きる人間です。
リ・トルカ島は、日々の疲れを癒し、非日常的なバカンスを楽しむリゾート地ではなく、人間の持つ暴力的な側面を引き出すことができる開放の場として存在していたのです。
暴力・ドラッグ・セックス。欲望のままに生きる彼らの姿はむごたらしく不快感が胃の底から込み上げてきます。
この時点でジェームズは2回処刑。すでに2人のクローンが存在したことになります。
ここまでが前半のストーリー。ガビの狙いやジェームズのクローンは本当にクローンかについて核心をつく話をします。
ネタバレ込みで話しますので結末を知りたくない方はご注意ください。
ガビの狙いとは?
完全にリ・トルカ島を満喫していたジェームズですが、ジェームズの帰国を邪魔する悪徳警官がいるから懲らしめに行こうという提案に乗り、警察官を拉致します。
そこで彼は暴力で脅した警官が自分のクローンだと知ることで、我に帰り帰国しようとするのですが、ガビたちに邪魔されてしまいます。
ガビはジェームズの書く小説のファンではなく、ジェームズを嘲笑い、弄ぶことが目的でした。
ガビはサディスティックな人間であり、人間を服従させることが彼女の心の奥底にある願望でした。
海岸沿いで不意にジェームズの下半身を弄んだのは、相手を喜ばせる意図はなく、彼女の意のままにしたいという欲望の現れだとすれば説明がつきます。
ジェームズをドラッグ漬けにして正常な判断を失わせ、自分と同じクローンを殴りつけさせることで精神を潰そうとしました。
極め付けに首輪をつけ、四つん這いにさせた完全服従状態のクローンジェームズを見せつけ、殴り殺させようとします。
狂ったジェームズは、自分のクローンを殺した後にガビに寄りかかり、赤ん坊のような状態で血で覆われた胸に吸いつくのです。
これはジェームズが完全にガビに服従の意を示した表れでもあります。
ガビは自分の仲間を増やすことだけが目的ではなく、人間を従わせたいというドス黒い欲望を叶えるに至ります。
現代社会は法と秩序に守られることで、人間の暴力性を抑え、多くの人間が生きられる世界になっています。
「インフィニティ・プール」では、その枷が外された人間たちが、心の底にある暴力的な側面を開放した世界を描いています。
そして恐ろしいのは、ガビたちは実生活では法と秩序に守られた上で裕福に生活していることです。
人間の持つ倫理観や道徳。モラルというものはなぜ存在しているのか。
それとも法と秩序で作られただけの虚構の世界なのか。
精神分析の創始者フロイトは、人の心を3つの層に分け相互に関わっていると言いました。
「自我」「イド」「超自我」。
「自我」とは、日々の生活の中で自分として認識している部分。今の私たちそのままの状態のことを指します。
「イド」とは、無意識にある領域のことで自分の心の奥底にある自覚できないもの、あるいは認めたくない心の層をさします。
主に快楽や欲望によって突き動かされる欲求の部分です。
この中には「食べたい」「寝たい」のような普通の欲求から愛されたい、攻撃したいなどの欲求も含まれます。
「超自我」とは、イドから生じる欲求を「自我」に取り込もうとした時に、それを検閲する役割をもつ層です。
イドの持つ欲求は素直で正直なもの。動物的な欲求をそのまま受け入れることは現代社会では通用しません。
「寝る前に甘いものを食べたい」とイドからの欲求が自我に到達しようとする時、「甘いものを食べると太る」という超自我により制御してくれるのです。
それが他の人間を攻撃するような社会性を損なう欲求であれば尚更大切な層が超自我。
超自我は幼少期のしつけをもとに形成されていいきます。
それらは倫理観やモラルといった概念に置き換えられるのですが、この超自我をぶち壊しにきたのがイドの欲求のままに生きるガビであり、それを押さえつける役目をしていたのが超自我のエムなのです。
自我であるジェームズは、イドの欲求に耐えきれず、また、超自我であるエムが帰国することによってバランスを失っていくことになります。
ラストの意味 ジェームズはどうなったのか?
「インフィニティ・プール」の監督であるブランドン・クローネンバーグはインタビューの中で映画のラストの解釈について回答しないと答えています。
彼はあえて観客たちに考えさせることを選択しています。そのため、ラストについてはとても曖昧な表現のままエンディングを迎えることになります。
雨季が始まり、リゾート地が閉鎖される頃にジェームズやガビたちは空港へ向かい、現代社会に戻ろうとします。
しかし、ジェームズは1人リゾート地に残ることを選択します。
誰もいないリゾート地で雨に打たれながら1人佇むジェームズを映し出して映画は終わりを迎えることになります。
単純に考えると、オリジナルのジェームズは自分のクローンを殺していくことで人間性を失い、現実世界に戻れなくなったことを示しているように思えます。
人を轢き殺した時は、罪の意識に苛まれていたはずですが、今や別人のように暴力的になり、ただただ快楽を求めるエドに成り果てていました。
しかし、冒頭に話した通り、このジェームズは本当にオリジナルのジェームズなのでしょうか。
映画の中でジェームズ本人およびジェームズのクローンは合計で5人登場します。
- オリジナルのジェームズ
- 轢き逃げして少年に処刑されたジェームズ
- ガビたちと市民へ暴行を加えて処刑されたジェームズ
- ホテルでガビたち本人に暴行されたジェームズ
- ガビに鎖をつけられ、殴り殺されたジェームズ
ジェームズが死んだ自分のクローンを骨壷に入れるシーンがありますが、最後に飛行機へ向かうときの骨壷は3つしかありません。
生きているジェームズを含めると1つ足りない計算になります。
そしてもう1つ、ラストシーンで飛行機を待つジェームズの顔には右頬にホテルでクローンに暴行を加えた時と同じアザが見受けられます。
しかし、ラストシーンでリゾート地に残っていたジェームズの顔に傷はありませんでした。
このことから考えられるのは、飛行場にいたジェームズはホテルで暴行されたジェームズであり、リゾート地にいたジェームズはまた別人である可能性。
リゾート地にいたジェームズはオリジナルのジェームズが心身ともに壊れ、人間性が欠如した結果のようにも思えますが、クローンとして感情を持たないジェームズがただそこにいるだけのようにも見えます。
ガビたちは、自分たちが処刑された時、今や自分たちが本人かどうかすらわからないと言っていました。
クローンは記憶も保持したまま生成されるため、複製された後はオリジナルの人間かどうかなんて本人すらわからないのです。
つまり、オリジナルのジェームズはエムの名前を叫びながら少年に殺されていったジェームズかもしれないし、市民への暴行により処刑されたジェームズかもしれません。
それは私たちだけでなく、本人にもわかりません。
そして本人たちは自分こそがオリジナルと信じるしかないのです。
はい。というわけであなたはジェームズはオリジナルだと思いますか?それとももう。。
信じるか信じないかはあなた次第。
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