韓国に住むヘソンと、カナダに移住したノラ。お互いに想いを寄せていた2人が24年の時を経て再会する大人向けのラブストーリー。
A24配給の大人な恋愛ドラマです。
ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソン。二人は互いに惹かれ合う幼なじみでしたが、ノラの両親がカナダへの移住を決断したことから、離れ離れに。12年後、24歳となった二人はオンラインで再会しますが、それぞれの人生を歩む二人は、再び疎遠になってしまいます。そして36歳になった今、ヘソンはニューヨークで劇作家として活躍するノラのもとを訪ね、再会を果たしますが──。
パストライブスとは、前世という意味。道ゆく人と袖がふれあうだけでも偶然ではなく前世に何かがあるという仏教的な考えかたと、韓国に伝わるイニョン=運命という言葉をキーワードに、相手のことを想っていても時の運命によりすれ違いが続く男女の切ない関係性を描いています。
お互いに惹かれあっているのに届かない。2人は最後にどんな選択をとるのか。という話。
誰しもが憧れる幼なじみとの恋を描きつつも、分かりやすいドラマチックな展開はないです。でもそれがまた生々しくリアリティを上乗せしている。幾重にも積み重なる魅力がある。そんな映画。
ネタバレ含めて解説、感想を伝えていきます。
映画「パスト ライブス」あらすじ
物語は3つのパートに分かれます。最初のパートはノラとヘソンが12歳の頃。2人は頭が良く、成績を争っています。しかし、ある日一番だったノラがヘソンに負けて泣いてしまうシーンが登場します。
ヘソンはノラをなぐさめつつも納得がいかない様子。2人は良きライバルであり良き友でした。まだ恋愛という感情をはっきり意識できていないまま、ノラの家族はカナダへ移住することになってしまいます。
日本ではあまり海外移住に馴染みがないですが、韓国での移民はわりととあることで、映画「ミナリ」も韓国人移民の話。今は韓国経済も世界でも注目を浴びることとなっているが、ノラが移住を決めた時代はまだ発展途上国。
どうしようもない問題により2人は離ればなれになってしまいます。
最後の日、別れる前に一言伝えようとするヘソンですが、何も伝えられず「さよなら」だけ言って2人は別れてしまいました。もう少しだけ大人になっていれば、連絡先の交換ができたかもしれませんし、12年という長い期間の別れはなかったかもしれません。
それから12年後、インターネットが発達し、スマホが一般人にまで普及し始めた2012年ごろ、Facebookを通じてヘソンはノラを見つけ出します。少しだけ回線は遅いものの世界とリアルタイムに繋がれるようになった時代。この時コロナが流行していたらかなり厳しかったでしょうね。たまにカクつくビデオ通話を通じて12年間の時を埋めるかのようにコミュニケーションを取ります。
しかし、どうしても立ちはだかるのが地理的な問題。ノラはニューヨーク暮らし。カナダ、アメリカと2回も移民を経験していました。ヘソンは韓国で暮らす大学生。自国から出てことはなくこれからも出るつもりがなさそうな感じ。それに北米に行ったノラとは違い、ヘソンは中国へ留学を予定していました。
この時点で、わざわざFaceBookを駆使してノラを探し出したヘソンは、ノラを明らかに意識していました。それはノラも同様です。しかし、それと同時に画面越しでしか会えないことに辛さを感じていました。それに、ノラは自分の夢を掴むことにも必死で、ヘソンのことを考える余裕もなかったのです。
キャリアアップ志向の強いノラと、地頭は良いけど手堅いヘソン。12歳の時に最後の別れとなった道は、階段を登るノラと平坦な道をいくヘソンのその後の人生を描いているようです。
そしてある日、ノラは「連絡を取り合うのをやめよう」と言い、それからまた12年が経過してしまいます。
この辺りまではあらすじでサクッと言ってしまっているのも興味深い点です。つまり、2人がどうなったかということはこの映画の主目的ではないということがわかります。
映画「パスト ライブス」ラストの涙の理由とは?
ノラはヘソンのことを好きだったのです。しかし、12歳のノラには想いを伝えるには若すぎて、24歳では愛を確かめ合うには距離が遠すぎた。
もう少し渡米するのが遅ければ、再び出会うのがもう少し遅ければ。そして出会いの瞬間は36歳になってようやく訪れます。現実を選択し、アメリカ人の夫と結婚したノラにふと連絡がありました。それは12年前連絡断ったヘソン。
もうすっかり大人になってしまったノラ。そして今の夫に不満もなく幸せな生活を送っていたノラにとっては複雑な再会となりました。
すっかりアメリカ人になって、ハグをスキンシップとしてできる女性と、全く慣れずにドキドキしてしまうヘソンの構図もまた魅力的なシーンです。2人の文化は24年の時を経て、全く別の世界に変わってしまっていました。
2人はノラの夫を差し置いて不倫しようなどという安っぽい恋愛話を見せているわけではありません。ラストシーン。ヘソンが「来世では2人の関係はどんな風になってたかな?」と聞いた時、ノラは「わからない」と軽く答えただけでした。
ノラの本心はヘソンだったのかもしれません。夫のアーサーとはまた違う幼い頃からの絆。そしてその絆を深いものにできなかったすれ違い。それらがノラの人生の中で心残りだったのです。
アーサーは、そのことを知りつつ、ヘソンとの交流を黙って見届けます。
ノラはヘソンにアーサーを紹介し、3人で食事に行きます。このシーンは冒頭で誰かが「どういう関係に見える?」と話していました。
最初こそ3人で話をしていました。その距離感からアジア人女性と白人男性のカップルに、女性の兄貴という構図に見えます。
しかし、だんだんとアーサーの存在感は薄れ、韓国語で話す2人にアーサーは無言で時間を渡します。
するとどうでしょう。まるでアジア人のカップルに無関係の第三者(ツアーガイド的なにか)に見えるのです。それだけこの空間は2人にとって特別でした。
運命の物語だとしたら白人男性は明らかに悪役だとアーサーは言いました。単なるラブストーリーであれば、ノラはヘソンへの気持ちを抑えきれずに一線を超えてしまったのかもしれません。
しかし、ノラとヘソンの間には何も起こりませんでした。
ヘソンはアーサーが人格者でなければノラを奪おうという気持ちが少なからずあったのかもしれません。
いずれにせよ、ノラとヘソンは24年目にして再会を果たしますが、運命の歯車が回ることはありませんでした。今世では2人は結ばれることは叶わなかったと確信するのです。
その事実を目の当たりにしたことでノラは泣き崩れました。
韓国語で運命を意味する「イニョン」。ヘソンは「また会おう」と言って去りました。おそらくその意味は「今世」ではなく「来世」を意味しています。
お互い、どう考えても好きなんでしょ?という空気感は出ているのですが、結局最後まで気持ちを伝えずに終わります。プラトニックな恋愛を貫いていて、だからこその美しさがあります。でも、お互いはめちゃくちゃ好きだったということが最後の流れだけで汲み取ることができるのです。
来世で会う気満々のヘソンと、今世で想いを伝えられなくて泣き崩れるノラ。久々に心が洗われるような映画を観ました。
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